ちょっとした幸せ♪

ちょっとした幸せをいっぱい感じたら、それが幸せ!!

飯盛山~さざえ堂

2006年04月30日 18時43分31秒 | 
[3月10日 飯盛山入口、新参道]

白虎隊自刃の地として知られます。白虎隊は、戊辰戦争のおり藩主の親衛隊として組織された15歳から17歳の少年たちからなる若い隊でした。その後15歳は除隊となり16歳、17歳の編制となりました。


[旧参道 鳥居を二つくぐると厳島神社]

慶応四年(1868年)8月22日、滝沢本陣で指揮をとっていた 松平容保は、西軍進攻の知らせを受け、白虎隊40名に出陣を命じます。少年たちは初陣に胸躍らせて戦場へと向かい勇敢に戦いますが、力及ばず退却となってしまいます。


[戸ノ口堰洞門]

すでに20名となった少年たちは疲労と空腹に耐え、猪苗代湖の水を会津へと通していた戸ノ口堰洞門をくぐりぬけ、飯盛山へとやっとの思いでたどりつきますが、ここで炎に包まれた鶴ヶ城と城下を目前にし、いさぎよく藩主に殉じようと自刃を決意するのです。20名のなかで1人だけ生き残った 飯沼貞吉 によって、白虎隊の忠義と悲運の物語は広く人々に知られるところとなりました。


[さざえ堂]

六角三層の旧正宗寺・円通三匝(さんそう)堂。寛政8(1796)年、郁堂和尚が考案建立したもの。さざえに似ていることから、さざえ堂と呼ばれる。階段がない螺旋状の坂を登っていくと、いつの間にか下りになっている不思議な回廊。この螺旋階段沿いに西国三十三観音像が安置されていましたが神仏分離令により取り外され、明治以降は皇朝二十四孝(会津藩道徳教本)の絵額を掲げている。


一度通ったところは二度と通らない。日本唯一、世界にも例のない名建築とされている。
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会津武家屋敷

2006年04月25日 23時59分33秒 | 
3月10日、会津武家屋敷。
季節はすっかり移り変わってしまいましたが、やっと会津旅行の記事をご紹介したいと思います。早朝の新幹線で、まず最初に訪れたのが会津若松。まちなか周遊バス「ハイカラさん」に乗って巡ります。



会津武家屋敷は、城下町の歴史ある建物を守るために、市内各所から移築または復元したもの。2万3000平方mの敷地に幕末の名家老・西郷頼母[さいごうたのも]屋敷、藩米精米所、旧仲畑陣屋などが並ぶ。頼母屋敷は、御成り御殿と使者の間、番所、客間、居間など38部屋にも及ぶ広さで生活の様子が人形で再現されている。土蔵造りの会津歴史資料館も併設されている。



屋根に雪がのっていますね~広大なお屋敷をすごい勢いで回りました。通常50分のところを15分くらい。空いていたから、好きに見られたのかも。みどころいっぱいなので、今度はゆっくり来たいな~
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さくら草公園にて

2006年04月24日 23時59分16秒 | 季節を楽しむ・歳時記
さくら草公園はサクラソウ自生地だけではなく、なかなか広大な公園でした。桜の頃もきっと綺麗だったんだろうなーというぐらい、散った後の桜の木がたくさんありました。代わりに八重桜がちょうど美しく満開を迎えていました。桜ははかなく終わってしまうものですが、八重桜は桜の終わったすぐ後に咲いてくれて寂しさを和ませてくれます。


カントウタンポポ。
花の裏、総苞片というのがくるんと反り返っているのがセイヨウタンポポ。なのでこれはカントウタンポポだと思うのですが…肝心なところが写っていない。。


アマドコロの群生。


春のよき日。
楽器の練習がプカプカ聞こえたり、お弁当広げたり。休日、みな気持ちよく過ごしていました。

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サクラソウ自生地

2006年04月23日 23時47分08秒 | 季節を楽しむ・歳時記
4月15日。
1週間前に荒川のサクラソウを見に行って来ました。荒川第一調節池内にあるさくら草公園には、全国でも唯一といわれるサクラソウの自生地(約 4.2ha、約100万株)があります。このサクラソウ自生地は、国の特別天然記念物に指定されています。


また埼玉県とさいたま市の花としても親しまれているそうです。開花時期は4月中旬~5月上旬で、ノウルシの黄色と入り交じり、天然の花園をつくります。

陽の光に輝いて綺麗。


此辺桜草の名所にして、春時花開く時は、宛然(あたかも)毛氈を敷たるが如し、都下の遊人群集してこれを賞す。
~「江戸年中行事」三田村鳶魚 「江都近郊名勝一覧」弘化3(1846)年より~

さくら草は5月上旬まで咲いていますが、他の植物も成長が進むのでだんだんと視界が悪くなります。今の状況はこちらを参考に→“サクラソウ情報

[アクセス]JR「浦和駅」西口よりバス 志木駅東口行[さくら草公園前]下車徒歩1分
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この日の幸運♪

2006年04月22日 19時01分00秒 | 鎌倉・湘南
今日は鎌倉まで山越で行きました。とある広場でまだ楽しめる桜に出会いました。もう桜の季節は終わったと思いこんでいたので、思いがけずに出会えて嬉しい♪青い空とのコントラストがまた気持ちいい。


何が写っているかわかるでしょうか?中央下の白くうっすら見える山…富士山ですもっと大きく見えたんだけどな~写したらとても小さくなってしまいましたが。すぐそこにあるかのような大きさでしたよ。この山から富士山が望めるとは思わず、本日二度目の幸運な出会い


ハイキング終盤、“獅子舞”。鎌倉随一の紅葉の名所です。新緑もまた美しい。獅子がうずくまった形をした岩「獅子巌」(ししがん)があることから、名付けられた地域。見事なもみじの林です。銀杏のちょんちょんという黄緑の新芽も見られました。本当に紅葉の頃はさぞと想像できます。秋にまた是非来ようっと。



今日の目的は、新緑とこの白藤。鶴岡八幡宮源氏池にある旗上弁財天神社にて。紫の藤に先駆けて、甘い薫りを漂わせていました。





日が落ちて曇り空になってしまいました。写りが悪い。。次に来る時は何に会えるかなー

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メイプルnaポンテバニラ

2006年04月21日 07時43分17秒 | モブログ
牛角のデザートの一品です。このメープルシロップのたっぷりかかったポンテケージョを網で焼いて、バニラアイスと一緒に頂きます。温かいのに冷たくて美味しい♪最近は、チェーン店でもデザート充実していて楽しい。
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村上 地酒羊羹

2006年04月20日 07時22分14秒 | 
おみやげでいただいた、新潟県村上の地酒羊羹です。ぷんと香るどころではなく、にごりの地酒そのものの味。衝撃的です。とはいえ、お酒の弱い人も一緒に頂けましたが。一度お試しあれ。
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鎌倉の桜 終 御霊神社

2006年04月17日 23時59分08秒 | 鎌倉・湘南
神社には時間制限無しということで1番最後になりました。同じように見所を調べて来る人の中でも訪れる人の少ない場所です。静かに楽しめるところとして紹介されていましたが、かなりひっそりとしているのでふっと通り掛かるのにいいかも。

御霊神社は、鎌倉幕府が開かれる以前からある坂の下の氏神です。創建は平安末期といわれ、昔は極楽寺に属していました。

そもそも“御霊神社”というのは各地にあり、土地の神として祖先を祀る神社と怨霊鎮護の為に祀る神社とあるそうです。

鎌倉坂の下の御霊神社は、桓武天皇の子孫、平良兼の孫、村岡五郎忠通という人の子に為道、影成、影村、影道、影正の5人があり、五家に分かれました。忠通の死後、五家が栄えますようにと鎌倉に社を建て忠通と五家の祖先をまつり、御霊の神とか、五霊の神として尊敬してきたといわれています。

もう一説には元関東平氏五家であった、大庭・梶原・長尾・村岡・鎌倉の祖先を祀っていたため“五霊神”と呼ばれていましたが、武勇の誉れ高い鎌倉権五郎景政が有名になり、地元では“権五郎神社”と呼ばれています。

景政の命日である9月18日には、毎年“面掛行列”が行われるそうです。境内には、景政「弓立の松」などの古木があります。

今回参考にさせていただいたのは…各月の鎌倉&イベント
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鎌倉の桜7 光則寺参道

2006年04月16日 21時08分42秒 | 鎌倉・湘南

鎌倉の桜と言いつつ、トップは海棠。
光則寺は海棠で有名なお寺です。


光則寺参道の桜。
けっこう見事な桜だったのですが、
だいぶ日が落ちてきて夕闇に包まれつつあります。。



樹齢150年と言われる海棠。


光則寺の開基は五代執権北条時頼の家臣・宿谷光則(やどやみつのり)、開山は日蓮上人の弟子・日朗上人です。 光則は「立正安国論」によりさまざまな迫害を受けた日蓮の弟子・日朗を、自邸のあったこの地で監視する任につきました。しかし、自らの不運を嘆くことなく、弟子の身の上を案じる日蓮に深く心を打たれた光則は、その後日蓮宗に帰依し、自邸を寺にしたといわれています。境内の裏には、当時日朗が幽閉されていた土牢が今も残されています。


三椏


【光則寺(こうそくじ)】
[住所]鎌倉市長谷3-9-7
[電話]0467-22-2077
[時間]日没まで
[料金]心付け100円
[アクセス]江ノ島電鉄長谷駅から徒歩7分

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鎌倉の桜6 長勝寺

2006年04月14日 23時59分50秒 | 鎌倉・湘南

写真の奥にある新しい建物は帝釈堂で帝釈天が祀られています。これは日蓮の松葉ガ谷法難のとき帝釈天の使いである白猿に日蓮が救われたということから、帝釈天出現の霊場として安置されることになったといいます。その前に立つのは、四天王を従えた高さ4mの「鎌倉辻説法日蓮大聖人銅像」。この銅像は高村光雲作で東京の洗足池から裏山に移築されていたものを近年現在の場所に移したそうです。


長勝寺は、この地方の領主・石井長勝が日蓮に帰依し、1263(弘長3)年、伊豆伊東の流罪から戻ってきた日蓮の為に、自分の邸宅に小庵を建て日蓮に寄進したのが本圀寺であるといわれています。その後、本圀寺が室町初期に京都に移築して廃寺になっていたのを日清が復興し、山号と寺号を開基の石井長勝の名にちなんで石井長勝寺とつけたと伝えられています。
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