ふくちゃんの絵日記

バイク等での旅行記や、日常生活で感じたことを、絵(写真)に描けるものは描き(添付)絵日記風にしたいと思います。

☆青天の霹靂・・・・? その2

2014年10月24日 | 日記
 4~5ヶ月前のある日、娘夫婦が訪ねてくれた時のことである。
 夕食をするなかで”焼き鳥(鉄板焼き)”を食いに行こうよ!”と言う話になった。
 そこで、娘夫婦の知らない”JAZZ(を聴かせる)喫茶店”の思い出を話しをした。
 そして”独りでは行けない”心情を話した。
 「喫茶店の屋号は同じであっても、どう云う経歴を辿っているか分らない事から(入店を)躊躇している」と告白した。
 そして、実行(2014.10.23に)されることになった。
 万感こめて入店した。
 40数年前と全く変わらない店内に驚いた。
 ただし、聴かせる楽曲は、レコード盤ではなく、CDであったことが唯一、異なっていた。
 入店すると、女性の店員さん(と思っていた)が対応してくれた。
 飲み物を、夫々に注文した。
 窓から店外が見えて、乗用車が歩道を走行して店の前で停車した。
 この時点で、娘の注文したミックス・ジュースが提供された。
 「歩道を車が走行している」と話していると、店内の女性が「マスターです」という。
 そして、注文した”ホット・コーヒー”が提供された。
 私は、確認したい事を聴くタイミングを図った。
 女性とマスターの引継ぎが終わって女性が居なくなった。
 路上(歩道)に駐車した自動車とともに・・・・・ 
 私は「昭和40年頃、通い詰めた思い出の店であること、そしてマスターのことを”ヨッチャン”と云っていましたが、消息が知りたい」と聴いた。
 マスターは「私が、皆さんからヨッチャンと言われています」と言う。
 そして「70歳をとうに過ぎたのに、未だに”ちゃん”付けですよ!」「先程の女性が家内です」と付け加えられた。
 ”ヨッチャン”と云われていたマスターは、最早(高齢で)生存しては居ないだろうとの思いがあった。
 その事が、行きたいと思いつつ、私一人では入店出来ないというプレッシャーとなっていた。
 何を・何から話したら良いだろう!?と思う単純な心の弱さであった。
 念願叶って、想い続けた疑念が晴れた日であった。
 マスター(ヨッチャン)曰く「開業して51年になります」という。
 そして、地元テレビの収録もあったと云う事であった。
 「今後は、私(ふくちゃん)一人で来ます」と言えることが出来た。
 私自身の年齢からも、世人ではない、若しくは代替わりをしているだろうとの先入観から、御本人とのことで”青天の霹靂”の想いであった。
コメント