きょうは二十四節季の「霜降」にあたる。朝夕が冷え込み、霜が降りるころだ。霜降の次は「立冬」(11月7日)。季節は冬に移ろいでいる。とは言え、きょう午後1時ごろの金沢の気温は23度だった。その後、強い雨が一時的に降って、夕方は17度ほどに。
きのう金沢21世紀美術館の茶室「松涛庵」で催された「小川流煎茶会」に席入りした。今月8日にも「金沢城・兼六園大茶会」が松涛庵であり、表千家流の抹茶を楽しんだ。それぞれ趣きのある場の雰囲気にひたりながら茶の湯を楽しませてもらった。
煎茶を味わって感じることは「一滴の哲学」ということだろうか。小さな茶碗にほんの僅か、ほぼ一滴の煎茶が出される。それを2回味わい、その後に菓子をいただき、最後に白湯を飲み、茶席が終わる。抹茶とはまったく異なる流儀だ。
そもそも茶碗に一滴、その意味は。亭主(主催者)の説明は示唆に富んでいた。小川流煎茶の開祖は幕末に京都で御殿医を勤めていた。茶とは何かを問い、「茶の真味」を突き詰めていく。そして、明治維新の最中にまったく無駄のない、「滴々の茶」という発想にたどり着く。「茶は渇きを止むるに非ず、飲むに非ず、喫するなり。ただ湯水の如く呑飲で、いかでか茶味を知ることを得んや」(小川可進著『喫茶弁』)。茶碗に注がれる滴の茶の味にこそ、茶本来の自然の味があり、それを引き出すのが茶道である、と。
確かに一滴の茶ながら、凝縮された味わいがある。抹茶碗で一服をいただたときより味わい深いかもしれない。これは、一滴の味わいを求めて、全神経と味覚が集中するからかもしれない。そして、「茶とは何か」と思索にはまる。
茶室「松涛庵」。露地は枯山水の造り。モダンアートを展示する「21美」とは真逆の伝統的な和風空間でもある。ここで茶とは何か、人が茶を味わうとは何か、味わうことの喜びや楽しみ、そして幸福感とは何かを考えた時間だった。
茶室庭の後ろ側の道路は紅葉の道だった=写真=。落ち葉が小路を覆い、晩秋を感じさせる。そして、自身の人生も秋のころかと、ふと思った。
⇒23日(日)夜・金沢の天気 くもり時々あめ
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