ふくちゃんの絵日記

バイク等での旅行記や、日常生活で感じたことを、絵(写真)に描けるものは描き(添付)絵日記風にしたいと思います。

☆二宮金治郎像に思うこと!

2014年06月18日 | 日記
 私が通った小学校の校庭に「二宮 金治(次)郎」の像があった。
 背負子を背負って、本を読んでいるスタイルのもでのある。
 私(達)は「勉学の象徴」として、その行動を見習うように教えられた。
 その行動とは「寸暇を惜しんで勉学に勤しむ」こと(姿勢)である。
 冒頭の”小学校の校庭に!”と限定したが、私が通った中学校以外には、あったのかも知れない。
 「二宮 金治郎 像」は銅像と石像があって、銅像は戦時中の”武器”等への転化として供出されたと聞いている。
 銅像の供出にあたっては、戦地に赴く兵士(人間)と同様に、白襷を施し生徒達と壮行会をして送り出したという。
 私の知る「二宮 金治郎 像」は、石像であって”難”を逃れたのだろう。
 従って、私はこの(壮行会)様な行事に関する記憶は、当時の年齢からしても無い。
 二宮 金治郎 像の建立理由や、逸話については、戦後の教育を受けた私は、父から聞いたと記憶している。
 そして、その時に”蛍の灯”で勉強したという昔話しも、聞かされた。
 幸にも私は、日常的に、薪を集めるもこともなく養育して頂いたので、金治郎像の様に、薪を背負い、歩き(働き)ながら本(書籍)を読んだ経験はしていない。
 背負子ならずも、学校の行き帰り・カバンを背負って”読書”した記憶も無い。
 家と学校の位置関係で言えば、板塀一枚隔てて小学校はあった。
 通学に要する時間は、零に等しかった。
 しかし、蛍の灯りで本が読めるかについて、実験した記憶はある。
 私の幼少期(十数歳位)には、近くに流れる川に沢山の蛍が居た。
 虫篭に何十匹と捕まえた蛍を入れて、部屋の電灯を消し、本を読んでみた。
 もともと”活字”を読むことを喜びとしなかった事もあり「読めない」と早々に結論づけた様に記憶している。
 当時の電灯は、停電をよくしていた記憶はあるが、夜間は裸電球の灯りで何事も成し得ていたので、”蛍の照度”では耐えられなかったのであろうと思う。
 話しを元に戻して、二宮 金治郎像に似た光景を最近、よく見かける様になったと思う。
 所謂、”歩きスマホ”である。
 ゲームに夢中なのか? 映画(動画)に夢中なのか? メール交換に夢中なのか?
 私には判らない。
 手に持つ物が、本からスマホに替わって、歴史は繰り返されているのだろうか!?
 日本人よ、二宮金治郎の様に勤勉であれ!
 二宮金治郎の様に処かまわず勉学に勤しめ!
 二宮金治郎の勉学の精神に目覚めた若者達であろうか?
 疑問である。
 何故なら、彼らは二宮金治郎の立像を知らない世代だと思うからである。
 1970年代以降、二宮 金治郎像は減少している様である。
 要因は生徒が「真似をして(交通)事故等に遇ってはいけない」ことから、校舎の建て替え等と伴に、撤去された。
 ある通信事業者が「歩きスマホ」で、事故が発生する確率を予測したことをニュースで知った。
 何故、先人の知恵(教育上、像を撤去すると言う思惑)が活かせなかったのだろうか?
 マルコニーの無線電信から、車で運ぶ通信手段へ、そしてパソコンを手にして”何処でもインターネット”と云われる様に移動通信技術は進化してきた。
 日本における移動通信の歴史(民生機)は、自動車電話から現在まで、四十年程である。
 そして、二宮金治郎像の撤去を始めた時代的経過も四十年程である。
 「そんなに急いで何処に行く!(注)」交通安全標語でないが、技術的進歩と、それを利用する側の、マナーや活用術の教育が必要なのではないかと思う。
 古今の生活環境に違いはある。
 二宮 金治郎は”善”であるとは云えないが、交通手段の多様化した現代においては、ルールの遵守やマナーの品位が問われている。
 買物などで自転車で出掛けた時、自転車で移動中にも関われず携帯端末機を操作している人をよく見かける。
 この様な現代の世相から、同じく「歩きながら本を読む」二宮 金治郎 像を思い出して日記にした。

 (注):携帯端末機の操作は「椅子にでも座って、取り扱っては如何でしょう」と言う思いと「技術の進展に対し、利用するルール(教育等)づくりが後手」になっていることの表現として使った。
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