先日、兼六園に立ち寄るとかなりの人出だった。中でも、欧米からのインバウンド観光客とおぼしき人々が目立っていた。金沢港ではコロナ禍の水際対策で2020年にストップしていた国際クルーズ船の受け入れを今月から再開した効果もあるのだろう。
きょう31日付の地元各紙を読むと、あす4月1日から台湾のエバー航空が毎日運航で再開すると、記事と広告で掲載されていた=写真・上=。この便の効果でさらに金沢はぎやかになるのではないだろうと憶測した。石川県観光戦略推進部「統計から見た石川の観光」(令和3年版)によると、コロナ禍以前の2019年の統計で、兼六園の日本人以外の国・地域別の入場者数のトップは台湾なのだ。数にして16万4千人、次は中国の4万4千人、香港3万7千人、アメリカ3万人の順になる。この年に兼六園を訪れた訪日観光客数は47万5千人なので、3割以上が台湾からの入りということになる。
日本政府観光局(JNTO)の調べによると、2019年の訪日観光客数は中国959万人、韓国558万人、台湾489万人、香港229万人、アメリカ172万人の順だった。この順位と兼六園の訪日客数の国・地域別の入りを比較しても、台湾から金沢への入込が断然多い。この傾向はかなり以前からあった。その理由で一つ言えるのは、台湾での金沢の知名度が高いというだ。それには歴史がある。
台湾の日本統治時代、台南市に当時東洋一のダムと称された「烏山頭(うさんとう)ダム」が建設された。不毛の大地とされた原野を穀倉地帯に変えたとして、台湾の人たちから日本の功績として今も評価されている。このダム建設のリーダーが、金沢生まれの土木技師、八田與一(1886-1942)だった。ダム建設後、八田は軍の命令でフィリピンに調査のため船で向かう途中、アメリカの潜水艦の魚雷攻撃で船が沈没し亡くなった。1942年(昭和17年)5月8日だった。
2021年5月8日、八田與一の命日に、ダム着工100年を祝う式典が現地で営まれ、蔡英文総統をはじめ首相に当たる行政院長や閣僚などの要人が出席している。八田與一伝説が生きる台湾から、多くの観光客が「八田のふるさと」金沢を訪ねて来てくれていると思うと感慨深い。(※写真・下は、2017年5月、現地での八田與一の座像修復式。このとき金沢市の関係者も訪れた=台湾・台南市役所ホームページより)
⇒31日(金)午後・金沢の天気 はれ
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