
2月25日。
梅紀行とは言っても、梅は一分咲きといったところ。
この梅は緑がかって珍しかったので撮ったのですが、
日に透かれて色がわかりづらくなってしまいましたね。

方丈前の椿。侘介か?
妙本寺の始まりは、文応元年(1260年)といわれています。今の比企ヶ谷(ひきがやつ)一帯は元・比企能員(ひきよしかず)一族が屋敷を構えていたところで、建仁三年(1203年)比企の乱で比企一族が、北条氏の大軍に攻められ滅ぼされた地であります。比企能員の末子比企大学三郎能本(よしもと)は、武門を捨てて京都にて学問を極め、幕府に招かれ鎌倉に戻り日蓮聖人と比企一族の霊を弔うため、法華堂を建てたのが妙本寺の始まりで日蓮宗では日本最古のお寺といわれています。

二天門。天保年間の建物と云われています。龍の彫り物があり、ニ、三歩下がって手をたたくと、龍が鳴くように聞こえるといわれています。
みどころは、
・日蓮上人・日朗上人ゆかりの寺宝が納められている霊宝殿。
・日蓮上人の御真骨(頂骨5片)が納められている霊宝塔。
・比企能員の娘で鎌倉幕府二代将軍・源頼家の妻の若狭局を
祀る蛇苦止堂
・鎌倉幕府第四代将軍・藤原頼経の妻・竹御所の墓
・比企一族のお墓と一幡(いちまん・若狭局と源頼家の子)の袖塚
・カイドウの花(見頃は4月中旬頃)
【妙本寺】
[住所]鎌倉市大町1-15-1
[電話]0467-22-0777
[時間]9:00~16:00
境内自由
[アクセス]JR鎌倉駅から徒歩6分
梅紀行とは言っても、梅は一分咲きといったところ。
この梅は緑がかって珍しかったので撮ったのですが、
日に透かれて色がわかりづらくなってしまいましたね。

方丈前の椿。侘介か?
妙本寺の始まりは、文応元年(1260年)といわれています。今の比企ヶ谷(ひきがやつ)一帯は元・比企能員(ひきよしかず)一族が屋敷を構えていたところで、建仁三年(1203年)比企の乱で比企一族が、北条氏の大軍に攻められ滅ぼされた地であります。比企能員の末子比企大学三郎能本(よしもと)は、武門を捨てて京都にて学問を極め、幕府に招かれ鎌倉に戻り日蓮聖人と比企一族の霊を弔うため、法華堂を建てたのが妙本寺の始まりで日蓮宗では日本最古のお寺といわれています。

二天門。天保年間の建物と云われています。龍の彫り物があり、ニ、三歩下がって手をたたくと、龍が鳴くように聞こえるといわれています。
みどころは、
・日蓮上人・日朗上人ゆかりの寺宝が納められている霊宝殿。
・日蓮上人の御真骨(頂骨5片)が納められている霊宝塔。
・比企能員の娘で鎌倉幕府二代将軍・源頼家の妻の若狭局を
祀る蛇苦止堂
・鎌倉幕府第四代将軍・藤原頼経の妻・竹御所の墓
・比企一族のお墓と一幡(いちまん・若狭局と源頼家の子)の袖塚
・カイドウの花(見頃は4月中旬頃)
【妙本寺】
[住所]鎌倉市大町1-15-1
[電話]0467-22-0777
[時間]9:00~16:00
境内自由
[アクセス]JR鎌倉駅から徒歩6分
謝ることなんてないです。
ぶらり旅楽しみにしてくださる方がいて、
私の方こそありがたいです
(syouさん、しばらく更新されてなかったので状況をお察ししておりました。大変な時だと思いますが、たまにちょっぴり息抜きしつつ参りましょう)
ぶらり旅楽しみにしています。
(義母が入院しています。本格的に介護にはいります)
春はやはりお彼岸過ぎでしょうか。暑さ寒さも…
こちらは三寒四温で、暖かいやわらかな陽気になったかと思えば、
雪の降りそうなくらい寒い日が続き、なかなか気を弛められません。
「檀香梅」ゆかしい名ですね。白檀の檀…?いい香りがしそうです。
また黄色というのが高原に明るく暖かくていいのでしょうね。
今回行った辺りは、辻説法跡もあり、日蓮上人に縁の深いところでした。
無理矢理その縁で身延山まで花を追って行けたらいいですね。
ぶらり旅おあずけですか(TOT)ではぶろぐぶらり旅しましょう!
この鎌倉もブログの記事にすることで何倍にも広がりました。
今回行ったお寺は狭いエリアにまとまってあるのですが、
存在は知っていたものの、由来なんかは知りませんでした。
syouさんのようにいつも見守ってくださる方がいらっしゃるから、
どんどん記事にして世界を広げることができます。
ちょっぴりでも一緒に楽しんでいただけたら幸いです。
高原の森にはまだ雪が残っています。
椿に紅梅と春色ですね。
この森で最初に咲く花は「檀香梅」で、
お彼岸を過ぎた頃でしょうか。
黄色の小さな花をいっぱい付けます。
花が終わった後、葉をつけます。
日蓮上人の身延山・久遠寺ももうじき
桜のシーズンを迎えますね。
ここの枝垂れ桜が見事です。
文披月さんのブログでぶらり旅と行きましょう(笑)貴女に逢えて本当に良かった、楽しませていただきます。