この連載の目次
(前回から続く)
テーブルの上には、シンプルな厚手の白いカップとソーサー。中にはホットミルク。私はAちゃんと6日ぶりに会っていました。
Aちゃんとお茶をするのも、Aちゃんからマルチ商法の話を打ち明けられて以来のことです。偶然なのでしょうか、あの日は、ちょうどAちゃんが化粧品ビジネスを契約した翌日、しかもトライアルセットがAちゃんの家に届く前日に、滑り込むようにぴたりと収まっていました。もし会うのがあと1日遅れていたら、Aちゃんはトライアルセットを開封してしまい、返品できなくなっていたかも知れません。
「人を信じるのはいいことだよね。Bさんは決して悪い人じゃないんだけど」
「そう、悪い人じゃないのよ」
「Aちゃんのことも気にかけてくれてるしね」
「Bちゃんは完全に会社を信じきってるのよ。みぃちゃんがネットで見つけてくれた情報はBちゃんにもメールで紹介したんだけど、信じてくれなかった。『最近はよくネットでこういう誹謗 (ひぼう) 中傷があるよね』って」
「もちろん、ネットの情報が正しいとは限らないよね。ひょっとすると、会社の上層部が分裂して……」
「抗争してて……」
「互いに足を引っ張り合ってるのかも知れない。私が見つけた情報を信じるかどうかも個人の自由だし」
窓の外では、赤いテールランプが大通りを行き交っていました。
「むやみに人を疑うのはよくないことだけど、人から言われたことを自分で確認することも大事よね」
冷めかけたホットミルクのカップには、湯葉のような膜が浮いていました。
「胸が痛むね」
「うん、胸が痛むね」
クーリングオフの手続きは順調に進んでいるようです。
「今週中にも返金される予定。残高を見てみて、入ってなかったら、また電話する」
すぐに業者が倒産する気配もなさそうなので、無事に返金されることでしょう。勝ち目のない化粧品ビジネスからAちゃんの大切なお金を守ることができました。
AちゃんとBさんの縁も切れずに済みました。Aちゃんが望んでいた、Bさんとの今まで通りの友達付き合いもかないそうです。
今回、私が果たした役割は小さなものです。一番頑張ったのはAちゃん。Aちゃんが、固い意志でクーリングオフを実行し、Bさんと上手に話し合ってくれました。
「Bちゃんにマルチって言ったから、気分を悪くしたと思う。Bちゃん、昔は血の気が多かったんだよ。あの頃なら縁が切れてたかも。ずいぶん丸くなったよ」
今回は、幸い勧誘相手がAちゃんだったので絶交には至りませんでした。しかし、しつこく勧誘すれば相手は去っていきます。友達を失うだけでなく、最悪の場合は、虚偽の説明や長時間にわたる勧誘など、違法な勧誘活動で刑事告訴されることもあります。
「Bちゃんは、友達を失ったり刑事告訴されたりするかも、とは思ってないだろうなぁ」
「Bさんもひとりの大人だから、Bさんが決めたことには介入できないね。どこまで介入していいかは難しいよね。おせっかいが過ぎてもいけないし」
Bさんがすべて覚悟してマルチ商法を続けるなら、止めることはできません。勧誘される人は迷惑でしょうが、みんな大人ですから、冷静に判断して行動してくれると期待しましょう。今は見守るのみ。
Aちゃんが、人差し指と親指で輪を作って首に当てました。
「今回の件で、お姉ちゃんから首に鈴を付けられちゃった。事を起こす前に必ず電話するように、って。ニャンニャン」
「どうせなら猫耳も着けてよ。萌えだよ、萌え☆」
「買ってよ」
「おねだりは私じゃなくて彼氏にしてよー」
「猫耳より、うさ耳のほうがいいなー」
また元の日常に戻りました。
元の日常は、Aちゃんにとって収入のない日常。将来の不安ばかりが大きく膨らむ日常。その不安は、私には計り知れない。でも、Aちゃんは友達という財産をたくさん持ってる。人って強いよ。悲観しないで。どうか、不安に負けないで。
私も応援します。いつでも言ってね。
(完)
(前回から続く)
テーブルの上には、シンプルな厚手の白いカップとソーサー。中にはホットミルク。私はAちゃんと6日ぶりに会っていました。
Aちゃんとお茶をするのも、Aちゃんからマルチ商法の話を打ち明けられて以来のことです。偶然なのでしょうか、あの日は、ちょうどAちゃんが化粧品ビジネスを契約した翌日、しかもトライアルセットがAちゃんの家に届く前日に、滑り込むようにぴたりと収まっていました。もし会うのがあと1日遅れていたら、Aちゃんはトライアルセットを開封してしまい、返品できなくなっていたかも知れません。
「人を信じるのはいいことだよね。Bさんは決して悪い人じゃないんだけど」
「そう、悪い人じゃないのよ」
「Aちゃんのことも気にかけてくれてるしね」
「Bちゃんは完全に会社を信じきってるのよ。みぃちゃんがネットで見つけてくれた情報はBちゃんにもメールで紹介したんだけど、信じてくれなかった。『最近はよくネットでこういう誹謗 (ひぼう) 中傷があるよね』って」
「もちろん、ネットの情報が正しいとは限らないよね。ひょっとすると、会社の上層部が分裂して……」
「抗争してて……」
「互いに足を引っ張り合ってるのかも知れない。私が見つけた情報を信じるかどうかも個人の自由だし」
窓の外では、赤いテールランプが大通りを行き交っていました。
「むやみに人を疑うのはよくないことだけど、人から言われたことを自分で確認することも大事よね」
冷めかけたホットミルクのカップには、湯葉のような膜が浮いていました。
「胸が痛むね」
「うん、胸が痛むね」
クーリングオフの手続きは順調に進んでいるようです。
「今週中にも返金される予定。残高を見てみて、入ってなかったら、また電話する」
すぐに業者が倒産する気配もなさそうなので、無事に返金されることでしょう。勝ち目のない化粧品ビジネスからAちゃんの大切なお金を守ることができました。
AちゃんとBさんの縁も切れずに済みました。Aちゃんが望んでいた、Bさんとの今まで通りの友達付き合いもかないそうです。
今回、私が果たした役割は小さなものです。一番頑張ったのはAちゃん。Aちゃんが、固い意志でクーリングオフを実行し、Bさんと上手に話し合ってくれました。
「Bちゃんにマルチって言ったから、気分を悪くしたと思う。Bちゃん、昔は血の気が多かったんだよ。あの頃なら縁が切れてたかも。ずいぶん丸くなったよ」
今回は、幸い勧誘相手がAちゃんだったので絶交には至りませんでした。しかし、しつこく勧誘すれば相手は去っていきます。友達を失うだけでなく、最悪の場合は、虚偽の説明や長時間にわたる勧誘など、違法な勧誘活動で刑事告訴されることもあります。
「Bちゃんは、友達を失ったり刑事告訴されたりするかも、とは思ってないだろうなぁ」
「Bさんもひとりの大人だから、Bさんが決めたことには介入できないね。どこまで介入していいかは難しいよね。おせっかいが過ぎてもいけないし」
Bさんがすべて覚悟してマルチ商法を続けるなら、止めることはできません。勧誘される人は迷惑でしょうが、みんな大人ですから、冷静に判断して行動してくれると期待しましょう。今は見守るのみ。
Aちゃんが、人差し指と親指で輪を作って首に当てました。
「今回の件で、お姉ちゃんから首に鈴を付けられちゃった。事を起こす前に必ず電話するように、って。ニャンニャン」
「どうせなら猫耳も着けてよ。萌えだよ、萌え☆」
「買ってよ」
「おねだりは私じゃなくて彼氏にしてよー」
「猫耳より、うさ耳のほうがいいなー」
また元の日常に戻りました。
元の日常は、Aちゃんにとって収入のない日常。将来の不安ばかりが大きく膨らむ日常。その不安は、私には計り知れない。でも、Aちゃんは友達という財産をたくさん持ってる。人って強いよ。悲観しないで。どうか、不安に負けないで。
私も応援します。いつでも言ってね。
(完)