白虎隊自刃の地として知られます。白虎隊は、戊辰戦争のおり藩主の親衛隊として組織された15歳から17歳の少年たちからなる若い隊でした。その後15歳は除隊となり16歳、17歳の編制となりました。

[旧参道 鳥居を二つくぐると厳島神社]
慶応四年(1868年)8月22日、滝沢本陣で指揮をとっていた 松平容保は、西軍進攻の知らせを受け、白虎隊40名に出陣を命じます。少年たちは初陣に胸躍らせて戦場へと向かい勇敢に戦いますが、力及ばず退却となってしまいます。

すでに20名となった少年たちは疲労と空腹に耐え、猪苗代湖の水を会津へと通していた戸ノ口堰洞門をくぐりぬけ、飯盛山へとやっとの思いでたどりつきますが、ここで炎に包まれた鶴ヶ城と城下を目前にし、いさぎよく藩主に殉じようと自刃を決意するのです。20名のなかで1人だけ生き残った 飯沼貞吉 によって、白虎隊の忠義と悲運の物語は広く人々に知られるところとなりました。

[さざえ堂]
六角三層の旧正宗寺・円通三匝(さんそう)堂。寛政8(1796)年、郁堂和尚が考案建立したもの。さざえに似ていることから、さざえ堂と呼ばれる。階段がない螺旋状の坂を登っていくと、いつの間にか下りになっている不思議な回廊。この螺旋階段沿いに西国三十三観音像が安置されていましたが神仏分離令により取り外され、明治以降は皇朝二十四孝(会津藩道徳教本)の絵額を掲げている。

一度通ったところは二度と通らない。日本唯一、世界にも例のない名建築とされている。