その1
その2
その3
その4
その5
1月18日。旅行最終日。
以前、女満別空港から車で30分の網走市に住んでいた頃は、昼過ぎまで遊んで18時頃の飛行機で帰るというのが、
最終日のお決まりのコースであった。
しかし現在の居住地ではそうもいかず、最終日は自宅までの移動のみとしている。
北海道に着いてからも、130km運転する余力を残しておかなければならないのである。
さて、まず朝食。
次男は、みたびローソンのネギトロ巻きである。コンビニのお寿司がすっかりお気に入りらしい。
よくもまぁ、飽きないものだ。
この日が移動日だけとはいえ、油断していられない。
ホテルから自宅への荷物(土産物と洗濯物)の発送手続きを済ませたら、休む間もなく
中身はほとんど入っていないスーツケースをガラガラと引きずり、バスに乗車。
今日で最後の《擬似通勤ラッシュ体験》である。
パック旅行の特典である空港連絡バスの乗車券は、乗車駅が「舞浜地区」となっているため、
一度パークで乗り継がなければいけない。
ホテル前で行列に並ぶ、乗り継ぐためにバス停で待つ・・・この待ち時間が、もったいなく思えて仕方なかった。
我が家のように、この地に一度立ち寄ったら他の観光スポットには脇目もふらず、
このリゾートにだけ集中し、寝る間も惜しんでガッツリ遊ぶような家族は、
カネは多少お高くついたとしても、パーク近くのホテルを拠点とすべきだろう。
今回の旅行における最大の教訓であった。
羽田空港到着。
午後12時半の飛行機なので、早目の昼食をとる。長男はミニチャーハン、私と次男はカツカレー、妻はそば。
TDRにいる間は、普段食べなれていないものばかりだったので、庶民的なものが食べたくなるのは、
家族共通の欲求だった。
カレーやチャーハンにしも、フードコートで食べるのと、高い代金を払ってたべるのとでは、
何かしら気合いの入り方が違うのは私だけか(貧)。
それにしても今回の旅行でもよく食べた。
暴飲暴食であることには変わりないのだが、自分なりに計算しながらバカ食いを遂行したつもりである。
「いろんなものを、お腹いっぱいではなく、少しづつ食べる」
これは、母から教わった。
昔、父の海外旅行に付き合わされていた母は、バイキング形式の食事が続く旅行において、このことを学んだという。
帰りの飛行機は混んでいた。
往路では、男三人並んで座れたのだが、帰りは前と後ろに二人ずつの座席であった。
離陸前、長男に
「具合が悪くなったら、すぐ声をかけるように」と言い聞かせていた私は、
飛行機が飛び立つ前から爆睡し、気がつくと遥か上空であった。
女満別空港に到着。
自宅まで130kmの道のりを、ノロノロと運転。途中休憩をはさみ3時間かけて到着。
夕飯はラーメン。北海道に帰ってきたらこれが最高である。
私は味噌ラーメンを注文。札幌ラーメンの店とくれば、味噌を頼まないわけにはいかない。
長男は、ラーメンに餃子、そしてまたもやチャーハンを食べている。
「昼も食べてただろ?」
「ここのチャーハン、好きだから。」
なにか、おかしい。
次男はまだ興奮が残っているようで、立ったり座ったり、落ち着きがない。
彼の姿をみていたら、頭が揺さぶられているようで、具合が悪くなってきた。
4日ぶりの自宅。
水道凍結はしていなかった。ホッとして油断してしまい、一ヶ所水抜栓を閉め忘れたまま、
元栓を開けてしまい風呂場の前を水浸しにしてしまった。
妻はソファーから立ち上がることができず、その日の深夜0時過ぎまで、眠り続けた。
《なんでこんなになるまで・・・》
と、いつも思うのだが、3日もすれば、私は次の計画を練っており、
妻はガイドブックを見ながら、「また行きたいなぁ」とボヤいている。
実家の母から、ミカンを送られてきた。
一晩で体力が回復する子どもたちは、相変わらずである。

とにかくたのしかった。
でも旅行の一番の楽しみは、《たのしかった思い出で胸を一杯にしてに家に帰ってくる》ことなのではないだろうか。
おわり
その2
その3
その4
その5
1月18日。旅行最終日。
以前、女満別空港から車で30分の網走市に住んでいた頃は、昼過ぎまで遊んで18時頃の飛行機で帰るというのが、
最終日のお決まりのコースであった。
しかし現在の居住地ではそうもいかず、最終日は自宅までの移動のみとしている。
北海道に着いてからも、130km運転する余力を残しておかなければならないのである。
さて、まず朝食。
次男は、みたびローソンのネギトロ巻きである。コンビニのお寿司がすっかりお気に入りらしい。
よくもまぁ、飽きないものだ。
この日が移動日だけとはいえ、油断していられない。
ホテルから自宅への荷物(土産物と洗濯物)の発送手続きを済ませたら、休む間もなく
中身はほとんど入っていないスーツケースをガラガラと引きずり、バスに乗車。
今日で最後の《擬似通勤ラッシュ体験》である。
パック旅行の特典である空港連絡バスの乗車券は、乗車駅が「舞浜地区」となっているため、
一度パークで乗り継がなければいけない。
ホテル前で行列に並ぶ、乗り継ぐためにバス停で待つ・・・この待ち時間が、もったいなく思えて仕方なかった。
我が家のように、この地に一度立ち寄ったら他の観光スポットには脇目もふらず、
このリゾートにだけ集中し、寝る間も惜しんでガッツリ遊ぶような家族は、
カネは多少お高くついたとしても、パーク近くのホテルを拠点とすべきだろう。
今回の旅行における最大の教訓であった。
羽田空港到着。
午後12時半の飛行機なので、早目の昼食をとる。長男はミニチャーハン、私と次男はカツカレー、妻はそば。
TDRにいる間は、普段食べなれていないものばかりだったので、庶民的なものが食べたくなるのは、
家族共通の欲求だった。
カレーやチャーハンにしも、フードコートで食べるのと、高い代金を払ってたべるのとでは、
何かしら気合いの入り方が違うのは私だけか(貧)。
それにしても今回の旅行でもよく食べた。
暴飲暴食であることには変わりないのだが、自分なりに計算しながらバカ食いを遂行したつもりである。
「いろんなものを、お腹いっぱいではなく、少しづつ食べる」
これは、母から教わった。
昔、父の海外旅行に付き合わされていた母は、バイキング形式の食事が続く旅行において、このことを学んだという。
帰りの飛行機は混んでいた。
往路では、男三人並んで座れたのだが、帰りは前と後ろに二人ずつの座席であった。
離陸前、長男に
「具合が悪くなったら、すぐ声をかけるように」と言い聞かせていた私は、
飛行機が飛び立つ前から爆睡し、気がつくと遥か上空であった。
女満別空港に到着。
自宅まで130kmの道のりを、ノロノロと運転。途中休憩をはさみ3時間かけて到着。
夕飯はラーメン。北海道に帰ってきたらこれが最高である。
私は味噌ラーメンを注文。札幌ラーメンの店とくれば、味噌を頼まないわけにはいかない。
長男は、ラーメンに餃子、そしてまたもやチャーハンを食べている。
「昼も食べてただろ?」
「ここのチャーハン、好きだから。」
なにか、おかしい。
次男はまだ興奮が残っているようで、立ったり座ったり、落ち着きがない。
彼の姿をみていたら、頭が揺さぶられているようで、具合が悪くなってきた。
4日ぶりの自宅。
水道凍結はしていなかった。ホッとして油断してしまい、一ヶ所水抜栓を閉め忘れたまま、
元栓を開けてしまい風呂場の前を水浸しにしてしまった。
妻はソファーから立ち上がることができず、その日の深夜0時過ぎまで、眠り続けた。
《なんでこんなになるまで・・・》
と、いつも思うのだが、3日もすれば、私は次の計画を練っており、
妻はガイドブックを見ながら、「また行きたいなぁ」とボヤいている。
実家の母から、ミカンを送られてきた。
一晩で体力が回復する子どもたちは、相変わらずである。

とにかくたのしかった。
でも旅行の一番の楽しみは、《たのしかった思い出で胸を一杯にしてに家に帰ってくる》ことなのではないだろうか。
おわり