遅いことは猫でもやる

まずは昔メールした内容をひっぱってきて練習...
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社友会

2016-11-05 00:13:02 | 友人・知人

   蒲郡駅前のエリカ号 ここが母港だったのか

年に一度の社友会の行事が今回は蒲郡で日帰りで行われた。しかも蒲郡駅集合、解散という節約行程である。この駅で降りるのは何十年ぶりであろうか。駅舎は当然新しくなっており、駅前に単独世界一周を成し遂げた、エリカ号が飾ってある。

駅前の生命の海科学館へ入る。つい前日報道された、新種の鯨だと認定されたインカクジラの化石が入口に展示されている。ペルーから購入したクジラの化石が様々な研究、検証の結果、新種ということになったらしい。その他大木が珪化木になっているものや、化石の展示などがあり、日常とは違った物に触れ新鮮であった。

何時もと違った社友会のこういう試みも新鮮味があって良いものである。

   新種の鯨だと認定されたインカクジラの化石

   恐竜の足のレプリカ

   首長恐竜の復元模型

気楽な同窓会

2016-11-04 09:44:51 | 友人・知人


年に2,3回ほど顔を合わせ気楽に話をするJC時代の仲間がいる。JC時代、副理事長として支えてくれた仲間だ。残念ながら専務理事は若くして他界してしまったが、4人の副理事長は健在である。しかし近年あちこちにひずみが出てきた。

今回は急な召集ではあったが、一人が転んで腰を打ったということで欠席だった。ちょっと気になる。

それはさておき、近所の居酒屋での集まりは、肩に力が入らず、うまい日本酒で話はいつものようにはずんだ。同じ経営者という立場で、企業繁栄と、加えて社会正義を追求してきたのが共通の方向なのだから、気持ちが悪かろうはずがない。

つい酒も進んで、6時半から4時間近くの宴となった。命の洗濯と言うのは、こんなひと時のことを言うのだろう。

友集う

2016-10-24 23:21:19 | 友人・知人


 
先週の半ば、滋賀長浜で大学時代のクラス会をやった。昨年急逝した友人の「偲ぶ会」を東京両国で行った際、出席した有志からきちんとしたクラス会を久しぶりにやろうという話になり、日本の真ん中・名古屋にいる私とȲ君が幹事を引き受けた。

21人の同級生の内出席は15名、これが多いのか少ないのか不明ではあるが、久しぶりに顔を合わせたメンバーは皆元気で、老け込んだ様子はなかった。もっと大きな大学で大勢のクラスメイトがいる学科を卒業したら、こんなに緊密な間柄にはならなかっただろう。もっとも同窓会の常で、会ってものの15分も話をしていれば、すっかり昔に戻ってしまい、容貌などは関係なくなってしまう。

しかしまあ、酒の量は激減した。50年以上経っているので当たり前であるが、昔のコンパでの酒の量とは段違いである。酒をほとんど飲まなくなった方もいる。

出席者それぞれから近況報告を受けたが、さすが最高学府を卒業した強者ぞろいで、大部分勤めを終えた人が多いにも拘らず、人前で話をすることに違和感がない。その内容も、趣味、社会貢献、スポーツ、など幅広く、仲々の余生を送っている。「友が皆われより偉く見ゆる日よ・・・。」の心境である。

そんなことは小さいことで、酒を酌み交わし、話を聞いたり話したりしていれば、何故か心地よい。我々の特長としては、あんまり過去の思い出話に偏重した話題にはならない。不思議なもので70年の歲月の中でわずか4年一緒に過ごしただけなのに、一生の友人なのである。これが青春ということなのだろうか。宴は中々お開きにならず4時間近く続いた。


厄年同年会

2016-09-28 10:46:46 | 友人・知人


35年前、男の厄年、数え42歳の大厄の厄払いを皆でしようと、氏神神社の氏子(実際には小中学校の同級生に呼びかけて)が集まって大晦日にお祓いを受け、酒や甘酒などの振る舞いをし、お寺で餅投げや節分豆まきなどをして厄落としをした。仕上げは多度大社と、永平寺に参拝し北陸の温泉で厄落としをすることを一大行事として行った。田舎の伝統行事である。

通常はそれで一応解散となるのだが、何故か我々の仲間はそれで終わるのはもったいないとして、それから毎年花見、薄墨桜の植樹、総会、旅行、奥様プレゼント、とプログラムを整え、30年にわたって会を続けてきた。10年ほど前から会員も定年を迎え、会から離脱する人が徐々に増え、大厄の折55名を数えたメンバーも今は18名になった。行事も今や総会と懇親旅行というシンプルなものだ。

運営も班編成でしていたのだが、それも5班から3班になり、少しさみしい。私も終身会長を仰せつかっているのだが、それでも1班に属し、この日は担当の総会、旅行の打ち合わせだ。

もうほとんど現役を退いているので、集まりは至極出席率が良い。特別なこともないので、総会も旅行の手はずもトントンと決まったが、新しく見当議題になったのは この会をいつまで存続させるかである。老人会を仕切っているメンバーが、80歳を越えると急激に会員数が減少する、という情報を提供してくれる。

結局なにか目標を作ったほうが良い、その目標までは続けよう、ということになり、出てきたのが①豊洲市場の完成見学、②77歳会員追悼会、③東京オリンピック観戦、③リニア新幹線乗車、などを目標にしてはということであった。10年先では少し長い。長くても7~8年先を目標にするというのはまあ妥当なところではなかろうか。思えば遠くまで来たものである。

10年ぶりの再会

2016-09-25 15:07:53 | 友人・知人
   近況報告
   記念撮影

刈谷市とカナダ・ミササガ市は姉妹都市提携をしている。提携25周年の節目の年に、20名の訪問団を結成してカナダに行ったのは2006年のことだ。

今年で10年になり、そのことで久しぶりに同窓会をやろうということになった。出席者は16名、よく集まってくれたものである。さすがに10年の年月は長く、自分を含め随分歳をとったと思う。しかし学校のクラス会と同じで、話をしているとすぐに10年前に戻り、垣根が取れてくる。

結婚をした人、孫が増えた人、介護に精を出している人、相変わらずお稽古ごとを続けている人、様々である。ただこうして発展し続けているのは、やはり刈谷が豊かな街の証左であろう。刈谷市もミササガ市も10年前に比べれば市長も変わり、ワールドカップも南アフリカ、ドイツ、ブラジルと3回開催されている。

時の流れは容赦ない。しかし人のつながりは温かいものだ。ほっこり楽しく思い出話や、身の回りのことを話しているうちに3時間は瞬く間に過ぎ、次回の開催を約して散会した。

友遠方より来る

2016-09-17 11:25:34 | 友人・知人
   御射鹿池は今日も静かだ
   湖畔で水彩画を描く人たち
   友人二人

名古屋と岐阜に住む友人二人が遊びに来てくれた。彩山岳会というプライベートな山行をしてきたグループの仲間である。かねて避暑を兼ねて遊びに来たらと誘っていたのだが、お二人は遠慮深くなかなか実現しなかった。

初めてのことで、当方としては精一杯歓迎すべくいろいろ準備はしたが、何より天気がイマイチで、曇りがちの空がすっきりした気分への転換を妨げていた。

それで、最初に案内したのは東山魁夷の絵の題材となった御射鹿池。山と樹々に抱かれた池は今日も静かに水を湛え、湖面に濃淡の緑を写していた。畔では写生旅行に来た一団が熱心に筆を走らせている。ここは確かに雰囲気があるところだ。

続いて林の中の竜神池遊歩道を散策し、尖石縄文遺跡を見て、博物館に立ち寄った。例によって学芸員に説明をお願いし、縄文のビーナス、仮面の女神の2つの国宝土偶の説明をしてもらう。何時もながら、好きで研究している人の説明は面白い。

早目の夕食は定番のBBQ、デッキでビールと日本酒を楽しんだ。すっかり日が暮れるまで話が弾み、久しぶりに私も痛飲した。

   尖石遺跡への案内板
   尖石:上面の滑らかな面が石器を磨いた跡だと言われている

翌日は女神湖まで足を伸ばし、湖畔の周回道路を散歩したが、取っ付きの木道、湿原の花々は季節が少し遅く、盛りを過ぎていた。

女神湖も水が少なく、蓼科山や白樺高原スキー場は僅かに雲が取れて全貌を見せてくれたが、やはりすっきりとした青空はなく、訪れた人たちもあまり弾んだ気分ではなかったようでした。

湖畔に伊藤?左千夫の歌が刻まれた女神像が立っていたが、歌の筆跡が読めず残念な思いをした。筆で書かれた字をもう少し勉強しておくとこんな時役立つのだが・・。

それでも二人はこの二日間のんびり過ごしてくれたようで、もしこれがストレス解消の癒しになったのなら嬉しい。

    雲が取れてきた蓼科山
   湖畔に立つ女神像

友からの贈り物

2016-09-13 05:57:42 | 友人・知人



古くからの山友達G君から、久しぶりに便りが届いた。川魚が取れたから送ってやる、という嬉しい知らせだった。

彼とは20年ほど前から一緒に山に行った仲間である。近年重心を釣りに移行しており、漁船を持つほどの凝り性である。またグルメにも関心が強く、彼がこれはと推薦してくれたお店は、外れたことがない。奥さんがまたセンスの良い元気者で、夫婦が良いコンビで我々を楽しませてくれる。機会があったらその辺りも紹介したい。

数日経って現物が届いた。いずれも大振りなヤマメと鮎、30センチ近くある立派なものだ。多分遠くまで釣りに行ったのだろう。よほどの大漁だったのだろうか。
こんなに大きなものはめったにお目にかかれない。しかも20匹位もある。

8月に今年は鮎を味わっていないので、上田辺りまで食べに行こうかと話にはでていたのだが、腰を上げずじまいだった。それをまるで見ていたような知らせである。早速塩焼きにして頂こう。
それにしても立派な魚体だ。持つべきものは友である。なにかお返しをしておかねば・・。

畏友の配慮

2016-08-09 00:17:11 | 友人・知人


刈谷に帰った折、忙しい時間を縫って畏友から電話があった。「暫く交換していないので、よかったら本の交換に行きます」と言ってくれた。前回借りた本はおよそ4分の3くらい読んでしまったので、嬉しい。

後で聞いたのだが、つい先ごろまでオーストラリアに10日間行っておられたそうだ。

何かとお忙しいのにもかかわらず、電話後2時間くらいの間に届けてくれた。この行動力にも感謝である。専用ケース2ツ分である。これでまた山に戻っても充実した毎日が過ごせる。以前の分もあるのでこれで当分読み物に困らない。

この辺りの配慮にとても感謝している。

旧スタッフの還暦

2016-08-08 08:43:08 | 友人・知人
   宴会の料理 焼き野菜

暑い名古屋に帰ったのはもう一つ、ロータリークラブをやっていた折、支えてくれたスタッフとの久しぶりの懇親会が理由だった。

幹事役を務めてくれた彼が、もうすぐ会長職になることが決まっており、また今年、自身還暦を迎えることになったのを祝おうということである。

卒業してからも相変わらず幹事役を務めてくれ、何かと特徴のあるお店を探して設営してくれる。今回も野菜とお酒のの美味しい店であった。

しばらくぶりでの酒宴はいつもの様に盛り上がったが、酒豪の副会長夫妻が少しおとなしめであったのが気がかりではあった。

前回は篠島でフグを食べた折、相当飲んだが、今回は全体的に控えめで歳相応の酒量だといえる。とはいえ、私にとってはかなりの酔い心地であった。

同窓

2016-07-13 07:41:53 | 友人・知人
    懐かしい面々
    海の幸

現役の頃、経営に関しての勉強会で、旧海軍経理学校を出身の先生を中心としたものがあった。その人は入学の頃はビリに近い序列だったのだが、入学後猛勉強の努力を重ね、2番で卒業したというのを心の支えとしているひとである。

何時の頃か年に一回、鈴蘭高原にある先生の別荘で、ゴルフの会をやるようになっていた。こう言う会合でいつも言われていたのは「お前は会った頃斜に構え、オレを馬鹿にしていた」と、いわれない誤解を元に非難されるのが定番であった。周りの人もそんなことはないとわかっていながら酒の席の話題として繰り返し取り上げられた。

「また年寄りの繰り言か」と暖かく見守ってくれたのが、一緒に学んだ友人達だったのである。先生が亡くなってもう何年になるのだろうか。5年以上だとは思うのだが、今だに時々集まって思い出話や近況報告を交換しあっている。

今回は名古屋駅前の「佐渡に渡れ」という奇妙な店名の席で行われた。皆元気だった。というか殆ど変わっていなかった。この年齢になるとこう言う集まりが妙に懐かしく、居心地が良い。歳を寄ってきたのだと自覚する。一緒に勉強し、飲んだ仲間の暖かさがなんとも気持ちが良い。いい仲間が集まっている。もう一つの同窓会だ。

この日も気持よく料理を頂き、酔っ払って会を後にした。