遅いことは猫でもやる

まずは昔メールした内容をひっぱってきて練習...
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昔の仲間

2015-12-17 11:32:58 | 友人・知人


社会人として初めて世に出た時、勤務した会社のOB会に出席してきた。3ヶ月に一回のペースで名古屋で開かれるこの会はいつも15人から20人位の人員で、役員、部長、営業所長を勤めたくらいの人々が集まる。

何時も他愛のない昔話に集約されるのだが、最近は自分の半生、趣味、などを交代で発表している。今回は日本の伝統的な華道茶道についてである。発表者の奥様が茶道の高弟らしく、発祥から源左の力関係まで詳しく説明を受けた。

以下はその骨子である。
華道は京都六角堂・頂法寺のの専慶(池坊)が室町時代に確立したと言われる。一方茶道は鎌倉時代の村田珠光がわび茶の創始者と言われ、安土・桃山に至って千利休が完成したと伝えられる。茶道の心得は「四規七則」と説き、和敬静寂=お互いに仲良く、お互いに敬う、見た目だけでなく心清らかに、どんなときにも動じない心の四項目を挙げる。一期一会の気持ちで人に接する。
華道も茶道もいずれも家元制度をとり、世襲制で直系親族であり、弟子が家元を引き継ぐことはない。

また茶禅一味すなわちお茶を習うことは「禅の教え」を学ぶこと。一杯のお茶、つまり日々の何気ないものの中にこそ「仏」が存在する、ということである。茶道も華道も求道である。

ざっとこんな話を聞き、それを肴にと言っては失礼だが、話題にして一杯やる。しだい次第に昔話に話題が移っていったところでお開き。私はちょっと体調が優れなかったので二次会は失礼して帰途についた。

メンテナンス

2015-11-20 12:58:56 | 友人・知人


散歩道の傍らで電気工事の会社がメンテナンス工事をしている。親会社の中部電力の車もある。こんな人里離れた別荘地の電線を地道にメンテナンスしている。地域電力会社は伝統的にこんな工事も手抜きせずに手入れをしているのだろう。純民間会社ではこんな工事は後回しにされても文句はいえまい。ここには半官半民の良さが残っている。

先日、親友が脳梗塞で倒れ、入院をした。幸い事後の処理がよく、一命をとりとめ今はリハビリに取り組んでいる。私より年齢は1歳上だが、ロータリークラブに一緒に入会して以来の友達である。人を楽しませることが好きな、根っからの営業マンとも言うべき楽しい男だが、もともとは低血圧で健康には問題がなかった。

2週間ほど前、最初に見舞いに行った時にはよく話が通じなかったが、今回は半分くらい通じた。話の好きな男でよく喋るが、私のことを自分以上に喋るとよく言い合う。それでも、まだ意識が完全でないところが時々あり、本人の意欲とは別に混濁するところがあるのが痛々しい。

本人は、トイレは自分でできるので「洗面所まで連れて行け」というので、「医者の許可が出たら助けるよ」と言ったら、俺は今まで人のやらないことをやってきた、そうでなければ人生は切り開けない、と宣う。「その意気込みや良し」ではあるが、事は健康に関することである。あんまり素人考えでは危険なので今回は我慢してもらった。

今回は9月に別荘の庭先で倒れ、近所の人達の手助けで救急車を呼び、郡上八幡に運ばれ、そこからドクターヘリで岐阜大学附属病院まで運ばれたという。幸い処置がよく生命は取り留めたので、この機会に長年ほったらかしにしていた身体のメンテナンスをするつもりで腰を据えて頑張って欲しい、と思うばかりである。

兄弟会

2015-11-18 08:34:33 | 友人・知人
    このレストランで食事
    コーヒータイム

兄弟とは何やかやと理由をつけて年に1・2回顔を合わせることにしている。この3年間で、あっという間に6人いた兄弟が3人になってしまったが、残ったものは幸いにも元気である。

考えてみると先に逝った者より、心なしか自己主張の少ないものばかりのように思える。刈谷市内のレストランに集まり、特定の話題を決めることもなく、何となく話をするだけだが、やはり兄弟である。ほとんど気を使わなくて良いのが心地よい。

健康のこと、子供のこと、孫のこと、最近の政治のこと、とりとめのない話で食事を取りながら2時間、食後は座を変えて、コーヒータイム30分。お互いの無事を確認してサラリと別れた。同年会とはまた別の癒やしを感じる。こんな状況がいつまで続くのか。

幼なじみ

2015-11-16 16:01:42 | 友人・知人


刈谷という田舎に住んでいると、いろいろ地域のつながりがある。厄年同年会もその一つだ。男の厄年、数えで40歳の齢に神社、仏閣で揃って厄払いをしてもらうという習わしがある。

地元郷土社の神社の氏子がそもそもの単位なのだが、我々は少し範囲を広げ、小学校中学校の同窓生に呼びかけ、前厄、本厄、後厄の3年に亘って一緒に行動した。厄年に集まったのは55名ほどであった。

神社への寄付、お寺での豆まき、それぞれの祈祷、厄明けの旅行などである。我々の仲間は気の合うものが多く、厄年が終わっても、毎年集まっては市内の学校、公園へ薄墨桜の植樹、花見、総会、旅行などを行ってきた。

年とともに、近年はだんだん行事数も会員数も減り、当初の人数は19名にまで減ったが、和気藹々で今日まで続いている。この頃行事はは年一回の総会と一泊の懇親旅行だけとなった。

幼馴染の集まりは、顔を合わせるとすぐ昔に戻り元気になる。ただ、昔と比べ会合での酒の量は大幅に減った。会計や書記、議事進行係はそれなりに役職を果たしてくれており、会長に祭り上げられている私の出番は殆ど無い。

他愛もない集まりだが命の洗濯をしているようである。幼馴染というのは故郷そのものだろう。何故か母の胎内に戻ってきたような感がする。今日の総会もつつがなく終わった。

ミニクラス会

2015-11-04 05:29:11 | 友人・知人


友人の「偲ぶ会」の席上、この後「せっかく集まったのだからミニクラス会をやろう」という話がまとまり、会終了後近くの居酒屋で行うこととなった。両国駅前の江戸沢へ行ったが、あいにく5時までは準備中だと断られた。そんな時、誰かが「あの2階はネオンが付いているのでやっているのではないか」と指差した先に突撃、無事場所確保。

こう言う時同級生はありがたい。何の準備もなく集まるだけで自然発生的に会が始まる。お互いいろいろな道に進んだが、それを誇るわけでもなく、羨むわけでもなく、ざっくばらんな話し合いが始まる。

しかしまだ現役を続けている弁護士のH君がどうしても中心になりがちである。つくづく思うのだがこうした時の亡くなった友人は絶妙な取り回しであった。彼の人柄を思い出す。

会の終りには次回のクラス会のことが自然発生的に出て、来年の10月6,7日長浜でやろうということに衆議一決。程の良いところで切り上げて、解散となった。私もつくづく良い仲間に恵まれていると実感しながら家路についた。

偲ぶ会

2015-11-03 04:43:07 | 友人・知人
   皆思い出をしみじみと語る

10月の最終日曜日、3月に亡くなった友人を偲ぶ会が東京で行われた。山岳部が主催という形だが、準備段階から関与してきた。つくづく彼は良いチームに属していたと思う。彼もこのチームの伝統形成に寄与してはいると思うのだが、一朝一夕でこのチームが出来たわけではなかろう。第一皆前向きである。派閥争いや、反対のための反対はない。建設的な代案を示すか、配慮すべきポイントを示す。

役割分担も振られたらそれを淡々と引き受け、そのポジションで全力を尽くす。責任感は溢れるほどあり、準備に万全を尽くす。特筆すべきは情報の共有化である。関連の人々に情報は投げ、全員の意思を統一しておく。これらは山行計画立案の際に鍛え上げられたのだろう。

約100名の参加予定者であったが、欠席はわずか一名。会は仲間の司会で勧められ、委員長の挨拶に始まり、幼少、学生時代、会社時代の思い出、山岳活動、主催イベントの紹介などが披露された後、山岳部の歌=雲にうそぶく、春寂寥斉唱、遺族挨拶、記念撮影と順調に進んだ。故人の遺徳もあり皆形式に流れること無く、自分の言葉でしゃべっていた。

私は学生時代の思い出を語ったが、特に記憶に残っていたのは、二つの大人びた言動だった。卒業式当日同級生が集まって将来のことを語り合った。教師、銀行員、弁護士、など色々な抱負を語ったが、彼だけは年代別に仕事、会社、家族、社会、配偶者、最後に自分に尽くす、と語った。ふたつ目は社会人になって間もなく、大阪でクラス会をやった時のこと、2次会でみんなを元赤線地帯に連れて行ったことである。真面目な人間が多かった我々を見て社会勉強をさせようといった彼の配慮だったのだろう。

勉学はほとんどしなかったが、山岳部では珍しく4年間で卒業したのは、同級生が試験を受けてくれたり、代返をしたり、彼自身教授に直に談判に言ったりした社会性が寄与していたのだろう。

会の締めくくりは全員による歌の斉唱。山岳部でよく歌われている2つの歌で締めくくった。彼の人柄通りほのぼのとした会となった。彼も喜んでいるに違いない。

   全員肩を組んで春寂寥を


近郊散歩

2015-10-01 14:10:12 | 友人・知人
   尖石遺跡案内標識
   竪穴住居跡

畏友の我が家滞在最終日の午前中、近くの竜神池付近に散歩に行った。
林の中を抜け尖石遺跡の原っぱへ出る。さわやかな朝の光を浴びて森のなかを散歩するのは気持ちが良い。
静かな空気の中で、マイナスイオンを腹いっぱい吸って歩くのは、田舎暮らしの特権だ。

   森のなかを伸びる木道
   広がりを見せる竜神池
   木の間越の池

静かな林の中の散歩を終えて、次は御射鹿池へ。ここは相変わらず水を減らし、土手の工事中だ。大型ダンプとパワーシャベルが水位の下がった旧水際の草をこそげ取っている。よく晴れた空を移して池の水は青く澄み渡っていた。ここに住み着いているのか前に見た鴨が2匹水面に遊んでいた。奥の林の重層的な厚みと、水の透明さ、空を映している青、確かにここは絵の題材になりそうな場所である。しかも気持ちが染みこんでいく何かがある。

  池端に佇む友人
  水面に遊ぶ鴨
  静まりかえった御射鹿池

好漢 S氏

2011-09-17 16:54:21 | 友人・知人


R社に勤めていた頃の同僚にS氏がいる。所属の部署は違ったのだが、何故か気が合い、リタイアー後もお付き合いをしていただいている。つい先日もOB会でお会いした。

彼はいわゆる男前であるがキザな所がない。
一緒に勤めている頃からよく遊んだ。夜中まで飲み歩き、午前0時を回って名古
屋白川公園で、トランペットを吹いている若者からそれを借り、彼が吹いてみせ
たこともある。サウナで寝ていたら、となりに寝ていた彼はゲイと間違われて襲
われそうになり、飛び出したこともある。

千葉に勤務していた頃遊びに行ったこともある。御宿の浜を訪れたこともある。酒が強く、飲兵衛であるが、大きく乱れたことがない。気安く楽しい酒であるが、何処か育ちの良さが滲み出る。
仙台出張の折、ミス七夕と知り合い、奥さんにした果報者である。奥方は勿論美人だが、この人
もお高く止まっているタイプではなく、庶民的でしっかりした働き者である。
多治見の家に2,3度お邪魔をしたことがあるが、楽しい家庭だ。

聞くところによると、S家には家系図があり、由緒正しい家柄らしい。また「ごんぎつね」で有名な新美南吉が彼の生まれた近くに住んでおり、おじいさんや家族の人たちと親しくお付き合いがあったそうな。知多の河和にある時志観音は彼の親戚で、一時は仏門への勧誘もあったという。家族で一緒に海水浴に行き、そこでごちそうになったことがある。また昨年桶狭間の戦い450周年の式典が豊明であった際、郷土史家の梶野翁から聞いた話だが,S氏は知多の豪族中山氏の子孫だそうだ。中山氏は織田にも今川にも付かず、様子見をしていたという。90歳近くの梶野翁はS氏のことを「殿様」と呼び、世が世なら御目通りも出来なかった身分差だと言っておられた。

楽しい男なのに、なんとなくきちんとしているのはこんな出自のせいか。見栄を
張らずマイペースで生きている、彼の生き方を尊敬しいるし、羨ましく思ってい
る。大事にしたい友人の一人である。

芸術家の魂(人柄のよい陶芸家)

2011-06-07 15:43:20 | 友人・知人

ギャラリーNOZU全景

入り口の案内

私とほぼ同年で、瀬戸に在住する陶芸家がいる。窯業高校で教えていたが定年を迎え、焼き物に専念される、自由な境遇だ。奥様も書道家で、ご主人の焼く作品に、字を書き添えることなども気軽にやられる。ご夫婦が芸術家であり、先生だ。

一度ご自宅におじゃまし、陶芸の指導をしてもらったこともある。

遠く南米なども旅し、最南端ホーン岬までも行かれた。最近ではヒマラヤの50
00mを超える峠にも登られている。写真の腕もなかなかである。
体力の維持、強化にも真剣に取り組まれ、加圧トレーニングを続け、仲間と時々
は、低山を楽しまれる。お酒をご一緒しても、とても穏やかな視野の広い方で、
癒される感じで楽しい。

その彼が、瀬戸のギャラリーで個展を開くと案内された。個展は何年も前からあ
ちこちで何回も開いておられるのでが、一度も拝見していなかったので、休日に出かけた。

会場は坂の上のギャラリーNOZU。瀬戸市内。このギャラリーは新潟県十日町市から移築した180年前の古民家だ。豪雪地帯の建物だけあり、天井は高いが梁が太い。漆喰の壁とコントラストを成して力強い空間だ。




会場風景 長押や梁、柱が美しい


古民家と展示がうまくマッチしている

驚いた。あの穏やかなI氏の作品と思えないほど、勢いがある。生命力に満ちて
いる。岡本太郎ほどどぎつくはないがカラフルでもある。造形も自在だ。20代
の作品と現代の作品が並べられているが、若々しさは変わらない。彼の芸術家と
しての秘められた熱さ、激しさを感じた。空間の力強さに充分対応して存在感を
示している。

人は見かけによらぬもの。あの穏やかな人柄の中にこんな激しさが秘められてい
たのか、とその問題提起に静かな衝撃を受けた。


2階には成長した教え子達の作品も少し出展してあった。
帰り際、この建物のオーナーとお茶を頂いた。控えめな人で好感が持てた。折角
移築してきたので、この建物を地域の人達にもっと知ってもらいたい、というの
がオーナーの夢だそうだ。


暫し談笑

しかし全体的には癒しのひとときとなった。このお人柄のよい芸術家に会えるのは、楽しみの一つではあるまいか。

ギャラリーNOZU  瀬戸市陶栄町39 TEL0561-82-1873
 石山駿作品の今昔展 2011年6月4日~7月24 7月2日3:00~アーテイストトーク
 (会期中は金・土・日のみ開館します。11:00am~6:00pm)入場無料

秋来ぬと

2007-08-26 15:27:40 | 友人・知人
友人とのゴルフに行ってきた。

予想では気温37℃で、残暑きびしいだろうと出かけたが、
意外に爽やかであった。

快晴微風、むっとする暑さはなく、風も涼やか。
友人も愉快な気の置けない仲間。
ストレスフリーなプレーを楽しめた。スコアーは別だったが。

勿論、夏の空気であったが、コースの途中にある
ススキの株がユニークな姿を見せ、ここだけ、秋の準備をしていた。