日本人の国民性について、昨日述べた原発事故の検証委員会の
委員長は記者会見でつぎのようにいったという。
"People have a tendency not to see what they don't want to see,
not to hear what they don't want to hear,
not to think about things they don't want to think about,"
そういう国民性が大災害に対する準備や対応に失敗したというのです。
むしろ本当の国民性は次の通りではないかと思うのです。
"People have a tendency not to see what they want to see,
not to hear what they want to hear,
not to think about things they want to think about,"
つまり、(見たいと思っても無駄なので)みたいと思うことを見ない(ようにしている)、
(本当は聞きたいと思っても無駄なので)聞きたいと思うことを聞かない(ようにしている)、
(本当は考えたいと思っても無駄なので)考えたいと思うことを考えない(ようにしている)
ということではないかと思うのです。
日本は建前すなわちお上の社会です。しかし、人々は建前では生きてはいけません。
生きているのに必要な(建前でない)本当のことを知りたいのは生存本能
によるもので当然です。
しかし、建前のお上に逆らうことはできません。
そこで、選んだ生き方が、見てみないふりなのです。見ていないのではないです。
きちんと見ているのです。
だからこそ、(下々の)日本人は世界中から称賛されるところがあるのです。
見たくないものはみないというのは、いわゆるお上の日本人なのです。
お上というのは、本来責任を負っている者のことです。
事故検証委員長のいう日本人の国民性というのは、いわゆるエリートの
国民性のことです。
ただ問題は、そういうエリートの国民性?を赦す国民性にあるのではということです。
国民の忍耐強さ、それが一部のわがままを赦す、基本的には北朝鮮と
変わりがないのではなどと考えました。
つまらないことを考えました。
しかし、これこそが問題だと、私は信じています。
そういう中で大阪の橋下市長はよくやっています。
しかし実現までの予定をみましたが、もっとスピードアップすべきと
考えます。
そうでなければ、抵抗勢力が息を吹き返してくる時間を与えてしまいます。
あるいは、これをきっかけに、エリートの無責任を赦す国民性が変わると
いいのですが・・・・