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5日目(5月17日)ここに来た目的の一つはゲバラとヘミングウエイを訪ねることにあった。この日はゲバラの足跡を訪ねた。
朝ホテルを8時に出発。昨日の展望台方面に。この地方(或いは田舎といっていいのか)は馬車が多い。放牧の家畜にも馬が多かったが、乗合馬車、荷物運搬荷馬車が多く使われている。軽快にギャロップ(駆け足)で蹄の音を響かせ走り回っている。
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列車の展示室
車はいつしか急勾配の坂を登り始め、インヘニオス渓谷の背後の山を越えて、サンタクララへ。まず革命の勝利の発端となった、装甲列車襲撃記念碑へ。線路脇の小公園のそこには、襲撃した列車が脱線した配置のまま保存展示されていた。貨車が写真や当時の内部装備などの展示場になっている。装甲といっても、列車の壁の間に、防熱のための砂をいれ、武装兵士が乗り込んでいたと言う程度らしい。ブルドーザと小銃と火炎瓶で襲撃したのだから奇襲の部類だったのだろう。貨車の横にパイプ椅子を並べ小学生が野外授業をしていた。
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そこから市内を見た上で、サンタクララの革命広場にあるゲバラ霊廟へ。ボリビアのゲリラ戦で亡くなったゲバラの骨がここに帰ってきているそうだ。霊廟へは手荷物を預け、帽子をとって入り、私語は禁止である。地下のようなところに、火がたかれ、20枚近くの革命戦士の肖像のレリーフが壁に飾られている。その真中に同じ大きさでゲバラのレリーフはあった。思ったより質素である。
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革命広場を見下ろすゲバラ像
アルゼンチンの裕福な家に生まれたゲバラは、医学生として学び、南米各地を巡っている折、メキシコでカストロと出会い、革命家の道を進んだ。チェとは「あの~」とか「えーっと」という意味らしい。写真がすきでカメラも愛用。治療道具とともに展示してあった。革命成功後、工業大臣を務め、日本にも2回ほど来たという。革命広場に立つ像はゲリラ戦の時の銃を片手に一歩足を踏み出している姿のブロンズ。下の展示室の写真も格好が良い。強い意志と包容力をを表す柔和な眼、額がいかにも革命家らしい。フィデロ・カストロと写っている写真は話し声が聞こえてくるようだ。勇ましいばかりでなく、分別の有りそうな、優しさがにじみ出ている。北朝鮮や中国、ロシアの偶像とは一線を画す。革命広場のブロンズの右下にはカストロに当てた最後の手紙が刻まれ、国民に語りかけている。やたらに英雄視したり煽るようなところがなく、好感が持てた。
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終わって、一路パルデロヘ。到着は5時。ここもリゾートホテルでトリニダーより高級だ。バッフェの質も良い。ゲバラの軽い興奮もあり、レストランでワイン3杯、ピアノバーでカクテル(モヒートなど)3杯。本日はちょっと飲み過ぎ気味。午前1時就寝。