羽田空港管制不能事故

 いや~ぁ、まいりました。原稿執筆の依頼が来ちゃったりしてって、それほどのことでもないか。shinoさんから「2日にあった羽田空港の航空管制がダウンしたことについて解説せよ」というリクエストが来ましたが、これって随分と無茶な話だと思いませんか。ヒコーキは乗るものも見るのも大好きな郷秋<Gauche>だけれど、航空管制のことなんてほとんど何も知らないですからね。

 そうは言っても他ならぬshinoさんのリクエストとあれば、何か書かないわけには行きませんよね。で、思い出したのは本物の管制塔を見せてもらったことがあるということ。これってなかなか珍しい経験かなと思います。普通は見学なんかもさせてくれないと思うのでが、ちゃんと見てきたんですね。それも普通のエアライン使う空港じゃなくて米軍と自衛隊が共用する厚木飛行場の管制塔です。

 厚木飛行場には米軍の空母の艦載機や海上自衛隊のP3Cなんかがウジャウジャしていました。街中の住宅密集地の真ん中にあるので、騒音公害が酷くていつも問題になっている飛行場です。このことについてはいろいろご意見もあるかとは思いますが、私は自衛隊側のゲストとして、現状の活動を見てもらうことで自衛隊への理解を深めて欲しいと言う広報活動の一環として基地を見せてもらい、LC-90というターボプロップ双発連絡輸送機に体験搭乗しました。その時の写真を引っ張りだしてみたら1994年の7月、もう11年も前のことでした。

 さすがに管制塔の写真はありませんが、その時の証拠写真。これは水陸両用救難飛行艇US-1A。この手の飛行艇としては世界トップクラスの性能で、首都圏側の海で海難事故があると飛行艇が厚木から飛び立ち捜索・救難に当たるそうです。この救難飛行艇を含め海上自衛隊が運用している航空機はほとんどがターボプロップエンジン搭載機ですから騒音は決して大きくありません。耐え難い騒音をばら撒いているのは主に米軍の艦載機ですね。
 いかにもわざとらしい修正が雰囲気でしょう。って何のこっちゃ。

 管制塔は考えていたほど高い建物ではありませんでしたが、厚木飛行場の場合には滑走路が1本しかありませんのでエプロンも含めてすみからすみまで見えたように記憶しています。管制は海上自衛官と米軍人が一緒に行っていました。日本側に女性管制官がいたのにはちょっと驚きました。

 これは対潜哨戒機P3C。今は潜水艦だけに限定しないようですが、専守防衛を国是とする日本において生命線とも言える哨戒機です。

 さて、本題の航空管制ですが、レーダーと無線との情報により飛行場付近を飛んでいるヒコーキの位置と高度を確認して積み木のようなものをヒコーキに見立てて滑走路の位置が書いてあるボードの上に並べて、その配置関係を見ながら無線で離着陸の指示を出していました。ハイテク装置を使って管制・誘導するのかと思っていましたが、想像以上に手作業に近い管制だったので驚いた記憶があります。

 これが実際に体験搭乗したターボプロップ双発連絡輸送機LC-90。搭乗後に機内から出てきた私の脚だけが・・・。

 11年前の話ですからね、いまはもっと進んでいるような気がしますが、4月29日に羽田空港の閉鎖されている滑走路にヒコーキを降ろしてしまった事故を考えると今も似たような手作業なのかなと思ったりもします。

 今回の停電騒ぎ(事故がなかったから良かったようなものです)については既に新聞等でも報道されていますので、皆さんその概要はご存知ですよね。

1. 電源関係の工事をしていたことが引き金になって、レーダーなど管制システムへの電源供給が止まった。
2. 無停電電源装置に接続されている非常用バッテリーに自動的に切り替えになった。
3. 非常用バッテリーに切り替わったことを知らせるはずの警報が鳴らなかった。
4. 50分後にバッテリーが切れてシステムがダウンした。
 ざっと、こんな経緯で管制ができなくなったわけです。

 新聞に出ていた電源系統図を見ると、電源供給の一番川上にある予備発電機から、受配電施設、無停電電源装置(バッテリー)、管制システム直前にある分電盤に至るまですべて独立した2系統になっています。管制システム直前にある切り替え器でA or Bの電源系統を切り替えることで、電源系統の一方が故障しても正常なもう一方を使い管制システムを正常に運用することが出来るようになっています。それでも電源が止まってダウンしたわけです。一部の新聞にはA,B両系統が同時に電源供給できない状態だったと書いてあったけれど、それにしてもA,Bを切り替えれば非常用バッテリーで倍の時間の稼動可能だったはず。

 今回の事故の最大の原因は非常用バッテリーに切り替わったことを知らせるはずの警報が鳴らなかったことのようです。この警報が鳴ってさえいれば、数10分後にはバッテリー切れを起こすことを予見できたはずですし、そうであれば電源系統の一番川上にある予備発電機を稼働させ何の問題もなく運用を続けられたはずです(本当に両系統が同時に故障していたとするとだめだな)。もっとも今回の事故については原因よりも先に、そもそもどうしてヒコーキがたくさん飛んでいる時間にそんな工事をしなければならなかったのかと言うことが問題だとは思いますがね。

 ひとつ疑問なのは、例えばA系統の無停電電源装置のバッテリーが切れた時に、どうしてすぐにB系統に切り替えなかったのかということ。これが自動なのか手動なのかわからないけれど、たとえ手動であったしてもシステムダウンの時間を最小限に抑えて管制再開が出来たはずです。この切り替えがきっと手動だったんだろうな。自動的に切り替えが出来ればシステムダウンは避けられたはずだから。

 システムダウンを避けるために、A,B両方から常に電源の供給を受けるようにしておけばよかったんじゃないかなと郷秋<Gauche>が思う。切り替えるのではなく常にA,B両方を稼動させておく。そうすればどちらか一方からの電源供給が停止してもちゃんとシステムは動き続けるはずだ。

 まあ、机上ではいろんなプランが考えられるし、それに基づいてシステムを構築することは出来る。でも、その設計の前提通りの運用やメインテナンスがされていればいいけれど、そうじゃないと必ず想定外のトラブルが起こる。99%の信頼性を99.9%にし、さらに99.99%にするためには莫大な費用がかかる。だけれど人の命には代えられないからするしかない。

 今回の事故の唯一の救いは人命に関わるような事故に至らなかったこと。そうそう、パイロットが計器による誘導を受けなくてもちゃんと「腕」で着陸することのできる技量を備えていることを確認できたことも「救い」かな。
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