「西日本サイクル・チーム・レース」の結末を!と言う要望もあり、日記にした。
「西日本サイクル・チーム・レース」とは、昭和6年(1931年)に開催された、鹿児島市をスタートとし、大阪市をゴールとする、1千余Kmを五日間で走破する自転車ロード・レースである。
私の父が参戦したが、心ならずも、三日目・広島市のゴールを果たすことが出来ず棄権している。
写真・左は、レースの最終日である、岡山市から大阪市間181Kmのレースの開始を報じる、昭和6年8月2日付の新聞記事である。
そして、レース結果を報じる、3日付の記事、及び優勝者が大阪城にゴールする新聞写真である。
優勝者は、奈良県・梶田選手で、鹿児島市から大阪市までの間を、40時間16分26秒で走破している。
未舗装道路で、8月の炎天下を、パンクすれば自己で修理しながら”平均速度25Km/時”で走りきったことになる。
そして、チーム優勝は岐阜県勢で、走者3人の合計タイム127時間18分17秒との記録である。
なお、個人優勝した梶田選手のチーム成績は第10位で、141時間47分20秒という記録であった。
父のチーム成績は、一人が第一日目で棄権しており、残る一人は57時間38分43秒の個人成績でゴールを果たしている。
歴史を振る帰って、健闘を讃えたい!
84名が鹿児島市をスタートし、1000余Kmを5日間を要し、大阪市・大阪城にゴールを果たすことが出来たのは51名という記録であった。
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今日の絵日記の絵(写真)は三枚で、写真・左より写真・1~写真・3とする。
写真・1:「けふ(今日)晴れの決勝」を報じる新聞記事である。
写真・2:「岐阜県チーム」の優勝を報じる記事
写真・3:一千余Kmの道程を経て、ゴールの大阪城グランド「決勝点」にゴールする一着者を報じる記事写真
「西日本サイクル・チーム・レース」とは、昭和6年(1931年)に開催された、鹿児島市をスタートとし、大阪市をゴールとする、1千余Kmを五日間で走破する自転車ロード・レースである。
私の父が参戦したが、心ならずも、三日目・広島市のゴールを果たすことが出来ず棄権している。
写真・左は、レースの最終日である、岡山市から大阪市間181Kmのレースの開始を報じる、昭和6年8月2日付の新聞記事である。
そして、レース結果を報じる、3日付の記事、及び優勝者が大阪城にゴールする新聞写真である。
優勝者は、奈良県・梶田選手で、鹿児島市から大阪市までの間を、40時間16分26秒で走破している。
未舗装道路で、8月の炎天下を、パンクすれば自己で修理しながら”平均速度25Km/時”で走りきったことになる。
そして、チーム優勝は岐阜県勢で、走者3人の合計タイム127時間18分17秒との記録である。
なお、個人優勝した梶田選手のチーム成績は第10位で、141時間47分20秒という記録であった。
父のチーム成績は、一人が第一日目で棄権しており、残る一人は57時間38分43秒の個人成績でゴールを果たしている。
歴史を振る帰って、健闘を讃えたい!
84名が鹿児島市をスタートし、1000余Kmを5日間を要し、大阪市・大阪城にゴールを果たすことが出来たのは51名という記録であった。
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今日の絵日記の絵(写真)は三枚で、写真・左より写真・1~写真・3とする。
写真・1:「けふ(今日)晴れの決勝」を報じる新聞記事である。
写真・2:「岐阜県チーム」の優勝を報じる記事
写真・3:一千余Kmの道程を経て、ゴールの大阪城グランド「決勝点」にゴールする一着者を報じる記事写真