弁護士太田宏美の公式ブログ

正しい裁判を得るために

メンフィス・BBキング・クラブのライブとエルビスの銅像

2015年07月21日 | 日記

エルビス・プレスリーの銅像(メンフィス・ビール通り)

メンフィスはブルースの発祥の地です。
その中心地、ビール通りのすぐそばに成功後のエルビス・プレスリーの銅像
があります。
誕生地トゥーペロにある13歳のエルビスからはプロに脱皮していることが
よく見えます。

 
     

 

B.B.キング・ブルースクラブのライブ演奏

この5月に亡くなったブルースの大御所B.B.キングのライブハウス
B.B.キング・ブルースクラブでライブを観賞しました。
そのビデオです。みんな知っている曲だと思います。
舞台の前の若者たちはチェアガール?のような感じでしょうか?
お客の中には一緒になって踊る人も見られました。
私もリズムに誘われついつい手拍子を打つなどして大いに楽しみました。

 

 

BBQポークの迫力

既にブログに書きましたが、
最後にBBQポークがいかに大きかったか、食べ終わった後のお皿を
見てください。大きな骨が9本。
骨と骨をつなぐのは肉なのです。ですから肉を残すことなく食べると、
このように骨がバラバラに離れるのです。
脂身がないので食べやすくとても美味しいかったですよ。

  

大いに満足する私です。

   


エルビス・プレスリーの生まれた家

2015年07月20日 | 日記

エルビス・プレスリーのメンフィスのグレイスランドは有名ですが、
メンフィスからそれほど離れていないトゥーペロ(ミシシッピー州)というところ
がエルビスの生まれた所です。

     

エルビスが生まれた家が再現されています。

     

寝室と台所兼食堂の2つの部屋しかありません。貧しかったのです。

     

     

この自動車に引っ越し荷物を積んでこの地に来たということです。
きっと衣類、鍋釜程度しかなかったのですね。

     

13歳のエルビスの銅像があります。

     

全体のレイアウトです。 

 

関連部分を引き延ばします。

  

とても静かな所です。前日の豪華なグレイスランドもここからスタートしたのだと思うと感慨深いです。

お母さんに買ってもらったギターを持つプレスリーは成功の原点です。

大成功も初めはちっちゃな、ちっちゃなドリームだった・・・
ちょっと刺激を受けました。

エルビスを理解するには、生まれ育った場所は是非見たいところでしょう。

地図です。「Tupelo」がプレスリーの生まれたところです。

 


昨日に引き続き映画アラバマ物語について

2015年07月19日 | 日記

映画版をみて職業柄気になったことがあります。本質的なことではないので、
どうでもいいといえばそうですが・・・

1 判事が普通の服装であること。
  アメリカでは(日本も同じですが)判事だけは法服を着用しています。
  昔はそうではなかったのでしょうか?

2 被害者の証言後、検事は「The state rests.」と言っていますが、字幕は
 「証人は休憩を」となっていましたが、これは検察側の立証は終了ということです。
  多分、被害者(検察側証人)が弁護側の反対尋問の最中に取り乱したので、その
 ように解釈したのでしょうが、判事はきちんとアティカスに反対審問が終わったことを
 確認しています。そのうえで、検事にどうするのか(つまりほかに証拠があるのか)を
 聞いたのです。その答えが「The state rests.」なのです。

  ですから、次は弁護側の反証段階となり、被告人の証人尋問をすることになっていった
 わけです。

3 またappeal を再審と訳しているのも気になります。上訴としてほしかったですね。

・・・・・・・・・・・・・・・

私には法廷ドラマというよりは、父の弁護士の仕事を通して現実の社会を学び成長していく
好奇心旺盛な一人の女性の父との交流の物語のように思う。ノスタルジックな感じの残る
映画でした。


  


アラバマ物語DVDをみて

2015年07月18日 | 日記

アラバマ物語のDVDが届いたので、早速見てみました。
まず白黒なのに驚きですが、むしろそのために1930年代にすんなりとタイムスリップ
出来ました。

ナレーター(スカウト)の成長小説であると同時にナレーターの父(アティカス・フィンチ)
・弁護士の法廷小説でもあるという二面性があるようです。

(なお、ストーリーについてはネットを見てください。)

アティカスは人種差別を戦ったヒーロー弁護士とされてきたようですが、映画をみるかぎり
必ずしもそうだとは言い切れないと思います。
ただ優秀な弁護士であり、人格者であり、ある種頑固者でもあるようです。
ですから、判事から白人女性に対する暴行事件の黒人容疑者の弁護を依頼されたときにアティカス
は断ることもできたでしょうが、引き受けたのです。当然、中傷があることを承知したうえです。
誰かが引き受けるしかないわけですから。
弁護活動のうえ、黒人差別を指摘したのは、それが事実だったからであり、弁護活動のために
必要不可欠だったからです。
人種差別と戦うことが目的だったとまでは言えないと思います。

ただこの作品が発表された1960年、映画が製作された1962年ころは、アラバマでは
モンゴメリー・バス・ボイコット事件が起こるなど人種隔離政策に抗議する運動が、
全国的にも1963年にはキング牧師の「I have a dearm」演説がなされるなど公民権運動
が最高潮に達していた時代でした。

このような時代背景の下、アティカスはヒーロー(人種差別と闘う)になったのだと思います。

人種隔離政策が廃止され、法律上はとっくに人種差別はなくなったはずですが、実際には、
現在も差別は残っているのです。そのことは、黒人に対する警察官による射殺事件の頻発に
よってもわかります。

差別感覚というのは微妙で理屈だけでは解決できるものではないのだと思います。
したがって、ハーパー・リーの続編でアティカスが人種差別的であったとしても驚くことでは
ないのかもしれません。
(無実の依頼者のために、自己の主義主張を棚上げにすることができるというのも評価に
値するともいえますが。あるいはその程度の主義主張は取るに足りないのではともいえる。
実務家としては優秀と認められかもしれませんが。いずれの場合もヒーローにはなれないですよね。)
ハーパー・リーが半世紀も沈黙を守ってきたのは、読者たちを失望させたくないと
いう思いだったかもしれない。

さし当りの感想です。