私の曾祖父と祖父は、仲が悪かったらしいと以前にブログに書いた。
どのくらい悪かったかは知らないが、穏やかな表情の曾祖父の隣で、ムッとしている祖父が
写真に収められている。どの写真もである。そっぽを向いている写真もある。
宮司の家の長男に生まれ、父親の上の位の資格を取っていたにもかかわらず、
教職員となり、職場で知り合ったクリスチャンの祖母と結婚し、自分の選んだ道を進むことを選んだ祖父。
趣味である生け花が高じて池坊を破門となり、自分の流派を創設したが48歳で亡くなったため、曾祖父がその跡を継いだ。
親子の確執は、その後も我が家系で繰り返されているようだ。
幼いころから父親にベッタリだった私も、幼少期の反動か今では父はなるべく遠ざけていたい存在である。
実家にいても我慢できるのは、48時間が限度。なにやらムカついてきて仕方なくなるのである。
「夫唱婦随」とは大変美しい言葉ではあるが、必死に父親を支えようとする母親に対しては、24時間が限界。
子に対する母親の愛情を受け入れるというのも、結構気力が消耗してしまうのである。
一晩実家に泊まると、大変申し訳ないが、うっとうしくてこちらの頭が壊れそうになってしまう。
よその家で言うと、宮崎駿と吾郎親子。
親子で映像作家同士、相いれないところがあるのかネットでもいろんな憶測が飛び交っていた。
兄の言葉を借りれば、「父と息子(の関係)は難しい」。全くその通りだ。ひしひしと感じる。
加えて言うなら我が家系の場合は、「歴史は繰り返される」といったところか。
ひょっとしたら宮崎家でも同じような親子関係が、代々受け継がれてきているのかもしれない。
ウチの二人の息子も、きっと親がうっとうしくてたまらなくなる時が来るのだろう。
自分の経験から言えば、長男に至ってはもう間もなくである。 我が家でも「歴史は繰り返される」のか・・・
CSで「あまちゃん」の再放送を鑑賞中である。来週は、東日本大震災のあの日から始まる。
あの日から今日までの日本と、関東大震災からの大日本帝国崩壊までの歴史が、頭の中でちょっと重なった。
あの日を境に、なんか日本の社会全体がひっくり返り始めたような気がしてならない。
どのくらい悪かったかは知らないが、穏やかな表情の曾祖父の隣で、ムッとしている祖父が
写真に収められている。どの写真もである。そっぽを向いている写真もある。
宮司の家の長男に生まれ、父親の上の位の資格を取っていたにもかかわらず、
教職員となり、職場で知り合ったクリスチャンの祖母と結婚し、自分の選んだ道を進むことを選んだ祖父。
趣味である生け花が高じて池坊を破門となり、自分の流派を創設したが48歳で亡くなったため、曾祖父がその跡を継いだ。
親子の確執は、その後も我が家系で繰り返されているようだ。
幼いころから父親にベッタリだった私も、幼少期の反動か今では父はなるべく遠ざけていたい存在である。
実家にいても我慢できるのは、48時間が限度。なにやらムカついてきて仕方なくなるのである。
「夫唱婦随」とは大変美しい言葉ではあるが、必死に父親を支えようとする母親に対しては、24時間が限界。
子に対する母親の愛情を受け入れるというのも、結構気力が消耗してしまうのである。
一晩実家に泊まると、大変申し訳ないが、うっとうしくてこちらの頭が壊れそうになってしまう。
よその家で言うと、宮崎駿と吾郎親子。
親子で映像作家同士、相いれないところがあるのかネットでもいろんな憶測が飛び交っていた。
兄の言葉を借りれば、「父と息子(の関係)は難しい」。全くその通りだ。ひしひしと感じる。
加えて言うなら我が家系の場合は、「歴史は繰り返される」といったところか。
ひょっとしたら宮崎家でも同じような親子関係が、代々受け継がれてきているのかもしれない。
ウチの二人の息子も、きっと親がうっとうしくてたまらなくなる時が来るのだろう。
自分の経験から言えば、長男に至ってはもう間もなくである。 我が家でも「歴史は繰り返される」のか・・・
CSで「あまちゃん」の再放送を鑑賞中である。来週は、東日本大震災のあの日から始まる。
あの日から今日までの日本と、関東大震災からの大日本帝国崩壊までの歴史が、頭の中でちょっと重なった。
あの日を境に、なんか日本の社会全体がひっくり返り始めたような気がしてならない。