タコに関する本をよみました。巻末はタコ図鑑になっており、日本近海に すむ さまざまなタコがスケッチや写真で紹介されていました。
奇妙なことに、ほとんどのスケッチや写真は あしをうえに のばして、内臓の部分 (俗に いう あたまの部分) をしたに むけた状態で掲載されています。
なんでも、学術的な図鑑では くちをうえに して掲載するんだとか。人間の くちが うえに あるから ほかの生物も くちが うえに あるのが当然である、という かんがえかたに もとづいているようです。
ほんとうに その配置で いいのでしょうか。
通常、タコは くちを したにして生活しています。その自然なタコの姿勢に ならって くちが したを むくように掲載するほうが自然ではないでしょうか。人間にとって みぢかな動物の くちが うえに あるからと いって、すべての生物が そうあるべきだと規定してしまうのは人間中心の かんがえかたで あり、前時代的な傲慢な視座ではないでしょうか。
くちを うえに して掲載するのが生物学的に ただしいとなると、ヒトデも くちを うえにして かかなければなりません。しかし、ヒトデをひっくりかえすと (つまり くちを うえに むけた状態に すると)、ヒトデは自力で もとの姿勢 (くちを したに した姿勢) に もどろうとします (そして時間は かかりますが、ブリッジのような体勢を へて もとの姿勢に もどります)。ヒトデにとっては くちが したに あるのが ただしい姿勢なわけです。タコも同じく、くちを したに して海底をあるきまわっています。タコにとっては、くちが したに あるのが自然なのです。図鑑にも その自然な状態で掲載するべきではないでしょうか。むかしからの慣習として くちを うえに むけて掲載するという理由も あるでしょうが、不自然さは いなめません。
●「日本のタコ学」(奥谷 喬司 編著、東海大学出版会)
※ この記事の本文からは漢字の訓を排除しています。
奇妙なことに、ほとんどのスケッチや写真は あしをうえに のばして、内臓の部分 (俗に いう あたまの部分) をしたに むけた状態で掲載されています。
なんでも、学術的な図鑑では くちをうえに して掲載するんだとか。人間の くちが うえに あるから ほかの生物も くちが うえに あるのが当然である、という かんがえかたに もとづいているようです。
ほんとうに その配置で いいのでしょうか。
通常、タコは くちを したにして生活しています。その自然なタコの姿勢に ならって くちが したを むくように掲載するほうが自然ではないでしょうか。人間にとって みぢかな動物の くちが うえに あるからと いって、すべての生物が そうあるべきだと規定してしまうのは人間中心の かんがえかたで あり、前時代的な傲慢な視座ではないでしょうか。
くちを うえに して掲載するのが生物学的に ただしいとなると、ヒトデも くちを うえにして かかなければなりません。しかし、ヒトデをひっくりかえすと (つまり くちを うえに むけた状態に すると)、ヒトデは自力で もとの姿勢 (くちを したに した姿勢) に もどろうとします (そして時間は かかりますが、ブリッジのような体勢を へて もとの姿勢に もどります)。ヒトデにとっては くちが したに あるのが ただしい姿勢なわけです。タコも同じく、くちを したに して海底をあるきまわっています。タコにとっては、くちが したに あるのが自然なのです。図鑑にも その自然な状態で掲載するべきではないでしょうか。むかしからの慣習として くちを うえに むけて掲載するという理由も あるでしょうが、不自然さは いなめません。
●「日本のタコ学」(奥谷 喬司 編著、東海大学出版会)
※ この記事の本文からは漢字の訓を排除しています。