遅いことは猫でもやる

まずは昔メールした内容をひっぱってきて練習...
更新は猫以下の頻度です。

お知らせ

Twitter で更新情報が観られます。やってる方はこちらからフォローどうぞ。
http://twitter.com/gaiki_jp

お洒落な小品

2015-06-10 04:05:42 | 


近藤史恵著「タルト・タタンの夢」創元推理文庫 

ちょっと洒落た小品集である。総勢4名で運営する小さなフランス料理店を舞台に繰り広げられるちょっとした謎解きドラマ。
或る時は料理が主役、ある時は脇役で登場する。作家では池波正太郎も、高田郁も、料理描写が優れている。この著者も一度食べたくなるような料理を描く。物書きには必要な才能なのだろうか。

私はフランス料理はあんまり好きではないのだが、ここに出てくる料理なら一度口にしたい。名古屋のシェ・トトに似ているように思う。

小説の作法で言えば、食欲、性欲、名誉欲、物欲などの諸欲につき動かせられている人間の性を突き詰め、描くのが本来の目的ではないのか。

それはさておき、料理名や材質調理方法などが謎解きの最後の比喩に使われるのもちょっと粋である。この作者は大藪春彦賞などを受賞しているそうだが、この小品はその影はない。フランス語の料理用語が少々難解だが、それさえ除けば小粋な小説と言っていい。お薦めである。


嘉門次小屋の骨酒

2015-06-09 02:06:45 | 登山・ハイキング
これです。美味しい骨酒は
 嘉門次小屋前の賑わい

2輪草鑑賞の後昼食は嘉門次小屋で摂った。
燗酒を焼き魚に浸して飲む。鯛酒もひれ酒も美味いが、なんといってもイワナの骨酒は最高である。
名前の通り骨までしっかり火が通り、香ばしく焼けたイワナに注ぐ熱燗が得も言われぬ味を出す。鯛酒は身が厚すぎ、ふぐのヒレには骨はない。

色んな所で骨酒を味わったが、今のところここのが最高だと思う。今から40年以上前来た頃はイワナも不揃いでもう少し大きかったような気がするが、今や養殖のイワナらしく同じサイズで揃っている。
それに串を打ち、囲炉裏脇に串を立て火に当てる。30分近く強火の遠火で炙るので中までしっかり焼ける。串を外し熱燗を注ぐ。酒が中までじんわりと滲みイワナの旨味が溶け出す。囲炉裏の火でじっくり焼くのが嘉門次小屋の味の秘訣のような気がする。

鯛酒は皮の焦げ目、ひれ酒はヒレの焦げ目から旨味が出ているようだ。骨酒はやはり骨までしっかり焼けてないといい味はでないと思う。従って器に入っている岩魚は味が抜けていて旨くない。一方しみでた酒は、時間をじっくりかけた旨さに溢れ、ちょっと甘目の酒によく合う。ここならではの味わいだ。
やっぱりここの骨酒は日本一だ。

当然,注ぎ酒も楽しみたかったが、昼間の事ゆえグッとこらえて小屋を後にした。

 下ごしらえ 串打ち 昼食のイワナ焼き定食

先輩の3回忌

2015-06-08 02:32:22 | 雑感
 フレンズ岡崎の全容
 斜面に立つお墓

上高地の行事、現役との交流を終えて、上高地を後にし、タクシーで沢渡へ。沢渡で足湯に入り、そこから4台の車に分乗して、乗鞍高原の宿フレンズ岡崎へと移動する。深緑真っ只中の谷筋やダム湖畔は緑が眼にに鮮やかだ。こういう移動の手配、車の割り振りなど整然と行われ、山岳部の統率の良さを感じる。

民宿フレンズ岡崎は山岳部の大先輩の宿で、昨年お亡くなりになり奥様が後を引き受けている。4,5年前の春先スキー、スノートレッキングでおじゃました時はとてもお歳に見えぬ元気さで、雪の林の中を案内してくれた、地元のスキー学校の校長も務める達者な方だった。その折は奥様も至ってお元気で、地元のママさんバレーを率いて大活躍をされていた。信大が山の家を作るときも岡崎さんに大いに相談したらしく、初代の管理人を勤められたとか。

ここの湯は白骨温泉と同じ成分で白濁した硫黄泉である。人数が多すぎて岡崎さんに泊まれない我々は、隣の宿に分宿したがここのお風呂はまさにそれで、湯船から山の斜面を見ながらのんびり湯に浸かった。

この夜の宴会がすごかった。昨夜は徳本峠で持参の酒を20人で8升+小屋の焼酎を平らげた面々は今夜も日本酒、ワイン、韓国焼酎を数知れず空け大いに盛り上がった。山岳部恒例らしく、酒瓶を片手に席を回る。しかも我々より先輩がである。峠で採取してきた山菜の数々に加えて、本来の素朴な料理が並び大いに盛り上がった。私自身は先輩が持参した韓国唯一の焼酎、46度のものを進められ、口当たりの良さで、ついぐい呑3杯を飲んでダウンし、友人に抱えらて部屋に戻った。あとで聴いたところこの日は最後の歌はなかったという。やはりM君がいないとこうなるのだなあと少々残念な気持ちである。

 くっきりした乗鞍の稜線
 新しいお墓
 岡崎さんらしい墓碑

翌日は朝6:30からミーティング。追悼行事についての打ち合わせを幹事が行うということで、誰も二日酔いもせず真剣に、ざっくばらんに討議、検討。この集団は形式や責任逃れに陥るところ無く、実に好感が持てる。概ね時間内に終了し、朝食後、3回忌の法要に望んだ。山岳部のOBに僧籍の人が降り、その人が執り行うとのこと。

宿から200mくらいの山の斜面に3基ほどお墓が立っており、一番新しいのが岡崎さんの墓である。お墓からは乗鞍が間近に見える。周りは蕨が生えている。
お墓の横面には「乗鞍の山に、アラヨ!が木霊する。嗚呼懐かしき人々よ、有難う。」と刻んである。万年青年の面目躍如である。

読経のあと、尺八の演奏に移り、笛の音の中を皆が焼香をした。乗鞍の稜線がくっきり見える。ここに眠る岡崎さんはさぞや安らかだろう

2輪草

2015-06-07 06:30:13 | 行ってきました
好天の河童橋を出発
 2輪草の大群落

亡くなった友人Mの追悼山行の目的の一つは、当人が奥様やみんなに見せたいと願っていた上高地の2輪草鑑賞である。川中美幸の演歌でも歌われているこの花は、林の中に木漏れ日を浴びて清楚に咲く花だ。
好天に恵まれた上高地で明神から少し上流に遡った徳本峠への道脇にその群落があるはずであった。

徳本峠から降りてきた本隊の話では、例年咲いている場所には殆ど花がついておらず、見にゆくまでもないという報告であった。徳本小屋支配人の話では、それなら徳沢園の前あたりにも群落があるのでそちらを見に行けばというアドバイスがあった。
慰霊碑参拝の後、本隊とは一時別行動で我々名古屋勢3名は山岳会池内さんの案内で、徳沢園に向かった。

徳沢園のテント場は広々と開け、色とりどりのテントで休憩をとっている岳人がくつろいでいた。その脇を通って奥へゆくと、木漏れ日を浴びて点々と白い花が咲いている。近づいてみると2輪草だ。ほとんど一つの草に1.5cmほどの2輪ずつの花がついている。10畳敷位の大群落だ。M君推薦の場所では例年この3倍位の群落だという。木々の間からは明神岳、前穂高岳がそびえている。 花も山も十分堪能して本隊との待ち合わせ場所嘉門次小屋へと向かう。

M君の話では、2輪草の中には稀に緑色の花が咲いている。4つ葉のクローバーと同じように、見つけたら幸せを呼ぶ、と伝えられている、とのこと。残念ながら徳沢園の大群落の中では見つけられなかった。本当に緑の花なんてあるのだろうか。ところが明神館から明神橋へ向かう林の中を歩いていた時、池内さんが「あった!」と指差す先を見たら本当に咲いていた。その辺りにはさらに3,4輪見つけられた。本当に緑の花である。故人の導きだろうか、これで我々は幸せに一歩近づいたのだ、と自己満足をして嘉門次小屋に向かった。

 緑の2輪草
 徳沢から仰ぐ前穂高岳

林の中の追悼碑

2015-06-05 00:01:54 | 行ってきました
 快晴の焼岳
 明神橋から仰ぐ明神岳前穂高岳

上高地泊の翌日は快晴に恵まれた。峰々は岩の黒さと残雪の白戸のコントラストをくっきりと見せ、本日のイベントを後押ししてくれるかのようだ。

朝8時に西糸屋を出発。穂高連峰に見守られながら左岸の道を明神に向かう。明神手前で動向の石山夫人の携帯に電話が入り、もうみんな待っているとのこと。打ち合わせ時間を間違えたらしい。手前まで池内さんが出迎えに来てくれた。徳本小屋の支配人が追悼碑近辺まで来るまで送ってくれるとのこと。少し急いで明神館に到着したら、我々のほうが少しだけ、徳本峠越えの学士山岳会(OB)本隊より早く着いた。早速明神橋を渡り車まで歩く。支配人は上高地旅館組合の世話役を兼ねているところから、この辺りでは顔役みたいだ。信大の山岳研究所(元は民営の養魚場だったらしい)の清冽な水を味わい、3台の車に分譲して総勢20数名の一行は慰霊碑へと向かう。

 元気な現役山岳部員と一緒に

奥又の出合いは、川のデブリが広く起伏もあって、がらがら崩れる石を踏みながら向こう岸に渡る。そこにも20名以上の若者が待っていた。現役の寝台山岳部の学生が春の合宿を終え追悼碑に参拝しての帰りだという。
見れば男前の男子学生に混じって、可愛い女性部員も真っ黒に日焼けをして数人元気に笑っている。一時部員が総勢でたった4人になり、存亡の危機になったのが信じられないくらいだ。これも亡くなった友人の尽力に負うところが多い。皆で記念撮影をして別れる。我々の時代とは打って変わって、ウエアーもザックも至ってカラフルだ。

 追悼碑 田辺君の碑
 松尾君の写真を載せて

追悼碑は林の入口にあり背の低いケルンに銘板をはめ込んだ地味なものである。7つほどか。山で逝った山岳部員の名前が刻まれている。アンナプルナで亡くなった佐藤君、ダウラギリで雪崩にあった田辺君、富士山でスキー滑降中事故にあった人など、奥又白で遭難した人だけでなく15名ほどの名前が刻まれている。

みんなで黙祷を捧げたあと、参加者全員で肩を組んだ。参加者中最も若いOBの江川くんが音頭を取って、現役山岳会、学士山岳会にエールを送り、「春寂寥」を歌った。青空のもと、みんなの歌声が林の中に響いた。

 新村橋
 新村橋からの霞沢岳方面

上高地に泊まる

2015-06-04 16:51:20 | 行ってきました
 圧倒的に素晴らしい穂高連峰
 河童橋遠望

この処上高地に行く機会が重なった。昨秋から数えて3度目である。しかも今度は上高地に泊まることになった。50年前テントを担いで泊まった学生時代以来である。

ここの自然は何時も静かに迎えてくれる。松本駅から新島々経由でバスに乗り換え2時間弱。新緑たけなわの梓川河畔のターミナルに着く。連休の時よりぐっと人出は少ないが、好天の穂高連峰、焼岳、梓川が迎えてくれる。今までは、上高地は登山の時の出発点であり、到着点で、ずっと通過点としてしか捉えていなかったが、来てみると実に良い公園である。

新島々のバスで偶然今日の宿を共にする名古屋の山登りの仲間と乗り合わせた。沢渡をすぎ釜トンネルを潜れば山と清流とと緑の別天地だ。ターミナル横の大きな木が白い花を付けていてなんだろうと近づいてみれば「ズミ」(バラ科)と表示がある。先日蓼科で見たのはこれだったのかと得心。小梨は少し赤い花が交じるので白一色の樹はこれだ。

 西糸屋正面
 玄関ロビーと階段
 2階廊下
 宿泊部屋
 部屋からの穂高連峰

日はまだ高いが、時間は午後4時を過ぎている。河童橋はさすがに人出は少なく、河原にはぐれ猿か、大きな猿が一匹だけ遊んでいる。今日の宿はその河童橋付近右岸の,西糸屋である。山小屋風ではあるが、普通の旅館だ。上げ膳据え膳、布団の上げ下ろしもしてくれる。風呂から見上げると西穂の稜線がくっきりと浮かんでいる。夕食まで少し時間があったので、ウエストン碑まで往復した。黄昏の梓川は瀬音を響かせ、少し首を傾けたウエストンのレリーフは訪れる人もなく、夕闇に溶け込んでいた。

 梓川右岸の遊歩道
 ウエストンのレリーフ
 夕食のご馳走

今回の上高地は先日なくなった友人の追悼山行で、奥又白出会いの追悼碑参拝と、故人が推薦していた、徳本峠への路傍に咲く「二輪草」鑑賞、それに乗鞍高原の山岳部先輩(故人)の3回忌追悼と内容は盛り沢山である。
夕食は食堂で取ったが、品数豊富で、お酒が進み、色々な思い出話に花が咲いた。こんな出会いができるのも、亡き友人のおかげである。

 河童橋からの岳沢