ふくちゃんの絵日記

バイク等での旅行記や、日常生活で感じたことを、絵(写真)に描けるものは描き(添付)絵日記風にしたいと思います。

☆古き記録 西日本サイクル・チーム・レースの結末

2014年10月09日 | 日記
 「西日本サイクル・チーム・レース」の結末を!と言う要望もあり、日記にした。
 「西日本サイクル・チーム・レース」とは、昭和6年(1931年)に開催された、鹿児島市をスタートとし、大阪市をゴールとする、1千余Kmを五日間で走破する自転車ロード・レースである。
 私の父が参戦したが、心ならずも、三日目・広島市のゴールを果たすことが出来ず棄権している。
 写真・左は、レースの最終日である、岡山市から大阪市間181Kmのレースの開始を報じる、昭和6年8月2日付の新聞記事である。
 そして、レース結果を報じる、3日付の記事、及び優勝者が大阪城にゴールする新聞写真である。
 優勝者は、奈良県・梶田選手で、鹿児島市から大阪市までの間を、40時間16分26秒で走破している。
 未舗装道路で、8月の炎天下を、パンクすれば自己で修理しながら”平均速度25Km/時”で走りきったことになる。
 そして、チーム優勝は岐阜県勢で、走者3人の合計タイム127時間18分17秒との記録である。
 なお、個人優勝した梶田選手のチーム成績は第10位で、141時間47分20秒という記録であった。
 父のチーム成績は、一人が第一日目で棄権しており、残る一人は57時間38分43秒の個人成績でゴールを果たしている。
 歴史を振る帰って、健闘を讃えたい!
 84名が鹿児島市をスタートし、1000余Kmを5日間を要し、大阪市・大阪城にゴールを果たすことが出来たのは51名という記録であった。
   
 今日の絵日記の絵(写真)は三枚で、写真・左より写真・1~写真・3とする。
 写真・1:「けふ(今日)晴れの決勝」を報じる新聞記事である。
 写真・2:「岐阜県チーム」の優勝を報じる記事
 写真・3:一千余Kmの道程を経て、ゴールの大阪城グランド「決勝点」にゴールする一着者を報じる記事写真
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☆天体ショー 月食を観る

2014年10月09日 | 日記

 2014年10月08日、月食の観察が出来た。
 今日、月食(地域によっては皆既月食)であることを、昨日のニュース(天気予報)で知った。
 この日は、スポーツ・ジムに行く日である。
 ジムでのメニューを30分程、短縮して自宅に帰って、観察の準備を整える事としていた。
 そして、所定のメニューを消化し、ジムを出た。
 しかし、雲が出て、肝心の月が観えない。
 「駄目か?」とガッカリする気持ちで帰宅した。
 帰宅し、夕食の準備を始めた。
 だが、食材が足らないことに気付き、急遽、食材を求めに行った。
 買物が終わり、帰宅すべく、店外に出ると、欠け始めた”お月さん”が眼に入った。
 急ぎ、帰宅し写真撮影の準備をした。
 雲も無く、欠け初めから、元の”満月”に戻るまでの天体ショーを鑑賞することが出来た。
 そして”薄暗く、赤っぽい”通常、観ることが出来ない”月(写真、左から二番目)”を観ることも出来ました。
 この為に、夕食が遅くなったことを記述しておきたい。
 しかし、食材の不足が無ければ観測が出来る天候に成っている事も気付かなかったことでしょう。
 ”怪我の功名”でしょうか・・・?
 今日の絵日記の絵(写真)は四枚。
 左から、欠け始めた月、そして、太陽光が地球によって遮られ、薄暗く・赤っぽいなった月の二枚。
 そして、月食の終演に続く二枚とします。
 露光時間を間違え、鮮明な映像を録ることが出来なかったことが、残念です。
 
 追記・訂正:「今日、月食(地域によっては皆既月食)であることを・・・」という記述について、月食が起きることを天気予報で知りました。
 そして、この時「東京では、皆既月食が観られます」と言うアナウンスがあった。
 「東京」と限定されていたことから、東京以外は”皆既月食”ではなく”部分月食”と、その時は理解した。
 しかし、観察中「あれ!此れって皆既月食じゃない?」と思った。
 そして、此れは「天文学的には”皆既月食”と言わない」と、勝手に理解していた。
 翌9日・朝のニュースで「皆既月食が観えました」と報道していたことから、部分月食ではなく、全国規模での皆既月食で有った事を理解した。
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