旅の始まりは盛岡
少し紅葉が始まったか
田代湖への分岐
旅の始まりは盛岡。東京から新幹線で一時間半足らず。駅付近は水害の跡などつゆほどもなく、皆元気に行き交っている。ここからレンタカーでスタート。
暖かい日が続いたせいか窓の外はまだ青々として、紅葉の気配がない。少しはやまったかと逡巡しながら、在来線(新幹線と共用)沿線をゆく。空は曇り空だがまずまず。
山道に入り、少し色づいてきたなあと思ったら、本日第一目標地・乳頭温泉秘湯鶴の湯。早速門を潜り湯船に飛び込む。上がって説明を聞いたらここは混浴だそうだ。そういえば女性も端の方にいたような気もする。
鄙びた湯治場の雰囲気が残るが、ここはまだ観光客が多く、この先は更に鄙びてくるという。乳白色の柔らかい湯で、浅い砂利の底から湯が吹き出てくる。温めの湯が気持ち良い。露天風呂にゆったり浸かって、仕上げにもう一箇所屋内の湯船に入り、体を十分温めて出た。
看板がお出迎え
秘湯だそうだ、
到着
何故か小さな部屋が並ぶ
湯治場の名残か
全山紅葉の東北
旅の始まりは盛岡
新幹線の分離
ご当地キャラのアピール
概況
10月の終わり、長男の案内で東北、世界遺産の白神山地を5日間旅してきた。天候不順で紅葉はどうかと思われたが、全山紅葉、そのボリュームに圧倒された。日本一、いや世界一と言えるほどの迫力であった。
五所川原のねぶた、数々の温泉群、日本海、弘前城址、岩木山、十二湖、五能線など、流石に東北は「僕の庭だ」と豪語する長男だけあって、ポイントを外さず、かねてから一度は歩いてみたいと思ってた白神山地も散策でき、大満足の旅であった。
夜の居酒屋でも、饒舌ではないがジワーとくるおもてなしに包まれる。東北独特の暖かさにほっこりした気分になり、これぞジャパンと得心。
基本的には「旅は何処にゆくか、より誰と行くか」により満足度が違う、を再確認した。旅行中何くれとなく気を配ってくた家人の支えがあったことは言うまでもない。詳細は次回以降に。
会ったのは国技館界隈
昔勤めていた会社のOBが二人訪ねてきてくれた。というか付き合いは今でもしているのだが、名古屋(愛知県)あたりにいる友人が、上京の折に訪ねてくれた。両国駅近くで旧交を温めた。
そういえば先日も畏友が上京し奥さんともども会ってくれた。昼食を一緒にし、出身地の福島県のパイロットショップを案内してくれた。いつもながら行き届いた配慮であった。感謝
今回は年齢も近く、気のおけない同僚感覚である。私の病状をしきりに気にしてくれるが、まあ経緯位は説明するが、あんまりこんな話をしていても埒が明かない。先日の東北旅行や、親孝行や同僚近況の話等他愛もない話に移る。
こうした世間話がなんだかとっても癒しになる。年取ったなあ。話は尽きずコーヒー一杯で2時間も時間が経った。こんな時間が老後のゴールデンタイムというのだろうな。二人の友人に大いに感謝である。
やっぱり冷える。山の冷気は格別だ。といったわけで、早々にストーブを焚いた。火はなぜか見ていると「ほっと」する。首里城を焼き尽くした、猛火はちょっといただけないが・・・。
人類が日を手にしたときの、高揚感はいかばかりだったのだろうか。それまで日没で制限されていた夜が、照明、暖房、調理、武器、など多目的に使用できる道具を手にした。しかもまさに「アンダーコントロール」で。
まさに身を守る道具としては最適な物を手に入れたのだ。これらの活用を考える過程で、人類は進歩してきたのではないかとさえ考えてしまう。
さておきチロチロと燃える赤い火に何か守られているように思うのは、少し考えすぎか。さあ薪の柔らかい日を楽しもうか。
東北の絢爛豪華な紅葉には圧倒されたけど、こちらも負けずに盛りを見せていた。奥横谷峡のあたり1800mきんぺんは今や最盛期、観光バスが止まるほどで、見頃である。白樺はすっかり葉を落としているが、白い幹がきれいだ。
並木の紅葉が色とりどりに色づき、この辺りの紅葉最盛期を知らせる。展望台から眺める南アルプスはシルエットが重なり,まるで天使の裳裾のように美しい。
南アルプスー鳳凰三山ー甲斐駒ー仙丈、中央アルプスー空木ー木曽駒ー御岳、乗鞍ー北アルプスと稜線は続く。南アルプスを除きほとんどの山は頂きを踏んだのだが、今となっては懐かしい思い出ばかりである。
南アルプス甲斐駒ヶ岳ー仙丈岳
雄大な御嶽山
奥横谷峡の紅葉
また山に来た。東京の入院生活を終えると何故か早く離れたくなる。今回も長逗留はできないが、一目散に蓼科まで来た。ついでに麦草峠まで足を伸ばし、横谷渓谷上部を覗いた。
紅葉はもう身の回り迄>降りてきている。快晴の中阿弥陀岳、赤岳、権現と連なる山々がスカイラインをきれいに見せている。空気はとてもいい。内臓の中まで洗われるようだ。これで健康に悪いはずはないと確信。
ケント・ギルバート「儒教に支配された中国人と韓国人の悲劇」講談社文庫2017年刊
義兄が見繕ってくれた本で、手軽に読めそうな題名なので、手にとって読んでみて、ちょっと驚いた。
人口に膾炙している俗説をなぞらえ、日本人に迎合したような本である。学問的にどうこうというものではなく、中国人は儒教をもとに自己中心的な性格を強めている。韓国人は日本人を弟分として一段低く見ている。というのが論議の出発点である。
欧米人特有の分かりやすい論拠ではあるが説得力、根拠には乏しい。しかし主張は明確で紛れがないので、情感にはストレートに入ってくる。嫌韓・嫌中のムード醸成には有効だろうが、「だからどうしてこの困った友人たちとの状態を改善するのだ」という回答はない。ちょっと危険な感じがする本である。
日本人に「自信と誇りを持て」と言われても。根拠のないそれほど危ういものはないと思う。この本が発売以来15版も発行を続けているのが何やら不気味ではある。
池井戸潤「7つの会議」集英社文庫2012年刊
お馴染み池井戸潤の企業内事件小説だ。「下町ロケット」「陸王」「ノーサイドゲーム」などで企業内外の人間模様を描き、その機微に触れ読者を飽きさせない力量は流石である。
本書はは少し趣向を凝らし、8篇の短編からなるが、それぞれは同じ企業内のエピソードを語り、底辺に流れるテーマと微妙に絡んでゆく。それだけではなく、初めの方にそれとなく出てくる登場人物が、実は全体を左右する重要なキーマンだと。最後の8篇目で解き明かされる。
銀行員やサラリーマンを描かせたら天下一品の著者がここでも力量を発揮して、読むものを引きつける。お得意の世界にグイグイと引っ張ってゆく。サラリーマンの野心、意気込み、悲哀などが多方面から描かれる。
エンターテイメントとして、また病院の備え付け文庫として最適な読み物のような気がする。
美しい水の公園が続く
せせらぎが流れる
振り返れば焼岳
川は流れる
整備されたみち
キラキラと太陽を反射させて水は流れる
河童橋からも梓川右岸を遡る。林の中の整備された木道を木漏れ日の中、快適に歩く。空は雲ひとつない快晴。川は太陽を反射しキラキラと煌く。紅葉にはまだ少し早かったが、それでも十分楽しめたハイキングであった。
明神橋を渡り(いつも味わう嘉門次小屋の岩魚の骨酒は今回自粛した)明神館前のテーブルで昼食をとり、ソフトクリームを味わう。これも見場は悪いがミルク味が濃くなかなかイケた。ここからは左岸の林の中の土道をのんびり下る。小梨平にはいつもの絵描きおじさんのテントも健在だった。
退院後大正池から約10kmの歩行は初めてであったが、大した支障もなく歩き通せたことも嬉しかった。水の公園上高地はいつ来ても、何度来てもいいところだ。
この木道のすぐ先に明神池がある
明神橋が見えた
橋に到着
橋から河原を見る
橋を渡る
徳沢への標識
明神岳の偉容
左岸にもきれいな水が流れる
小梨平に到着
至るところに水が流れる
梓川沿いの道
随所に顔を覗かせる穂高連峰
梓川も瀬音を響かせ流れる
右岸の道
河童橋到着
橋の袂、右岸のベンチ
橋から覗く稜線
今年はまだ冠雪が来てない
それにしてもよく晴れ、雲ひとつ浮かんでいない。右岸をずーっと遡り、シンボル河童橋に到着。以前よりまた一段と外国人、特に中国人が多いように感じる。
河童橋付近では、河原でも、道端でもポーズを決めて記念撮影に余念がない。ちょっと傍若無人である。ヨーロッパ系と思しき外国人もいるが、彼らはどこか思索的で物静かである。
中国人が道端で撮影をしていたので、横切るのを控えていたら「謝謝」と声をかけられた。少しずつ彼らも進歩しているのだろう。日本人も農協旅行で名を馳せた時代はこんな具合だったのだろう。
河童橋から少しの間、水の脇を歩く。相変わらず右岸の道だがここは遊歩道として整備してあり、イワナが戯れる水辺は快適である。のんびり明神池に向かって歩を進めた。
林の中の道
ここにも水が奔る
よく整備された木道
まさに水の公園だ
木のオブジェ