指定型バトン

 『指定型バトン』が回って来た。
 バトンの発案者が決めた質問事項をそのまま回していく通常のバトンとは異なり、次に回す時に『 』の中を自由に変えられるのが特徴だ。私のところには「最近思う『F1』」が回って来たが、私が次の方に回すときには、例えば○△□さんに回すときには「最近思う『餃子』」、△□○さんに回すときには「この『F1』には感動」ではなく「この『ゴキブリ』には感動」として回して良いらしい。

 さて、私に与えられた御題は「F1」。早速やってみよう。

■1■ 最近思う『F1』 最近のF1はつまらんぞ。[理由その1] 眉毛くんが強すぎる。 [理由その2] ミヒャエルが不甲斐ない。 [理由その3] ホンダが弱すぎる。 [理由その4] SA05が遅すぎる。 [理由その5] ナイジェル・マンセルがいない。

■2■ この『F1』には感動 [感動その1] 1987年のシルバーストン。マンセル、ピケ、セナ、中嶋が乗る4台のホンダエンジン搭載のウイリアムズとロータスが1-2-3-4だぞ!でも中嶋は1周遅れ。 [感動その2] 1990年のフェニックス。新人アレジ、非力な コスワースDFR搭載のティレルでマクラーレン・ホンダV10のセナと直角ターンで抜きつ抜かれつ。 [感動その3] 1992年のモナコ。セナとナイジェルのデスマッチ。これぞF1の醍醐味。 [感動その4] 2000年のスパフランコルシャン。41周目のケメルストレートエンド、周回遅れのリカルド・ゾンタをパスしようとしたミヒャエルを、ハッキネンが逆サイドから2台まとめてズバッ。これぞ職人技! [感動その5] 2001年の鈴鹿。201戦目、アレジ最後のレース。ライッコネン(ザウバー)とのアクシデントによりわずか6周でマシンを降りたアレジ、さぞかし無念であったろう。しかしそんな素振りをまったく見せずに彼はライッコネンと握手し、そしてピットに戻るジャン・アレジ。真のスポーツマン、真に紳士であった最後のF1パイロット。

■3■ 直感的『F1』 質問の意味が解らんぞ。

■4■ 好きな『F1』  [好きなF1その1] 1991 Jordan 191 [好きなF1その2] 1987 WILLIAMS FW11B [好きなF1その3] 1990 Tyrrell019 [好きなF1その4] 1987 Benetton B187 [好きなF1その5] 1990 Ferrari 641/2 つまり、好きなF1マシンの数々。最近のF1はボディ周りにいろんなものを付け過ぎで、カッコ悪いぞ!

■5■ こんな『F1』は嫌だ ヨーロッパ以外のチームやエンジンサプライヤ、ドライバーを差別するのはけしからん。わけのわからん芸能人がチャラチャラと、わけのわからんことをしゃべるF1中継もけしからんぞ。

■6■ この世に『F1』がなかったら レースシーズン中に睡眠不足にならなくて済むのが嬉しい。でもF1がなかったらF2(近頃じゃGP2と言うらしい)を見るから同じか?


 今日の1枚は、雨の谷戸田。トタンの波板の下には、秋に刈り取った稲を干すために使う丸太などがしまってあります。
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終焉の時

 カメラ映像機器工業会では月毎のカメラの出荷台数の統計を公表しているが、本年4月分を見て驚いた。デジタル方式カメラが前年同月比30.1%増の81.4万台(このうち一眼レフは前年同月比18.8%増の6万台)であるのに対してフィルム方式カメラは前年同月比54%減の9,839台である(いずれも国内出荷台数)。デジタル式とフィルム式の比率は82:1。

 つい7、8年前には、カメラと言えばフィルムを使うのが当たり前で、デジタル方式のカメラは特殊なカメラであった。だから「カメラ」に対して「デジタル・カメラ」と呼ばれた。しかし今では完全に逆転。カメラはデジタル方式が当たり前で、フィルムを使うカメラが特殊な用途、あるいは特別な趣味を持つ人のものになった。

 出荷台数では圧倒的にデジタル方式が多くなった昨今ではあるが、巷に出回っているカメラの数では、いまだにフィルム方式のものの方が多いのではないだろうか。しかし、その多くは引き出しの奥に仕舞われ、あるいは本棚の端で埃にまみれ、もはや出番はない。

 年配の、所謂カメラマニアが集まる撮影会ではいまだにデジタル、フィルムが半々だと聞いたことがあるが、この分野でも徐々にデジタル方式が増えてゆくことになるのだろう。LPで音楽を聴くことが、ごく少数の人々の特殊な趣味となってしまったように、フィルムを使って写真を撮ることもまた、ごくわずかのマニアのものとなってしまったようである。

 さて、使われなくなったカメラはどうなるのか。「バカチョン」と呼ばれたコンパクトタイプのカメラの多くは、引き出しの中で朽ち果ててゆくことと思うが、一眼レフは中古市場に流れてくる。中でも中~上級のものはそれなりの価格が付けられて、今でも買い手が現れる。

 一眼レフ大手のNikonがフィルム方式カメラのラインナップの大幅縮小を打ち出した途端に、F3、F5、F100、FM3Aと言った中~上級機種の中古価格が一気に上がった。価格が上がるだけなら良いが、F100、FM3Aは売り物が極端に少なくなり、特にFM3Aはたまに見かけても現役当時(つい最近のことなのだが)の新品価格を上回る値札が付けられていることも珍しくない状況なのである。

 かくいう私は、Nikonのフィルムカメラ事実上撤退報道の直前に、程度良好のFM3A(ブラック)を手に入れた。良い買い物であったといえる。実は、そのFM3Aがいよいよ来週、実戦デビューなのである。果たしてこのページで紹介できるほどのものが撮れるかどうか。「請うご期待」と書いておきましょう。

今日の1枚は、初夏の味、枇杷(びわ)。

[ 撮影 : いつもの東京都下某所 ]
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英語でなんと言うのか

 東京都港区のマンションで起きたエレベータ事故で、ようやくエレベータ製造会社シンドラーエレベータ(東京)の親会社であるスイス本社幹部が来日し記者会見をしたが、謝罪の言葉は少なく、私は大きな違和感を覚えた。既に裁判の行方を睨んで言葉を選んでいるようだが、それ以上に日欧の文化の大きな違いがそこに横たわっているのを感じた。

 日本の常識(少なくとも私の常識)では、原因がどこにあるのかは別にしてもまず謝罪することで被害者サイドの心証を良くし、裁判を少しでも有利に進めようとするのではないかと思うのだが、どうやらシンドラー社は、自分の側には責任がないことを裁判の出発点にしたいと考えているようだ。

 ところで、シンドラー社の幹部が被害者への哀悼の意を表するために「ご冥福をお祈りする」とコメントしたことが伝えられているが、果たして「ご冥福をお祈りする」を英語でどのように表現したのか、興味がそそられる。

 私たち日本人はともすると、それがあたかも普遍的な言葉であるかのように、どなたかの逝去に接して「ご冥福をお祈りする」と言うが、実はこれは仏教の幾つかの宗派においてのみ通用する「お悔やみ」の言葉なのである。

 「冥福を祈る」とは、仏教で言う冥土の旅を無事終えて、良い世界に転生できるように祈ることである。つまり、仏教徒が逝去したときにのみ使えるお悔やみに言葉である(仏教の中でも死後は全ての人が極楽浄土に行くとされている浄土真宗ではこの言葉は使わない)。

 昨年4月2日に召天した第264代教皇ヨハネ・パウロ二世の逝去に際して、随分とこの「ご冥福をお祈りする」を見聞きしたものだが、失礼ながら見当違いもはなはだしいお悔やみの言葉であったわけである。

 国際化が叫ばれて久しい日本だけれど、英語教育=国際化ではなく、日本と日本以外の国々の文化を理解してこその国際化なのではないだろうか。しかし、かく言う私も、イスラム教徒やヒンドゥー教徒の逝去に際してどんなお悔やみの言葉が相応しいのか、残念ながら知らない。

 その方の信仰する宗教がわからなければ、あるいはわかっていたとしても自分の宗教(あるいは宗教観・信念)に基づく言葉で哀悼の意を捧げ、ご遺族にお悔やみの言葉を申し上げればよいという考えも確かにあるけれど、もう少し宗教についての知識と配慮があれば、亡くなった方に対して、またご遺族に対してより心のこもった哀悼の意の表し方が出来るのではないだろうか。

 それにしても、「ご冥福をお祈りする」を英語(あるいはドイツ語、フランス語)でなんと表現したのか知りたいものである。

今日の1枚は、先週撮ったオーストラリア原産の「ブラシの木」の花。
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F1 2006年 第8戦イギリスGPを振り返る

 強すぎるぞ、アロンソ!
 またしてもアロンソのPole to Finish。フェラーリのテクニカル・ディレクター、ロス・ブラウンは、首位を走るアロンソとの間にライコネンを挟んでしまったためにアロンソを取り逃がしてしまったと強がるけれど、残念ながら「負け犬の遠吠え」だ。

 <イギリスGP決勝レースの結果>
 1位:フェルナンド・アロンソ / ルノー / Q1 / FL1 / Pit2 / MI
 2位:ミヒャエル・シューマッハ / フェラーリ / Q3 / FL2 / Pit2 / BS
 3位:キミ・ライッコネン / マクラーレン・メルセデス / Q2 / FL5 / Pit2 / MI
 4位:ジャン-カルロ・フィジケラ / ルノー / Q5 / FL3 / Pit2 / MI
 5位:フェリペ・マッサ / フェラーリ / Q4 / FL4 / Pit2 / BS
 6位:J-P・モントーヤ / マクラーレン・メルセデス / Q8 / FL8/ Pit2 / MI
 7位:ニック・ハイドフェルド / BMW / Q9 / FL6 / Pit2/ MI
 8位:ジャック・ビルヌーブ / BMW / Q10/ FL10 / Pit2 / MI

 Qnは予選順位、FLnはレース中のファステストラップ順位
 Pitnはピットストップ回数、BSはブリヂストン、MIはミシュラン。

 8戦して5勝、74点、2位ミヒャエルに23ポイントの差を付けアロンソは2年連続のチャンピョンにまっしぐら。ランキング2位のミヒャエルはと言えば、残り10戦全勝したとしても、アロンソが2位に入り続ければタイトルはアロンソにさらわれる計算だ。今年のタイトルはこれで決まりだろう。

 アロンソ、ミヒャエル、ライッコネン、3者のドライバーとしての力はイーブンと言っていいだろう。だとすればアロンソの快進撃の原動力はマシンということになるが、追撃すべきフェラーリ、マクラーレンのマシンがルノーに対して1歩どころか2歩も3歩も遅れていることは明らか。トップのルノーまでには埋め難い差があるのだ。

 2006年シーズン、これほどにルノー&アロンソが強いシーズンになろうとは予想していなかったが、シーズンの折り返し地点となるカナダGPが近づいてくるとなると気になるのは既に2007年シーズンである。シーズン最高のマシン、ルノーで2連覇に挑むアロンソだが、2007年には今シーズンなんとしてもルノーに追いつくことの出来ないマクラーレンをドライブすることになっているのは周知の通り。

 新興チームのベネトンで2連覇を果たしたミヒャエルが、当時不振に喘ぐフェラーリに移籍し苦節5年、トップチームへの返り咲きに貢献したことは記憶に新しいが、果たして若きチャンピョン、アロンソが不振に苦しむマクラーレンの救世主となることが出来るのか、あるいは自身の移籍を悔いることになるのか。

今日の1枚は、雨の畦でうずくまる鴨。
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さよならセール

 ひと月ほど前に Opel(オペル)が日本市場から撤退する話を書いたが、先週、そのOpleのディーラーであるヤナセから「Opel Final Campaign」の案内が届いた。つまり国内に在庫しているOpleの売り尽くしセールである。

 随分と安くなっている。2005年モデルのAstra Wagon Turboが100万円引きの261万円、2006年モデルのZafiraが60万円引きの229万円、2006年モデルのVectraが70万円引きの235万円だ。クルマの中身を考えれば随分とお買い得だから「実質」を求める方には「買い」かもしれない。勿論ヤナセのことだから、あと10年くらいはちゃんと面倒も見てくれることだろう。

 しかしだ、余り買う人はいないだろう。例えばこれがMini(勿論New Miniのことだけれど)だったら、BMWが今後Miniを輸入しない、他社も手を出さないようだとなったら、在庫はあっという間に売れてしまうだろう。ポルシェやフェラーリも同じだろう。つまり、そのクルマに、他のものでは代替の出来ない魅力があれば、そんなクルマがもう手に入らないとなったら、みんな慌てて買う。もっともそんな魅力のあるクルマなら日本市場から撤退などと言うことはないわけだけれど。

 Opelの場合には、Opleでなければならない魅力がなかったんだな。勿論、クルマとして悪いわけじゃない。だからこそヨーロッパではちゃんと売れている。でも、少なくとも日本ではGolfではなくてAstraを選ぶ積極的な理由が何もなかったわけだ。質実でいいクルマが日本の市場から消えるのは残念だけれど、仕方がない。同じ値段のGolfとAstraが並んでいたら、私だってGolfを取る。もっとも、PeugeotやCitroen、Alfa Romeoといった選択肢がなかったらの話だけれど。


 今日の1枚は、白山谷戸の田んぼの畦で咲く立ち葵(タチアオイ)。茎の下の方から花を咲かせていくこの花が、一番高いところまで咲くと梅雨が明けるのだと言いますが、それにはあとひと月ほどはかかるのでしょうね。

 今日、恩田の森で撮影した写真をこちらに掲載しておりますのでぜひご覧ください。
恩田Now 
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画素数インフレ

 カシオから5月に1020万画素のコンパクトタイプのデジタルカメラ、 EXILIM ZOOM EX-Z1000が発売になった。売れているらしい。実売価格3万円台で1000万画素。デジタルカメラは画素数が多ければ多いほど高性能だとする「画素数数神話」が蔓延るいま、確かに売れることだろう。

 だがしかし、デジタルカメラの本当の性能は画素数で決まるわけではないと、郷秋<Gauche>は声を大きくして言いたい。確かに100万画素よりも200万、200万よりも300万画素の方が綺麗だ。でもそれもせいぜい600万画素くらいまでの話であり、それ以上の画素数があったとしても、多くのユーザーにとってはほとんど意味を持たない。

 600万画素あれば四つ切に伸ばしてもびくりともしなし。普通はまずそれ以上の大きさにプリントすることはないはずだ。だいたいたいがいの家庭にあるプリンターではA4(ほぼ六つ切りワイド)までしかプリントできない。

 1020万で撮ると、撮るものによっても違うけれど時に1枚が5MBほどのファイルになる。15,000円の1GBのSDカードだと200枚撮ったところでいっぱいになる。2週間の海外旅行のためには5枚くらいもって行かないと足らないかも知れない。家に帰ってきてからPCのHDに落とそうとするとそれだけで5GB、iPod用の音楽ファイルでいっぱいのPCにはもう写真のデータの入る余裕がないかも知れない。

 それじゃ、CD-Rに焼いておこうかと思っても、CD-Rの容量は700MBだ。1GBのSDカードいっぱいの写真のデータは1枚のCD-Rには入りきらないのだ。DVD-Rを使うしかない。ネットプリントしようと思っても1枚が5MB のデータを50枚も送ろうかとすると、ブロードバンドとは言えども嫌になるほどの時間がかかる。ほとんどがせいぜいL版程度でしかプリントしない写真のために1020万画素で撮ったりするとこんなに面倒なのだ。まったく意味がない。

 高画素数の撮像素子や大容量のメモリーカードが廉価に製造できるようになったものだからほとんど意味のない1020万のコンパクトタイプのデジタルカメラが登場したりする。でも、本当に良い写真のために必要なのは良いレンズであったり、一つひとつの画素の解像度であったり、撮影した影像をメモリに記録するための処理ソフトであったり、絞りやシャッタースピードを撮影者の意図で選べることであったりする。更に手振れしないための持ちやすい形であったり程ほどの重さであったりすることも重要だ。

 そういったことを考えもせずにただ高画素数(とディスプレイの大きさ)のみに走るメーカーって、「良いカメラ・良い写真」ということの本当の意味をわかっているんだろうかって、心配になるな。

今日の1枚は、昨日に引き続き紫陽花。
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静かな一日

 静かな雨の一日。今日は休養日。

今日の1枚は、近くの公園で咲いていた紫陽花。もうすぐ梅雨です。
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彷徨えるEudora

 「郷秋<Gauche>とライブドアとの関係」という記事を今年の1月31日に書いた。別に関係なんてないんだけれど、ライブドアが販売しているE-Mail Soft、Eudoraと使っているというお話だ。そして、そのライブドアから最新バージョンであるEudora 7J for Windowsの登場がアナウンスされながら同社内から「容疑者」が続出したあおりで発売が延期されているというところまで書いた。

 延期のままで、いつまで待っても新バージョンが出ないなと思っていたら、Eudoraの営業権譲渡のニュース。しかも無償で。郷秋<Gauche>が知っている限り、ディーラーの変更はこれで2度目だ(詳しくは1月31日の記事を参照 いただきたい)。

 一つの商品のディーラーが短期間に2度も変わるのは通常考えられない。もしあったとしてもおそらくはその商品は売れなくなるのではないかと思うのだが、あるいは売れるという読みがあるからこそ新しい引き取り手が現れるということなのだろうか。

 今は売れていなくても、その商品が良い物、つまり商品力のあるものであれば、うちがやれば売れる、成功すると考える経営者もいるだろう。そう思えばこそ高額でその販売権を買い取る。しかし今回発表されたEudoraの新しいディーラー(ソニック・ソルーションズ)はそれを無償で手に入れているのだ。これからも売れるかもしれないけれど、これまでのEudoraへのサポートも引き受けることになる見返りに無償なんだろうな、きっと。

 郷秋<Gauche>はもう10年以上Eudoraを使っているけれど、これはなかなか優れたMailerだ。そんなEudoraにとってソニック・ソルーションズが安住の地となるといいんだけれど。そうじゃないとEudoraユーザーは安心して使えないからね。


 今日の1枚は、桃色昼咲き月見草(ももいろひるざきつきみそう)。本物の月見草とは違い、その名の通り昼間に咲きますが、原産国は同じく北アメリカです。
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SONYがDSLRに参入

 コニカミノルタのカメラ事業を引き受け、DSLR(Digital style Single Lens Reflex = デジタル方式一眼レフ)に進出することが決まっていたSONYから、ついにその最初のモデルが発表された。

 α100(DSLR-A100)と名付けられたそのカメラはAPS-Cサイズ、1020万画素のCCD、2.5inchのTFTディスプレイをもち545g。気になるお値段は99,800円(税込、Yodobashi.com、10%のポイント還元を勘案すると実質89,820円)。18-70mm F3.5-5.6のレンズ付きが119,800円(同107,820円)ほどで、Pentaxの*ist DS2、CanonのEOS Kiss Digital NやNikonのD70sよりは僅かに高く、OlympusのE-330よりは安いという実に微妙な価格だ。これより上級のEOS30D、D200とはまともなレンズ1~2本分の価格差がある。

 しかし、α100にはクラス最高の1020万画素とボディ内蔵手振れ防止機構、さらには同メカニズムを利用したアンチダスト機構がある。そして何よりもSONYのブランドが。かつてのミノルタファンが手持ちのレンズを生かすためにSONY製αマウントのDSLRを購入するのか、あるいは初めてのDSLRユーザーがSONYブランドを選ぶのか。NikonとCanon、2社寡占のDSLR市場に果たしてSONYがどこまで食い込めるのか、見ものである。

 交換レンズとアクセサリー類はミノルタの資産を継承し次々に登場するようだが、注目は遅れて登場するPlanner T* 85mm F1.4、Sonner T*135mm F1.8だろう。これらのレンズはNikonやCanonのユーザーにも使ってみたいと思わせるだけの訴求力があるが、初めてのDSLRを選ぼうというユーザーが、素晴らしくはあっても高価(17~19万円)かつ重たいレンズのためにα100を選ぶかと言えば、これは疑問である。


 今日の1枚は、南天の花。南天と言えば冬の赤い実を思い浮かべますが、今頃こんな小さく地味な花を咲かせるのです。
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ウイリアムズ・レクサス!

 どちらからも公式な発表はないようだが、ウイリアムズF1チームが2007年シーズンはトヨタ製エンジンで戦うことになるとの噂仕切りである。今や中堅となったウェバーと新鋭ニコ、2人のドライバーにより時折好成績を残すもエンジンの信頼性が低いことによりコンストラクターズポイントではBMWに次ぐ6位(モナコGP終了時点)に甘んじているウイリアムズだが、ついにコスワースエンジンを見限りトヨタ製エンジンにスイッチすることになったようである。

 だがしかし、待てよ。モナコGP終了時点のコンストラクターズポイント6位のウイリアムズ・コスワースに対して、トヨタ・レーシングは2ポイント差の7位だ。この順位だけを考えると果たしてトヨタ製エンジンがよりよい選択であるのか、大いに疑問である。トヨタのドライバーは共に優勝経験のあるラルフ・シューマッハとヤルノ・トゥルーリ。悪くない。なのにランキングはウイリアムズの下。

 今シーズンのトヨタ不調の原因はシャーシの素性の悪さにあると言われているが、サー・フランク・ウイリアムズはトヨタのシャーシよりもウイリアムズのシャーシ性能が上、つまり自分のマシンにトヨタ製エンジンを搭載すれば明らかに戦闘力が向上すると読んでいるのだろう。ウイリアムズはと言えば、ホンダそしてルノーと次々に名エンジンを獲得しタイトルを手にして来ているが、長続きしない。しかしすぐに次なるワークスエンジンを手に入れて復活というのがいつものパターンだ。

 ところで、来期ウイリアムズに供給されるトヨタ製エンジンには「レクサス」のエンブレムが付けられるというのがもっぱらの噂。トヨタとレクサス、勿論どちらもトヨタのブランドだが、レクサスの方がトヨタの上位に位置する高級ブランドであることはご存知の通り。そのレクサスブランドのエンジンを搭載したウイリアムズがワークストヨタよりも好成績を収めたら、ワークストヨタの立場がないんじゃないかと思うんだけれど、どうだろう。

今日の1枚は、松葉菊(まつばぎく)。
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ネクタイ締めるの忘れていますよ

 「ネクタイ締めるの忘れていますよ」と、思わず声をかけそうになってしまいました。

 今朝、ネクタイを締めるの忘れて家を出て来てしまったらしい方を何人か見かけました。寝坊して慌てて飛び出して来た風でもないのに。白いワイシャツにばりっとダーク系のスーツ。足元は勿論黒の革靴。でも、ネクタイだけがない。ボタンをとめている方もいたりして・・・。

 クールビスとやらでネクタイをしないで出勤することを半ば強要されている方(お役所勤め?)なのでしょう、きっと。いつものスタイルからネクタイ外しました、これでいいですか?と言わんばかりの格好です。なんだかぱっとしませんね。ネクタイをしないお洒落ってちゃんとあると思うんですが・・・。

 もっとも郷秋<Gauche>はそんなことを書けるほどお洒落でも衣装持ちでもないので、このあたりのことは金沢の老舗オーダーシャツ屋、錦港堂店主の宮谷さんのblog、オーダーシャツ屋金港堂の日々発見 体をシャツに合わせるか?シャツを体に合わせるか?(タイトルが長いんです)をお読みいただければと思います。


 今日の1枚は、バラ。以前にも同じような写真をご覧いただいたことがあるような・・・。相変わらずワンパターンなのです。
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田植えが終りました

今日の1枚は、白山谷戸の田んぼで遊ぶ親子。

 今日、恩田の森で撮影した写真をこちらに掲載しておりますのでぜひご覧ください。
恩田Now 
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今日は

 今日はピアノの発表会の撮影でした。長い長い一日。郷秋<Gauche>がいつも好き勝手に撮っている写真とは違い、絶対に外せないショットの連続ですから随分と神経も使い疲れました。終ってからのビールの美味いこと!

今日は、そんなピアノ発表会のリハーサル中の一枚。
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どうして男は・・・

 今日の神奈川新聞に、1990-2005年の年間自殺者数の推移、男女別の折れ線グラフが掲載されていた。それによれば1990年の自殺者数、女性8,000人に対して男性は50%増しの13,000人。1998年には自殺者が急増するのだが、女性の10,000人に対して男性は何と23,000人と130%増しとなっている。その後も男性の自殺者数が女性のそれの2倍以上という傾向はずっと続いている。

 1998年にいったい何があったのか。自殺の原因としてはその半分近くが「健康問題」だと記事には書かれていたが、例えば1998年以降、男性の健康状態だけが急激に悪化したのか。そんなことはないだろう。しかし、これだけ女性と男性の自殺率の変化が顕著なのにも係わらず、そのことに言及していない記事は、片手落ちじゃないのか?

 男性は女性よりも悲観的、女性は男性より楽天的。男性は女性ほど生きることに固執しない、女性は男性より生きることに執着する。男性は女性よりも気が小さい、女性は男性よりもずうずうしい。のかな?いや、そうじゃないだろ。女性は男性よりも責任感が強いからじゃないのかな。自分の責任を全う失せず死んでしまうのは女のプライドが許さないとか。


 今日の1枚は、5月30日に久しぶりでフィルムで撮ったモミジ若葉。30、31日掲載の写真も同様にフィルムで撮影したものです。
[撮影 : いつもの東京都下某所 ]
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ぜひご覧ください

 郷秋<Gauche>の写真が雑誌に掲載されました。雑誌とは言っても所謂フリーペーパーでしかも横浜限定です。『GRACE STYLE nasse横浜』の6月号です。いったいどこで手に入るのかよくわかりませんが、働く女性がメインターゲットということですので駅とかショッピングモールなどで配布しているのではないかと思います。発行部数が10万部ということですから見つけるのは難しいでしょうか。

 『GRACE STYLE nasse横浜』6月号の特集は「おとなを休む時間『癒し』」で、郷秋<Gauche>の写真がこの特集のタイトルページ以下3ページに都合6点使われています。特にタイトルページは全面写真でタイトルが白抜きになっています。全体に色がいまひとつなのが少し残念ですが、まさか特集のトップを飾るとは知りませんでしたので、ちょっと嬉しいです。


 今日の1枚は、『GRACE STYLE nasse横浜』6月号。右上がタイトルページでトトロの切り通しの写真が使われています。左上が2、3ページ目、見開きぶち抜きになっているのが白山谷戸の青田。下が、『GRACE STYLE nasse横浜』6月号の表紙です。どこかで見かけたらぜひ手にとってご覧になってください。
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