”音楽”について調べてみた。
Goo辞書によると。
音楽とは、音による芸術。音の長短・高低・強弱・音色などを組み合わせて肉声や楽器で演奏すること。
演奏とは、音楽を奏すること。
と、定義されている。
何で今になって!と思われるかも知れない。
先の・JAZZライブで「音楽って何?」と考えさせられた。
私の、音楽に関する”拙い”知識・理解は、メトロノームの様にリズムが刻まれ、旋律が乗っかると云う形態であると、理解している。
聞く方は、心地良く刻まれるリズムに合わせ”首を振る”仕草が自然発生的に起きる。
恰好良く”首を振る”ために練習までするのである。 頭ではなく、首である。 難しいよ!!
スイング感であったり、リズム感があって、ワクワクさせる。
その様な、初歩的な音楽(JAZZ)に対する思いは、音楽的評価が高かったことから購入した、ジョン・コルトレーン(至上の愛)によって様相が変わった。
前衛JAZZ・フリーJAZZと云うモノに初めて接したのである。
正直・楽しくはなかった。
その後、山下 洋輔のコンサートがあり、聞きに行った。
眼前で繰り広げられる、私の常識を打ち砕く”演奏手法”に圧倒された。
しかし”首を振る”楽しさは、此処にもなかった。
生演奏で、只々・圧倒されていた記憶が残っている。
”私には難解!”と疎遠になっていた。
時間の経過があって、先日の「藤井 郷子」のJAZZライブに続くのである。
演奏が始まって、お恥ずかしい事であるが「あれぇ!聞いたことあるよ!」と、思った。
そうです。同じライブ会場での、藤井 郷子(P)田村 夏樹(Tp)は、二度目であった。
今回は、このお二方に、トランペットとドラムが加わった”カルテット”である。
演奏手法が多種多様で”この様な(音での)表現方法もあるんだぁ!と、意表を突かれた思いであった。
シンバルを回転させる・もう一枚のシンバルを当てると、摩擦音が起きる。
回転速度であったり、回転するシンバルの内外周で、音調が変化する。
小さな物体をピアノの弦に置くと、弦が振動によって発音する。
また、ピアノの弦に”糸”を通し、弦楽器の弓引きと同様な手法によって”物語”を表現しようする。
一般的ではない手法で!である。 少なくても私の知識では・・・・
トランペットの奏者も、吹き口に、ゴム・チューブな様なものを装着し、チューブを伸ばしたり・縮めたり、はたまた、チューブを指先で触れる位置を変えて、旋律を造る。
挙句に、伸ばしたチューブをギターの弦を爪弾く様な仕草で”表現”するのである。
私の音楽と云う理解には、ほど遠いものがあるが”音楽”と云う事になるのでしょう!
藤井 郷子さんに関するCDは、二枚となった。
一枚は、自らが購入したもの。
一枚は、贈呈を受けたものである。
折にふれ、聞いてみようと思う。
何故か、北島 三郎の「風雪ながれ旅」(二番の歌詞)が思い出されたのである。
Goo辞書によると。
音楽とは、音による芸術。音の長短・高低・強弱・音色などを組み合わせて肉声や楽器で演奏すること。
演奏とは、音楽を奏すること。
と、定義されている。
何で今になって!と思われるかも知れない。
先の・JAZZライブで「音楽って何?」と考えさせられた。
私の、音楽に関する”拙い”知識・理解は、メトロノームの様にリズムが刻まれ、旋律が乗っかると云う形態であると、理解している。
聞く方は、心地良く刻まれるリズムに合わせ”首を振る”仕草が自然発生的に起きる。
恰好良く”首を振る”ために練習までするのである。 頭ではなく、首である。 難しいよ!!
スイング感であったり、リズム感があって、ワクワクさせる。
その様な、初歩的な音楽(JAZZ)に対する思いは、音楽的評価が高かったことから購入した、ジョン・コルトレーン(至上の愛)によって様相が変わった。
前衛JAZZ・フリーJAZZと云うモノに初めて接したのである。
正直・楽しくはなかった。
その後、山下 洋輔のコンサートがあり、聞きに行った。
眼前で繰り広げられる、私の常識を打ち砕く”演奏手法”に圧倒された。
しかし”首を振る”楽しさは、此処にもなかった。
生演奏で、只々・圧倒されていた記憶が残っている。
”私には難解!”と疎遠になっていた。
時間の経過があって、先日の「藤井 郷子」のJAZZライブに続くのである。
演奏が始まって、お恥ずかしい事であるが「あれぇ!聞いたことあるよ!」と、思った。
そうです。同じライブ会場での、藤井 郷子(P)田村 夏樹(Tp)は、二度目であった。
今回は、このお二方に、トランペットとドラムが加わった”カルテット”である。
演奏手法が多種多様で”この様な(音での)表現方法もあるんだぁ!と、意表を突かれた思いであった。
シンバルを回転させる・もう一枚のシンバルを当てると、摩擦音が起きる。
回転速度であったり、回転するシンバルの内外周で、音調が変化する。
小さな物体をピアノの弦に置くと、弦が振動によって発音する。
また、ピアノの弦に”糸”を通し、弦楽器の弓引きと同様な手法によって”物語”を表現しようする。
一般的ではない手法で!である。 少なくても私の知識では・・・・
トランペットの奏者も、吹き口に、ゴム・チューブな様なものを装着し、チューブを伸ばしたり・縮めたり、はたまた、チューブを指先で触れる位置を変えて、旋律を造る。
挙句に、伸ばしたチューブをギターの弦を爪弾く様な仕草で”表現”するのである。
私の音楽と云う理解には、ほど遠いものがあるが”音楽”と云う事になるのでしょう!
藤井 郷子さんに関するCDは、二枚となった。
一枚は、自らが購入したもの。
一枚は、贈呈を受けたものである。
折にふれ、聞いてみようと思う。
何故か、北島 三郎の「風雪ながれ旅」(二番の歌詞)が思い出されたのである。