震災により、日本人の生き方が変わったといいますが、個人的にはわかりません。
むしろ、加齢とともに、生き方を考えざるを得なくなっているように感じます。
このところ、脚の衰えを感じます。
特に何もしていないのに、脚が疲れたように感じています。
横になれば脚が休まるはずですが、あるいは休まるからでしょうか
脚が遠慮がちに「あの、すいませんが、脚がちょっと疲れたようなんですが・・」
と訴えてきます。もちろん、こういうことを言うわけはない。
要は、睡眠中足が動いた時の違和感が一瞬、眠りを妨げるということです。
この何日か続いているので、気になってきました。
身体って異常がなければ、存在さえ意識しないものでしょう。
差し当たり、脚を鍛えることしか思い浮かびません。
できるだけ歩くようにする。
隣の神社の階段の上り下りをしてみました。
私は元来健康で、病院は嫌いです。
ですが、肩凝りだけは十代のころからありました。
1年とか2年に1回程度ですが、凝り固まってしまうことがあります。
つい最近もあったので、ラ・クーノという肩たたきを購入しました。
毎日5分間だけ使います。発想は、毎日ケアーをするというものです。
そうすれば、凝り固まることを予防できるのではとの期待です。
高齢社会というと、さあ、介護施設だ、病院だなどといいますが、本当はもっと前に
することがあるのではないでしょうか。
介護施設や病院などは、最後の最後の手段です。
ですが、その前に、日々を健康で有意義に過ごす、
いいえ、日々を健康で世のため人のためになりながら有意義に生きるという段階が
あるはずです。
ある時期を境に別世界に飛ぶのはなく、同じ世界に留まり続けるということです。
若い時期はメリハリのある生活でした。普段は忙しくても、たまには温泉でゆっくりする
というようなものです。私は昔はそうでした。
でも、今は、温泉でゆっくり過ごしたいとは思いません。
ゆっくりと休みたくない、じっくりとすることがあるという感じです。
ただ、人類にとっては初めての経験ですから、模索していくしかありません。
ということで、「いきいき人生」と名付けました。