ふくちゃんの絵日記

バイク等での旅行記や、日常生活で感じたことを、絵(写真)に描けるものは描き(添付)絵日記風にしたいと思います。

げんを担ぐ

2016年01月05日 | 日記
 げん(験)を担ぐは「縁起を担ぐ」が本来の言葉であったらしい。
 そして、逆さ言葉の流行で「ぎえん」が”げん”となった様であるが、私には分からない。
 私も、日常的には使わないが、心の中で意識する事がある。
 その様な場合の思いは「ゲンが悪い(縁起が悪い)」である。
 「良くない」ことが起きる事を、発想するのである。
 年末に、自動車にシメカザリを着けるにあたって、せめて洗車をして飾りたいと思った。
 自慢じゃぁないが、私自身が洗車した記憶はない。
 コイン洗車等に頼っていた。
 それも数えるほど・・・
 何故なら、ラジオのアンテナが収縮しないので、コイン洗車が疎遠になっている。
 しかし、心の奥底に、正月を迎えるにあたって、(御神様の)お社を清めるのと、同じでなければならないと、思うのである。
 そう!”あの時・やっとけば良かった!”と反省したくなく”ゲンを担ぐ”のである。
 ”良くなりたい!”と・・・
 それじゃ、毎年・そうした?
 と・云われると”おこらいな(勘弁)して!(*)”と云って、済ませていた様である。
 時間(気分)的余裕が出来た昨年だから、そうさせたのでしょうね!
 ゲンくそ悪い!を排除するため、ゲンを担いで洗車した。
 反面、他人がしている事で、自分が、普段しない・若しくは出来ていないことを観て「雨を降らす(様なことをする)なぁー!」と云いたくなる場面もある。
 それは、30日に洗車したことで「31日は雨になるのでは無いか!」と、云われる事をしている自分を思った事である。
 自身でも、突拍子も(普段やら)ない事をすると”雨が降る(又は、降らす)”のでは!と気弱な気分に成ることもある。
 雨が降れば”ゲンが悪い!”と言うことにもなる。
 ゲンを担いで、何時もはしない事をして、雨が降れば、これもまた良くない(=ゲンが悪い)事になる。
 人は、日常的な生活習慣の繰り返しでなければ”ゲン”と言う思い(迷い?)に翻弄されると言うことなのでしょうか?

 (*):日記「こんじんさん御免なさい!(2015.12.10)」に関する後述となるが”御免なさい”は”おこらいなして!”とも云っていた様に思う。
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