ふくちゃんの絵日記

バイク等での旅行記や、日常生活で感じたことを、絵(写真)に描けるものは描き(添付)絵日記風にしたいと思います。

☆こんなのがあった!

2014年10月11日 | 日記
 その昔、リンドバークという人物伝について、聞いたことがある。
 アメリカの飛行(冒険)家、という程度の知識しか持ち合わせていない。
 そして、リンドバークと言えば、自伝の映画化とされる「翼よ、あれが巴里の灯だ」を思い出す人も居ると思う。
 先の日記「古き記録 西日本サイクル・チーム・レースの結末」の資料(当時の新聞記事)を調べていると興味ある記事を見つけた。 
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 「リ大佐夫妻 第一目的地 着陸か」という表題の記事である。
 以下は、記事の内容である。
 リンドバーク大佐夫妻は1日9時45分オッタワを出発したがその後何度の消息ないが、恐らく既に1日、目的地たるハドソン湾南端のムースフアクトリに無事着水したものであろうと見られる。
 というものである。(注:新聞記事には「オッタワ」との記述であるが、カナダの首都と理解している)
 私は、リンドバーク氏と、日本とは関わりは無いと思っていた。
 しかし、何で新聞記事になったのだろう? 疑問がうまれた。
 調べた結果、以下の”歴史”を突き止めた。
 「リンドバーク夫妻は1931年、北太平洋航路調査のため、ニューヨークを飛び立ち、カナダからアラスカ州を経て、中国までロッキード社製の水上機で飛行した」と言うものである。
 経由地として、当時の日本が大きく関わっていることも分った。
 「(1931年)8月23日:国後島 8月24日:根室市 8月26日:霞ヶ浦、その後、大阪・福岡を経て中国の南京・漢口まで飛行した」と言うものである。
 ただ、新聞記事の日付は、昭和6年(1931年)8月3日で、日本の「国後島」まで20日間を要していることに疑問はのこる。
 父への思い出である「西日本サイクル・チーム・レース」の結末を日記にしたことで、この記事を見つけた。
 そして、伝記での人物が実在した証しを、リアルタイムに報じている新聞記事を、現在に至って観ている。
 時間の経過の不思議さを感じるのである。
 なお、このリンドバーク氏に関する記事は、西日本サイクル・チームレースのゴール模様を報じる写真の裏面にあった。
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