遅いことは猫でもやる

まずは昔メールした内容をひっぱってきて練習...
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飲み会三昧 その一

2018-07-25 02:24:27 | 友人・知人

盛り上がる飲み会

暑い刈谷での滞在をなるべく短期間にしようと、お誘いを受けた飲み会を集中させた結果、3連チャンになった。最初は鈴蘭会という研修仲間との会。愛知県主催の次世代経営者研修会の面々だ。海軍経理学校出身の元銀行員の指導講師が、年に一回鈴蘭高原にある別荘に泊まりゴルフをやることから鈴蘭会という名がついた。

講師のF先生は、多少癖のある人ではあったが数多の受講生の中から選んだメンバーは、皆素直で向学心に燃え、比較的温和な性格の人がおおかった。先生はもう亡くなられて何年になるだろうか。研修会の席で私なんぞはよくいじられた。曰く「俺を馬鹿にしている」「斜めを向いて講義を聞いている」等々。いつも同じセリフだったが、今から考えると先生はご自身がとても寂しかったのだと思う。

そんな深層心理を理解せず、表面的にだけ対応していた自分が情けない。没後10年近くこの会が続くのは、幹事役を自主的にやってくれているY君のこまめな連絡に負うことが大きいが、参加者が大方2代目経営者で、恵まれた環境にあることも事実である。

みんな相応に年令を重ね、酒の量も減ってきてはいるが、10年前の気分は忘れず、こういう場でも互いの情報交換はしっかりやっていた。

時代を映す

2018-07-13 07:10:02 | 友人・知人

最後の昼食

楽しかった2日間のクラス会の最後は、松本駅近くのホテルの中華レストランでのオーダーバイキング。好天に恵まれ、やや過密なスケジュールではあったがそれなりに充実しており、まだまだみんな元気いっぱいであった。

軽くビールで乾杯し、次の開催は来年、伊東あたりで東京勢が担当するということに決まった。相変わらず他愛もない話題で盛り上がったが、こうして昔の仲間と交歓するというのは、なぜにこんなに楽しいのか。謎である。

料理は2,3品はレストランで用意してあるもの。その後はめいめいオーダーしてください、というものだったが、なかなか個別のオーダーが出てこない。ふと感じたのは我々の世代はTVのチャンネルを握って育った。飯は定食メニューで育ってきた。

今どきの子は、TVよりメール、スマホの時代だ。個人の好みが細分化しているので、オーダーバイキングは受けるのだろうが、我々の世代はちょっと違うのではないか。

とにあれ楽しい2日間は無事終了。せっかく松本まで来たのでお世話になった広明字の庵主さんのところに顔を出してゆこうと思い付き、クラスメートに別れを告げた。

青春の信大へ

2018-07-01 00:08:27 | 友人・知人

特急スーパーあずさ

スーパーあずさの車内

2年ぶりに大学のクラス会が開かれることになった。前回は名古屋の我々が企画・運営を担当した。今回は長野勢のクラスメートがが担当で、とりあえず松本駅集合である。

東京に用事もあったので、新宿から特急スーパーあずさ11号に乗り松本を目指す。久しぶりに乗る中央線の特急車両はモダンである。新宿発10時松本着12時31分に乗り込む。集合時間は2時なので、少々余裕がある。松本の街を久しぶりに散策したいと行程を組んだのだ。


松本駅お城口正面

松本駅アルプス口

松本到着。駅前は学生時代とは面影が全く変わり、コンクリートの建物が取り巻いている。美味しい蕎麦屋さんを駅の案内所で紹介してもらう。2軒ほど教えてもらい、本町の丸周という店に向かう。学生時代にはなかった店だ。店主に聞いたらここはその頃は同じ名前の印刷屋だったとのことだった。

頼んだのは10割蕎麦。きちんと打ってあり、たれもいい味である。店の作りも昔の印刷会社の古民家を生かして風情があった。店主の客あしらいもほどがよく「松本に帰ってきた」という感を深くした。

近代的にリニューアルした街を味わいながら再び駅に向かい、友が待つアルプス口で2年ぶりに再開。指し回しのマイクロバスで、熊井啓記念館を見学の後本日の宿泊施設ほりでー湯に向かった。

久しぶりの旧友との会はすぐに昔のコンパの雰囲気に戻り、皆50年前と同じになった。昔の仲間と一緒になるというのはなぜこんなに癒やされるのだろうか。

ほりでー湯

緑に囲まれた宿泊施設

いい湯でした

雲たなびく朝

朝食会場

32回めの厄年同年会

2018-05-27 02:17:42 | 友人・知人

恒例のバス旅行

バスの中は和気藹々

厄年(数え年42才)に始まった同年会の旅行会が今年で32回を数える。第一回は雪の永平寺を訪ね、その足で厄落としに山中温泉に向かいどんちゃん騒ぎで始まった。当時は参加者も40人近くを数え、皆よく酒を飲んだ。

35年近く経った今では参加者は17人、宴会の酒の量は10万円を超えていたのが、今や僅か8000円台である。日本酒を飲んだのは17人の内ほぼ私だけなのだから、酒の量がいかに減ったかがわかろうというものだ。

尋ねる先も、遠州森町の小国神社、日蓮正宗本山大石寺、日蓮宗本山・身延山久遠寺、などを回る、年相応の訪問先となってきた。

毎年1泊2日であちこちを回るのだが、この日程で回る名所旧蹟はあらかた行ってしまったのもあるのだろう。
まあ何処にいくというより、誰と行くのほうが重要なので、皆「やあやあ」とバスで顔を会わせるなりすぐに打ちとける。


小国神社参拝路

巨大切り株

参拝路

本殿

八王子社

最初は遠州森町の小國神社。大国主命が祭神の由緒ある神社である。新緑の美しい参道を進んでゆくと巨大な切り株が祀ってある。屋久島のウイルソン株ほどではないが幹周り8~9mはあろうかという大きさだ。巨木に神を感じるのは南北いずれも同じ心情なのだろう。

本殿で手を合わせ、家族の健康とこの会の無事故を祈った。本日も快晴である。




旧友

2018-05-12 10:07:41 | 友人・知人

彼は相変わらずスリムである

二人の揃い踏み

学生時代を一緒に過ごした50年来の友人と久しぶりに名古屋で合うことになった。一人は高校ー大学と7年間共に過ごし、学部も下宿も同じだった友人のK君だ。もうひとりは学部は違うが大学時代の下宿だったお寺で隣の部屋に来た男で彼が名古屋出身だったこともあり、以来50年近くお付き合いをさせていただいている、一年後輩のM君である。

ところが昼に名古屋駅港内で待ち合わせの約束で行ってみると、K君はいたが、M君の姿が見えない。なんでも来週から入院だと聞いているので、溶体でも急変したかと心配になる。約束時間を過ぎても連絡がない。10分毎に携帯電話にかけても留守電になってしまう。

30分ほど待ったが姿を現さないので、やむを得ず二人だけで昼飯に行くことにした。Kくんの話はいつも歯切れがよく、聞いていても気持ちが良い。昼間からワインを楽しみながら近況報告をお互いにしあっていて、ふと携帯を見たら、くだんの後輩から着信があった。

こちらから改めてかけ直してみると、なんと自宅にいるとのこと。約束を翌日と勘違いしていたという。すぐ出ておいでと誘い、名古屋駅で待ち合わせる。昨年のクラス会でK君もやらかした日程の勘違いを彼もやらかしたらしい。

30分後無事に顔合わせが出来、とりとめもない話が弾んだ。なにか目的があるわけでもないのに、こうして顔を合わせるだけで、癒やされるのはなぜなんだろう。旧友とはありがたいものである。

嬉しい心遣い

2018-02-17 10:34:29 | 友人・知人


先日の「おでんしゃ」の2次会席上、「貸していただいている本の2/3程読みました。」といわゆる畏友に話をした。この方はD社の元役員で、若いのに今は悠々自適の境遇。ロータリークラブ時代ご一緒した時、ゴルフも碁も麻雀も何もかもよくできた方で、しかも謙虚な人であった。

上場企業の役員とはこんなすごい人がなっているんだとそれ以来尊敬の念を抱いていたが、ロータリークラブ卒業後もお付き合いさせていただいている。彼は読書家でもある。寸時を惜しんで本に向かう姿も印象的であった。

その彼が、早速「おでんしゃ」の翌日、本の入れ替えに訪れてくれた。行動がスピーディである。このところ寒さと白内障の治療で外出もままならず、読書量が増えている身としては有り難い。その辺のところも慮っての配慮にただただ感謝である。

恩師への追憶

2017-12-31 00:24:53 | 友人・知人


年賀の挨拶には少し早いが、年末の息抜きに(私は年中息を抜いているのだが)市の保養施設に立ち寄った。夕食時間、家族連れや知人と賑やかに盃を傾ける人達の中で、静かにご飯を食している品の良いご婦人が隣りにいた。

我々より少し年上で、銀髪の上品な方である。お一人なので家のカミさんが声をかけた。そうしたらなんとその方は私の中学校時代、あるいは卒業してからもお世話になった、理科の先生の奥様だった。

子供心にも科目への興味や、明るく積極的な生き方の刺激を与えてくれた、まさに恩師と言うべき先生だった。あだ名はたしか「ぺっしゃん」と呼ばれ、私は大変可愛がられた覚えがある。卒業してからも同年会で「薄墨桜」を刈谷中の学校に植樹しようとした時、大抵の学校長は「桜は虫がつくのでちょっと」と尻込みする中、「ペッしゃん」だけは、虫が付くのも自然の一部、虫が来れば鳥も来るので、私の学校に是非植えてくれ、と励ましてくれた。

おかげでそこが口開けになり、刈谷市中の学校、幼稚園の庭に薄墨桜を植えることができた。放送部に誘っていただいたが生憎変声期の真っ只中で、マイクテストで声が出ず、残念ながら立ち消えになった。今でも口惜しい。また課外授業で天体観測を校庭でやったが、日が暮れてから学校に行き直し、土星の輪を見たのも思い出である。

その先生も亡くなられて一年になるという。歳の終わりに大事な人のことを思い出し、少し感慨に耽った。

今年一年間ありがとうございました。皆様,良い年をお迎えください。

喪中はがき

2017-11-24 04:27:14 | 友人・知人


そろそろ年賀状のシーズンだ。今年は殊の外喪中はがきが多く来るように思う。以前はご両親やおじさんおばさんの訃報だったが、この頃はご兄弟のものが多い。子供の訃報でないのがせめてもの救いだが、やはり身近な人が亡くなるというのは寒さだけでなく身に沁みると思う。

せめてとの思いで、極力お悔やみのハガキを返信するようにしているが、それでも年末年始は寂しいだろうなあ、と暗然とする。私自身はポックリ逝くなら、そんなに未練はないのだが、万一寝たきりになったらどうしようか、と喪中はがきを前に要らぬ心配をしているこの頃である。

友(の獲物)遠方より来る。また楽しからずや

2017-11-15 05:44:09 | 友人・知人


先日クール宅急便で鮎とアオリイカがどっさり届いた。

湖東三山巡りにに興じている最中、マイクロバスに電話がかかってきた。表示を見れば名古屋の友人G君である。彼は相当のグルメで、美味しくてリーズナブルなお店を今まで何軒も紹介してくれた。

奥さんもスポーツマン美人で、サパサパしていて明るく感じが良い。G君は兄弟で運送業を営み、元気に仕事に励んでいる。彼等は人間関係を深めることにも長けていて、良いお店の主人や奥さんとは大抵つながっている。

G君は釣りにも凝っていて鮎や海釣りにも出掛ける。遠く九州球磨川や九頭竜川まで遠征するから本物だ。暫く前に船を買って海にも力を入れていると聞いた。

その彼から何の電話かと耳を澄ませれば、「今年は鮎が不漁であんまり送れない、代わりにアオリイカを混ぜて送る」と宣う。今は刈谷か蓼科かどちらに居るのかという問い合わせだった。思い出してくれるだけでも嬉しいのに、お魚まで送ってくれるという。とても嬉しい。

早速鮎は塩焼き、イカは解凍して刺身で少し頂いた。旨い!特にイカはねっとりと甘い。日本酒にはもってこいだ。これは数晩楽しめそうだ。私はこういう特技がないので、何かとびきりの美味しい物を見つけてお返しをせねば・・・。

社友会(2)

2016-11-06 01:23:36 | 友人・知人
   蒲郡クラッシクホテル
   三河湾と竹島
   結婚式を終えてミゼットへ

社友会の食事は蒲郡クラシックホテルであった。昔の蒲郡プリンスホテルである。さすがに高台にあり、緑に包まれた建物は堂々としている。ここはそもそもはタキヒョーの別邸であったらしい。

散策をしていると、笙・篳篥や祝詞の声が聞こえ、折しも結婚式が邸内で行われていた。近くに行ってみると新郎新婦が手を取り合って出てくるところであった。参列者を置いてきぼりにして、二人だけで何故かミゼットに乗り込み披露宴会場へと向かう。

昼食は六角亭という別館。ちょっと高級な鉄板焼を頂く。なかなか美味しい。今回、全体は倹約をしてはいるが、ワンポイントこうした豪華なところがあるのは中々良いものである。ゆっくりと食事と会話を楽しみ、芝生の庭で記念撮影をして帰路についた。

今までにはない、ちょっと小洒落た会合であった。

   六角亭
    鉄板焼き