弁護士太田宏美の公式ブログ

正しい裁判を得るために

LAW&ORDERはアメリカ社会のオブニズム

2011年09月16日 | Law&Order

LAW&ORDERはこれまでの犯罪ドラマ、法廷ドラマのいずれとも
違っています。

実際の犯罪は、捜査だけで終わるものではありません。
一方、法廷だけでは、本当のことはわかりません。
捜査から判決までいって一件落着します。

これまで、8回ありましたが、終了の仕方はいろいろだと
わかりました。

陪審員の評議までいって有罪無罪が決まることもあれば、
その前に司法取引があって、それを裁判官が認めて判決言い渡しに
なるなどです。
実際には取引のケースが多いということもわかります。
そして、取引こそ実態に即した処罰になっているようです。
この取引がなければ、硬直して、逆に正義が行われないように思います。

日本では、刑事事件について司法取引はありませんので、
私には民事事件での訴訟上の和解と似ているかなと感じました。

ただ、この司法取引は主として検事がリードしていますが、弁護側も
含めて、取引が当然だと見ているようです。
いかに妥当な結論に落ち着かせるかについて、検事・弁護側が互いに
知恵を競い合っているようです。

勉強したこと
1 アメリカの陪審は全員一致です。
  いくら議論しても全員の一致が得られないこともあると思います。
  刑務所官吏が家族を守るために出所した元受刑者を射殺した事件では
  評議不成立だったようです。
  判事が評議の時間の長さから、これを妥当として認めました。
  すると、無罪の評決があったわけではありませんが、釈放になるのですね。
  ただ、一事不再理で保護される無罪とは違って、再審理の可能性があると
  いうだけです。
  ただ、実際には、再審理というのは難しいのだと思います。

2 アメリカは刑事事件も当事者構造をとっています。
  検察は”People”すなわち国民、市民の代理人だという構図です。
  聞き取り力が貧弱な関係で”People”しか聞き取れないからということも
  ありますが、マッコイ・エグゼクティブ検事補の口からはしばしば
  ”People”ということばが発せられています。
  そこに使命感を感じます。

3 8回目は有罪は認めないまま、司法取引として刑に服するという結論でした。
  こういうことがあるのですね。ただ、どういう意味を法律的に持つのか
  今の私にはわかりません。
  真相は、息子の身代わりのようです。ある犯罪について犯人がいるわけです
  から一件落着となり、息子に対する訴追の可能性はなくなります。 
  こういうことがあるということを今は覚えておくしかありません。

4 逆に、事実関係についてははっきりと認めさせ、そのうえで、刑事事件に
  ついては無罪放免となった製薬会社の事件がありました。
  マッコイ検事補の狙いは、民事事件で被害者を救済することにあったようです。
  だからこそ、事実を明確に認めさせる必要があったのです。
  そして会社の方も、刑事事件を免れるためには、認めるしかないというわけです。
  マッコイ検事、その足で早速民事事件の有能な弁護士と会うことにしていましたね。

5 どうやら、このドラマは、複雑多岐にわたる事件についての、戦術を学ぶ場の
 ようです。
 そしてそのような実際的柔軟な発想は、日本の民事事件の解決にも役立ちそうな
 実戦的な考え方のヒントを与えてくれそうです。

ディードとは違った魅力があり、楽しみです。


敬老の日 再考

2011年09月15日 | 生き方・人生

敬老の日は以前は9月15日でした。

敬老の日は、法律によると「多年にわたり社会につくしてきた老人を
敬愛し、長寿を祝う」趣旨ということです。

しかし、今の老人は、こういうお祝いを望んでいるのでしょうか。

長寿は当たり前の時代です。

むしろ、定年後の長い長い人生をいかに生きるか、生きるべきか
迷っているのではないでしょうか。

子育てを終わり、家族を養うことも済ませ、肩の荷を降ろして
ほっと安堵しています。
しかし、そのあとの40年近くをただ、無責任に生きるとだけを
高齢者が望んでいるとは思いません。

自分の生き方や社会とのかかわりを、若者たちの決めてもらえば
いいというような考えでもないはずです。

社会の2割も3割にもあたる人間たちが、ただ若者たちに世話を
されて受動的になされるままに生きればいいなど
あり得ないと思うのです。
それって体の良い姥捨て思想です。

もっと自分たちの生き方に積極的にかかわり、また自分たち以外の
世代のためにも、ほどほど役に立ちたいと思っているはずです。

人生100年の時代は人類にとって初めての経験です。
したがって新しい挑戦です。

敬老の日を、そうい新しい挑戦の日、新しい生き方の創造の日、
あるいはそれを考えるきっかけの日にしたいなと
個人的には考えています。


中秋の名月 港区の自宅から

2011年09月14日 | 花 樹木 草

今年(平成23年)は9月12日が旧暦の8月15日に当たり
中秋の名月が見える日だったということです。

13日の新聞で知りました。
東京では、日本一高い屋外展望台である六本木ヒルズの
「スカイデッキ」には「中秋の名月」を楽しむべき家族連れ等
が集まったとのニュース。

さて、これは私が家のカギを開けようとしてふと右側をみると
月が見えました。
まだ時間は早く空は明るいのですが、
あまりにも大きくて真丸なので、感動して撮ったものです。

  

たまたま、中秋の名月だったわけです。

中秋の名月には人を引き付ける力があるのですね。


鉢呂氏の後任に枝野氏の人事について 最悪の選択である

2011年09月13日 | 日記

鉢呂氏の辞任は当然です。
ただ、以前ブログにかいたとおり、後任に適任者がいるか
どうか、今の民主党では疑問です。

さて、枝野氏が後任とか。
要職を手堅くこなし、人脈からいっても適任だというのですが、
私はそうは思いません。

今では、福島第一原発が、事故の当日から溶解していたことは
公知の事実です。
しかし、事故当時から官房長官として、大丈夫だと自信を持って
記者会見で発表してきたのは
他でもない、枝野氏です。
記者発表という公式の場で、平然と嘘をつきとおすことができた人が
原発や大震災に取り組む大臣として適任とは
私には到底考えられません。

それは民主党目線から見た判断です。
あれほどまでに堂々と嘘の発表をできたというとは、きっと
これから増税などの難しい議論をするときに、国民をうまくだませる
という点では適任でしょう。

しかし国民目線からいうと最悪の選択です。

原発事故で政府が事実を隠ぺいし、事故を過小評価し、
その結果、放射線物質を垂れ流し状態にし、被害を大きくしてしまった
ことは、世界中の人々が知っていることです。

それを日々記者発表で行ったのは、他でもない枝野氏です。

みなさん、そいう人を信じることができますか?

そういう人を適任だと思われますか?


東日本大震災の被害地で合同慰霊祭

2011年09月12日 | 福島原発 東日本震災

東日本大震災から6か月となり、南三陸町その他の被災地で
合同慰霊祭が行われたということです。

海の向こうでも9・11の10年のアニバーサリーが行われています。

一日も早い復興を願いしますが、それにはやはりまずは亡くなられた方たちの
霊を追悼することだと思います。
きっと理不尽な思いをお持ちだと、御慰めする言葉もありません。

9・11のセレモニーを見るにつれ、私たちは東日本大震災で被害に
遭われた方、地域の方たちの苦しみをもっと共有すべきだと思います。

AFPニュースから抜粋します。全部はここをご覧ください。

「日本政府は震災対応で批判を受け、原発危機の全容を小さく見せようとした
のではないかと疑われている。さらに、政治的な内紛が復興に影を投げかけた。

 東北地方の復興には巨額の費用と10年程度の期間がかかるとされているが、
福島第1原発の周辺地域については、もっと長い期間にわたって
居住できない恐れもある。

 政府は「ただちに」健康への危険性はないことを強調しようと苦心してきたが、
放射性物質に汚染された飲料水、牛肉、野菜、茶、海産物などについて
報じられる中、放射能に対する不安は日常の一部になっている」

とあります。被害を小さく見せようする、もっといえばそれは被害の隠ぺいでしか
ないのですが、そういう態度が、結局は被害を大きくしてしまうし、
果ては今回の鉢呂経産相のような勘違い発言に繋がってしまうのです。

地震国日本、原発が広く分布している日本では、今回のような大震災は
どこで起こっても不思議ではないのです。
もっと当事者意識を持って、復興のために、全力を尽くしてほしいと思います。

それが政治の責任です。

ご冥福をお祈りします。