”シェア(する)”という内容の映像を観た。
主婦が抱えている家事労働を、夫と分担し合うと言うものである。
妻・奥さんが専業主婦では成り立たなくなった現実から、夫が家事を行うことに抵抗や違和感はない。
違和感は、”名前づけ(表題)”である。
表題(タイトル)の家事シェアは”家事分担”であり、もっと日本語的にすると”家事を分担する”と言う事になる。
(常用)日本語と外国語をくっ付けて新たな言語・言葉?が出来る。
”家事シェア”が新たな”日本語”とするなら受け入れざるをえないだろう。
しかし「家事を分担する」と「家事シェア」が同じ意味ならば、「-をーする」の美しく・軟らかな日本語の表現(力)を省略してしまうことになる。
何故、分担だけでなく”家事”も”housework”的にしないのだろう?と思うのである。
万葉・平安・江戸・明治と日本の言語は変遷している。
言語は”時代とともにある”のでしょう。
しかし、自分がしたい表現を「漢字に頼ってしまうと、日本(大和)の言葉のもつ本来の意味を失わせてしまう」と警告する学者もいるようである。
この警告からして、今回の「家事シェア」は、漢字+外国語(をカタカナ標記)で、日本語=大和言葉ではなく、日本人が造語した外国語”?と考えてしまう。
くわえて、「家事シェア」でなく「家事を分担する」と言う表現(表題)では何故、いけなかったのだろうか?と思ってしまう年代の私である。
主婦が抱えている家事労働を、夫と分担し合うと言うものである。
妻・奥さんが専業主婦では成り立たなくなった現実から、夫が家事を行うことに抵抗や違和感はない。
違和感は、”名前づけ(表題)”である。
表題(タイトル)の家事シェアは”家事分担”であり、もっと日本語的にすると”家事を分担する”と言う事になる。
(常用)日本語と外国語をくっ付けて新たな言語・言葉?が出来る。
”家事シェア”が新たな”日本語”とするなら受け入れざるをえないだろう。
しかし「家事を分担する」と「家事シェア」が同じ意味ならば、「-をーする」の美しく・軟らかな日本語の表現(力)を省略してしまうことになる。
何故、分担だけでなく”家事”も”housework”的にしないのだろう?と思うのである。
万葉・平安・江戸・明治と日本の言語は変遷している。
言語は”時代とともにある”のでしょう。
しかし、自分がしたい表現を「漢字に頼ってしまうと、日本(大和)の言葉のもつ本来の意味を失わせてしまう」と警告する学者もいるようである。
この警告からして、今回の「家事シェア」は、漢字+外国語(をカタカナ標記)で、日本語=大和言葉ではなく、日本人が造語した外国語”?と考えてしまう。
くわえて、「家事シェア」でなく「家事を分担する」と言う表現(表題)では何故、いけなかったのだろうか?と思ってしまう年代の私である。