ふくちゃんの絵日記

バイク等での旅行記や、日常生活で感じたことを、絵(写真)に描けるものは描き(添付)絵日記風にしたいと思います。

☆鏡が曇ったかなぁ!

2014年10月21日 | 日記
 社会人としてなすべき事は「社会の鏡に照らしあわすこと」と教えられた。
 いま、自分が行っている、若しくは、これから実行に移そうとしている時、社会の常識等(鏡)に適合しているか考えろ!という事である。
 私は、ある人物に興味をいだいた。
 この人の”社会の鏡”とは何であったのだろうかと・・・・?
 最近の話題である女性の国会議員が辞表を提出して受理された、と言うことから話は始まる。
 責任者・管理者の組織やシステムに対するリスク管理の職責について問答する気持ちは無い。
 しかし、問題点があれば解明し、改善し、リスクの改善を図ると言う事が課せられた責務であるとの思いから疑問がうまれた。
 ”PDCA”サイクルを絶え間なく検証するということになるのでしょうか?
 辞任会見で「信頼に値すると思った人」の成した(役割・仕事の)結果であっとして悔しさを馴染ませていた。
 そして、任せきった結果での”自責”であったと、言いつつも反省の意志が感じとれない会見でもあった。
 我々(国民)の血の滲む想いで支払った”税金”を安易に使った結末と思う。
 やはり”特権階級”という意識での”驕り”であったのだろうか・・・?
 余りにもズサンで、常識(社会の鏡)から逸脱していると、私は思うのである。
 そのことも然る事ながら!
 私が”あれっ!”と思った”社会の鏡”は、問題の国会議員の出身地である、町長が”引責辞任”するかたち(報道の範囲)で町長と言う”職”を投げ出した事である。
 私が住まうこの地で、この様な事があったとして「町長・あっぱれ!よぉやった!」と言う感覚になるのであろうか?
 ”町長”という職責を如何考えているのだろうか?と疑問が増幅するのである。
 (地元選出の)国会議員の資金管理団体の責任者=町長がセットで選挙が行われ、町長に就任したのなら異論はない。
 私には選挙権は無いが・・・
 資金管理団体の責任者は個人的な役割であって、町長は選挙という手順で委嘱された公職であると思う。
 それなのに、町長辞職に至った事が、疑問のままである。
 これって”社会の鏡”で正像であるのだろうか・・・・?
 公人(町長)と私人(資金管理団体の責任者)の垣根ない風土があること知った”事件”であった。
 この、憤りや疑念を、歴史の記録として日記(2014.10.21 記述)とした。
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