弁護士太田宏美の公式ブログ

正しい裁判を得るために

米裁判所:子ども連れ帰り 日本人の元妻に4億8900万円賠償命令

2011年05月11日 | ひろみ塾・法律編

離婚した日本人妻がアメリカから連れ帰ったこども二人を取り戻そうとして
未成年者略取容疑で福岡県警に逮捕されるなどした
アメリカ人のクリストファー・サボイ氏は
損害賠償請求訴訟をテネシー州で起こしていたようで、その判決が9日あり、
元妻に610万ドル(約4億8900万円)の支払を命じたということです。

離婚後の親権についての日米の法律制度の違いから
子供の取り戻しの強制は難しいと判断し、
損害賠償という民事的手段をとることにしたのだと思います。

もちろん、アメリカの判決を日本で強制執行するためには、別途日本で
執行判決というものをとらなくてはなりません。
日本の公序良俗に違反しないかなどの判断がなされますので、
どうなるかはわかりませんが、
ハードルが低くなったことは間違いありません。

アメリカの記事をみると
610万ドルの内訳は、100万ドルは違反に対する損害賠償、
110万ドルは子供を連れ去ったことについての2009年8月からこれまでの分、
今後子供を連れ戻すまで1日ごとに最高限度400万ドルまで
というものです。
1日あたりの金額は記事にはありませんでしたが、2009年8月から2011年5月まで
(22か月)が110万ドルですから、おおざっぱに計算すると、1日あたり1600~1700ドル
(約13万円程度)くらいでしょうか。
また、この判決は欠席判決だったと思われます。

外国判決の執行判決訴訟については、私自身も代理人をしたことがありますが、
双方の考え方の違いから、少なくとも、このような金額にはならないと思いますが、
無効になるとは思われません。

サボイ氏は日本にも代理人がいるようですし、
そもそも金額の問題ではなく、前に進むための手段と考えているということなので、
何らかの話し合い解決を期待しているようです。

今の状態で言い訳はありませんので、しかるべき解決ができればと、
他人ごとながら期待しています。

国際結婚をめぐる親権問題の解決に新しい道筋をみつける糸口にしてほしいと
思います。

 


伴野外務副大臣、連休中、バルト三国外遊?税金の無駄遣い

2011年05月10日 | 東日本震災
現地時間7日(土)、タリンの街を観光中、たまたま、伴野外務副大臣がホテルから
出てくるところに出くわしました。
わがガイドさん、目ざとくみつけ、昨日観光案内しました、とのこと。
わがツアーの数人、一緒にツーショットしていました。
誰も名前を知りませんし、何のためにきたのかも知りません。
私もインターネットを調べて初めて名前をしりました。
結局、政府の金を使ってお遊びだね、ということになりました。
それで、気になって、インターネットをチェックしました。
外務省から発表された日程をそのままここに転載します。
いろいろいっぱい書いてありますが、
要は、これって、ロシア、バルト三国の観光コースです。
5月のゴールデンウィークに合わせて、国民に税金を使って
観光をしたというだけです。
こういうことがあっていいとは思いません。
まさしく税金の無駄遣いです。
東日本大震災のために増税の必要があるなどという前に
こういう無駄遣いを洗い直すところから始めるべきです。
外務省の見識、外務副大臣の見識を大いに疑います。
こういうお気軽政治家ばかりのわれわれ日本人、救われません。
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  1. 5月5日(木曜日)から5月10日(火曜日)までの間,伴野豊外務副大臣は,ロシア(モスクワ,サンクトペテルブルク),エストニア(タリン),リトアニア(ビリュニス,カウナス),ポーランド(ワルシャワ)を訪問します。
  2. 5日(木曜日)には,モスクワにおいてボロダフキン・アレクセイ・ニコラエヴィチ・ロシア外務省外務次官(Mr. BORODAVKIN,Alexey Nikolaevich,Deputy Minister of Foreign Affairs of the Russian Federation),エネルギー分野の関係者,議会関係者と会談し,日露二国間の協力関係の促進等について意見交換を行う予定です。
  3. 6日(金曜日)及び7日(土曜日)には、日・エストニア間の新たな外交関係開設20周年を記念してエストニアを公式訪問し,アンシプ首相(H.E. Mr. ANSIP, Andrus, Prime Minister of the Republic of Estonia)他の政府要人と会談し,日エストニア二国間の協力関係の促進等について意見交換を行う予定です。
  4. 7日(土曜日)及び8日(日曜日)にはリトアニアを訪問し,経済関係者との意見交換を行う他,杉原千畝(すぎはらちうね)記念館を訪れる予定です。
  5. 8日(日曜日)及び9日(月曜日)にはポーランドを訪問し,シコルスキ外務大臣(H.E. Mr. Radoslaw SIKORSKI,Minister of Foreign Affairs of the Republic of Poland)他の政府要人と会談し,日ポーランド二国間関係,日EU関係の促進等について意見交換を行う予定です。
  6. 10日(火曜日)にはロシアのサンクトペテルブルク市を訪問し,市関係者と日露経済関係を中心に意見交換を行うとともに,サンクトペテルブルク大学において講演を行う予定です。

エストニア タリン

2011年05月09日 | 海外事情

リトアニア、ラトビアと北上し、エストニアのタリンに着きました。

一足先にユーロを導入しているだけに、
街を行く人の数などに活気が感じられます。

帰国に日が近づいていますが、
日本のニュースが相変わらずいい加減のようで、
気が滅入ってしまいます。


日本の政治の決断

2011年05月08日 | 政治、経済、社会問題

旅をしていてふと思ったことがあります。

日本の政治で、大きく決断したとして、評価されたときってなんだろうと?

菅総理もそうでした。
金を使うと決めたときです。

その結果、日本の負債は世界最悪です。

政治家が決める金は自分のものではありません。
自分のものでない金を使うのは難しいことではありません。

政治的決断で難しいのは、利害が激しく衝突する場面で
何を捨て何を選ぶかです。
結果が吉と出るか凶と出るか、それはわからない、
それでも、信念に基づいて決断するということです。

オバマの今回の決断などがそうです。
日本でいえば、非常事態宣言をするかどうかだったと思います
(これは権利の制限等を含むからです)。

日本の政治家ほどお気軽な仕事はないと思います。


リーガ ハンザ同盟の街

2011年05月07日 | 海外事情

遠く離れた日本からみると、バルト三国はひとつのように見えます。

人の自由化については、5月1日に完全実施です。
ですから、パスポート審査は乗り継ぎ地のヘルシンキ(フィンランド)でしました。
リトアニアからラトビアに入国するときも、ここが国境跡だと言われなければ
バスでそのまま通過ですからわかりません。
置き去りにされ荒廃した小さな検問所の建物がなければ、国境だとは
わかりません。
ただ、リトアニアからラトビアに入るやいなや、バスがガタゴトと音を立て始め、
乗り心地が急に悪くなりました。
道路状況は急に悪くなったのです。国力の差です。それで国が変わったことが
わかるというわけです。

しかし、通貨の自由化、統一はまだです。
リトアニアではリタス(約40円)、ラトビアではラッツ(約200円)です。
飲み物やトイレチップなどに現地通貨が必要なので、その都度
両替しなければなりません。
本当に煩わしいです。
聞き洩らしましたが、いずれ近いうちにユーロに移行するはずです。

人と金の流れの自由化があって初めて一つの経済圏が完成するのですね。

リストニアの首都ヴィリニュスは、素晴らしい教会が多かったです。
リーガの教会はやや迫力に欠けますが、そのかわりハンザ同盟の都市として
栄えた歴史がブラックヘッドの会館や商人たちの住まい等にみられます。
また、19世紀から20世紀のごく十数年間という短い期間に建てられた
ユーゲントシュティール(ドイツ語でアールヌーヴォーのこと)建築群の
素晴らしさにあります。
市内の4割がこの様式の建物ということですが、
この様式の建物が集中しているアルベルタ通り周辺の一画は、素晴らしいです。
今は大使館等として使われています。
リーガの街に統一感と都会的な雰囲気を感じさせるのは、これらの建物です。
リーガは16世紀から19世紀にかけて、ポーランド、スウェーデン、帝政ロシアの
支配下にあったのですが、
この帝政ロシアの時代には「ヨーロッパへの窓」として、ペトログラード、モスクワに
次ぐ大都市に成長したといいます。
ユーゲントシュティールの建物群が建てられたのは、その時代だったのですが、
いかに繁栄していたか、そも名残です。

リストニアもそうでしたが、リーガでも、ソ連時代のひどさは想像を絶するものが
あります。
放置され、破壊され、倉庫などに転用されるなど、中には土台を残すだけ
というものもあったようです。
復興めざましく、修復されて美しさを取り戻しつつありますが、
そのままのものもたくさんあります。
ワルシャワなどもそうですが、ソ連の破壊力はすごいものがあったようです。

リーガの中心地にある占領博物館(写真や新聞記事でまとめられて展示)は
ソ連およびドイツナチの破壊の状況がわかりやすくまとめられています。
55万人、人口の3分の1がシベリアに送られ、あるいは虐殺され、難民となり、
その他で消えてしまったというのです。
負の遺産の方が大きいと思いますが、ソ連時代にはロシア語が義務教育化されて
いたので、多くの人がロシア語を話せるということです。
この三国は、歴史が全く違い、言葉も全く違い、かつ難しいということで、
ロシア語を共通言語として、意思の疎通を図っているということでした。

また、ラトビアでは人口の4割がロシア系ということです。
(ほかの2国は数%)
ユーロ圏になっても、ラトビアは政治的に難しいかじ取りを迫られそうです。

旅の楽しみは、こういう実情に触れ、それぞれの持つ国、民族の歴史の
重みを実感することです。