幼年レースに出場する私、少年レースに出場する兄、そして、競技役員の父と伴に、遠征試合にも行った。
遠路の場合は”夜行列車であった。
夜行列車の出発駅では、他の選手や付き添いの親達が集合して、乗車する。
列車は、蒸気機関車に牽引された客車である。
座席は、対面シートで、大人(通常)四人が着席できた。
窓の上部に手荷物を置く、網状の荷物台が設えてある。
夜行列車での私の寝床は、この荷物台であった。
昇り降りは、父の手助けであったり、座席の背もたれに足を掛けてであった。
ハンモックの様で”快適”と思われるが、寝返りが出来ない。
窮屈だったとの思い出がある。
大人達は、座席の下、床に新聞紙を敷いて仮眠をとっていた。
兄たち子供は、座席であった。
ある遠征途中の夜行列車で、事件が起きた。
私は、眠っていて、実際に観た事ではない。
乗客が夫々に仮眠をとっているなか、兄が”寝とぼけ”て、後尾に向って走り出した様であった。
その事に気付いた誰かが、追っかけて行った。
兄は、最後尾の開け放された通路で停まった様で、追っかけて来た人に確保された。
あと一歩、歩みを進めていれば、転落していた聞いている。
従って、兄の人生は、その時点で停止したことになる。
”強運”だったと言うことしかない。
現在に至って、この話題になることがあっても、兄は「覚えが無い」と云う。
語り継がれる話題であっても、兄には夢のなかでの出来事で、恐怖感も感じられない様である。
遠路の場合は”夜行列車であった。
夜行列車の出発駅では、他の選手や付き添いの親達が集合して、乗車する。
列車は、蒸気機関車に牽引された客車である。
座席は、対面シートで、大人(通常)四人が着席できた。
窓の上部に手荷物を置く、網状の荷物台が設えてある。
夜行列車での私の寝床は、この荷物台であった。
昇り降りは、父の手助けであったり、座席の背もたれに足を掛けてであった。
ハンモックの様で”快適”と思われるが、寝返りが出来ない。
窮屈だったとの思い出がある。
大人達は、座席の下、床に新聞紙を敷いて仮眠をとっていた。
兄たち子供は、座席であった。
ある遠征途中の夜行列車で、事件が起きた。
私は、眠っていて、実際に観た事ではない。
乗客が夫々に仮眠をとっているなか、兄が”寝とぼけ”て、後尾に向って走り出した様であった。
その事に気付いた誰かが、追っかけて行った。
兄は、最後尾の開け放された通路で停まった様で、追っかけて来た人に確保された。
あと一歩、歩みを進めていれば、転落していた聞いている。
従って、兄の人生は、その時点で停止したことになる。
”強運”だったと言うことしかない。
現在に至って、この話題になることがあっても、兄は「覚えが無い」と云う。
語り継がれる話題であっても、兄には夢のなかでの出来事で、恐怖感も感じられない様である。