ピアニストは一日8時間練習する。とうのをだいぶ以前に聞いたことがある。
声楽家は2時間くらいと。
以前、世界的な、声楽家が、毎日、何時間も練習して、学校へ入学した、という伝記を読んだこともある。
ランランというピアニストのことを昨年のクラシカジャパンで知った。
演奏を聞いたことはなかった。
図書館で、題名を見て、興味を持った。
幼いころから、毎日毎日、父親の監視の下で練習を重ねたこと。
当初はコンクールで優勝することを、目的にしていたこと。
ピアノが、励みであり、慰めであったこと。
やがて、ドイツやアメリカで活動をし、色々な指導を受けながら、挫折したり、認められたりしつつ
成長していったこと。
練習量の物凄さは、半端なものではなかった。
ただ、成長とともに、変わった物としては、コンクール目的から、演奏に主眼がうつったことを知った。
しかしながら、彼は幼いころから、演奏する時には、いつも何かしらイメージしていたということも知った。
演奏はすべて、イメージしながら、行うものだということを、日常の合唱練習でも、指導者から言われている。
指導者がリサイタルをする時も、イメージをいつも考えているという話も聞いた。
合唱の時に、強弱だとか、演奏記号について、指導者から、よく注意を受ける。
音取りの段階でも、イメージを言われることもある。
音符を正確に取ること。
強弱や演奏記号を忠実にすること。
それだけでは、音楽にはならない。
よい演奏にならない。
先日の、プロの合唱団の演奏について、曲をよく知る者は、概ね低い評価をした。
中には、酷評とも言える言葉もあった。
プロだから、技術としての演奏は、高い評価を得た。
演奏としての、心の問題で、聞く者に不満を多く与えたのは、このイメージ作りが
良くなかったのではないかと思う。
素人が同じ曲を演奏した時、「鳥肌がたちました」と評価してくださった人がいました。
プロの演奏を聞いて、音色がきれいだったとか、響きが素敵だったという声は聞いたが、
「感動した」とか「鳥肌が」という声は、聞こえなかった。
演奏の姿勢というものを、再認識した。
奇跡のピアニスト
郎朗自伝
一歩ずつ進めば夢はかなう
郎朗+ディヴィッド・リッツ著
野澤敦子訳
WEVE出版