無理な望みかも知れません!
失うことを恐れることもなく、何ものを恐れる必要の無い社会です!
人間、何かを持てば失うことを恐れます。この恐れが人間の全ての恐れに繋がります。
私は自分の命さえ失うことを恐れたくないのです。この世に生を受け生ある限り、この生を満喫して行きたいのです。
世界の歴史を見る限り、この恐れから逃れる為に己の欲望に翻弄され自分を偽り、醜さをさらけ出して現代に至っています。
あの教皇を出迎えて舞い上がる民衆、民主主義を口走って荒れ狂う民衆を御覧なさい!
どちらも欺瞞、虚構の塊です。偽善に満ちたパフォーマンスで民衆を操り、煽動している姿にしか見えないのです。
確かに何も持たず、失うものを持たない人間の世界なんて有り得ないと考えるのが当然でしょう!
ですが、これが現実と宗教の歪みなのです!キリスト教では、この矛盾をひた隠して民衆の中に広めています。
仏教では諸行無常を教えています。南無阿弥陀仏のごとき、無であることを重視しています。
何も無ければ、失うことや死ぬことさえ、恐れることもない訳です。
私の望む、恐れることの無い世界は現実には無理な話ですが、それでも尚、私は何も持たず何も失わない自分を理想として生きています。
偽りの無い自分が大切なのです!