妻一人 子一人 と 一匹

2005.9.26 『妻一人 子一人』としてスタート
2010.3.18、2021.8.28、2023.3.26 改変

休日

2013年02月12日 23時27分15秒 | Weblog
2月8日。

昨年の人間ドックで見つかった胆のうポリープの再検査の日であった。

検査結果は、多数の小さなポリープが発見されたがどれも良性。

コレステロールポリープというやつらしい。最大で7mm。

胆のうという臓器には、コレステロールがたまりやすいらしい。

昨年の検査結果を見て、医者から「悪玉コレステロールが多いので気をつけてください」と釘を刺されてしまった。

油モノが大好きな私には、とても辛い告知であった。でもやめられないんだよなぁ、唐揚げにレモン&マヨネーズが・・・。

”もしも”のことを考えて、その日は一日休暇を取っていた。

本当に病気が見つかったら、その日一日くらいは落ち込んでいたかったからだ。

検査結果にホッとしたせいか、昼寝2時間。坂口安吾の短編を読んだ。

家には妻と次男がいて、長男一人がいないだけでものすごく静かな家庭だったのだが、

15時過ぎ、長男が小学校から帰ってきて、一気にヒートアップ。

子供たちのツープラトン攻撃に、私の<静かな休日>は、木っ端微塵に砕け散る。

深夜、劇場版「マクロスF~サヨナラノツバサ~」を途中まで見る。


2月9日。

第51回もんべつ流氷まつり。


長男は小遣いでチョコバナナ、次男はドラえもんの笛が欲しいといって聞かない。仕方なく買い与える。

ガラポンくじで、次男がおもちゃのピストルを当てる。長男はなんだったかな・・・

終始次男の機嫌が悪く、ついには会場で泣き叫び始めたので、肩に担ぎ上げ強制退去。

夜11時頃、うっかりソファーで寝てしまう。

深夜1時に目が覚めて、明け方4時までyoutubeで、アニソン聴きながらインターネット。


2月10日。

モスバーガーにて家族4人でブランチ。

男3人で、再び流氷まつり会場へ。財布を預かっている私に、長男が「何か食べたいから500円!」と

小遣いを握りしめ姿を消す。しばらくして、おもちゃのピストルの箱を持って現れる。

雪がちらつき始めたので、「フライドポテトを買う!」という長男の声を遮って帰宅。

・・・さっきモスバーガーで腹一杯になるほど食ってたじゃねーかよ・・・

疲れた。またしても昼寝2時間。

日中溜まったストレスは、夜ふかしで発散。

ジェームスブラウンのライブ映像、劇場版「マクロスF」の続きを見たあと、「マクロス超時空ゼミナール」でおさらい、

ほかにもアニメ2本を鑑賞。午前3時就寝。


2月11日。

恵みの雨ならぬ、恵みの雪。「雪が降っているから、まつりに行くのは中止!外の雪山で遊ぶこととする。」

雪かきをしながら子供たちを遊ばせる。彼らは体を動かすことができるのなら、なんでもいいようだ。二人とも終始ご機嫌。

こんなことだったら、まつりになんか行くんじゃなかった。カネの無駄使いであった。

約2時間の外遊び。子供たちは満足。私は連日連夜の夜ふかしのせいで、意識朦朧。みたび昼寝2時間。

「すっかり夜型の生活になってしまった」と、思いきや夜10時過ぎに撃沈。

目が覚めると深夜1時20分。緑内障進行予防のための目薬挿して再び就寝。

眠れないのではないかという思うひまもなく朝まで直行。


3連休+1日。全然休んだ気がしない・・・。

訃報

2013年02月06日 22時18分27秒 | Weblog
私の一番最初の記憶は、大伯母さんの葬式である。たしか2~3歳。

畳の部屋におばさんが横たわり、横で父が泣いている。

このとき、「おばさん、ねちゃったの?」と言って、その場の笑いを誘ったそうだ。


もしかしたら、その何年もあとになってからその時の話を聞いて、

頭の中で想像した映像が、<私の記憶>となっているのかもしれない。その可能性が高い。


私の家系は曾祖父の代から、北海道で神主をやっており、大伯父さんはその2代目。

前述の大伯母さんに先立たれたあと、数年後に再婚した。

私としては、亡くなった大伯母さんよりその後妻さんとのお付き合いの方がずーっと長い。

おばさんは、もう何年も前から白血病を患い闘病生活が続いていた。

今日の勤務時間終了時に、母親からメールが届き、このおばさんが亡くなったことを知った。

血は繋がっていないとはいえ、なんだかやはり寂しいものだ。

90歳を過ぎ、また妻に先立たれてしまった大伯父さんが気の毒でならない。


帰宅すると、学校帰りに同級生から意地悪なことを言われたことが相当悔しかった長男が、
怒りのあまり怒鳴り散らし&泣きわめき、その横では、次男が超ゴキゲンで雄叫びを上げながら
何やら遊んでいる。

故人を偲ぶ余裕すら与えてくれなかった。

厄払い

2013年02月03日 17時36分42秒 | Weblog
今年は数えで41歳なので、前厄ということで近くの神社に行ってきた。

昨年、背中を6針縫う怪我、緑内障発症と、”厄”はもうそれだけで結構というところだが、

まだ何かあったらイヤなので、厄払いに参加した。節分用の豆とお守りをもらった。


今夜は豆まき。

長男は「今年はオレもやる」と意気込んでいたが、何が気に入らないのか、

結局鬼役は私だけとなるようである。


週末のお楽しみ

2013年02月02日 23時14分43秒 | Weblog
現在「新春・ひとりアニメ鑑賞会」を開催中。快調である。

シリーズものは、「絶園のテンペスト」「八犬伝~東方八犬異聞~」「天元突破グレンラガン」

「俺の彼女と幼なじみが修羅場すぎる」「ビビッドレッドオペレーション」の5本

だいぶ前に録画していた、劇場版「マクロスF~イツワリノウタヒメ~」をようやく鑑賞。

アニメのどこがどういうふうに面白いとかいうことより、”ひとりだけの世界”に閉じこもることができるという

喜びの方が大きく、さっさと寝てくれる家族へ感謝しながら、とりあえずは一週間健康に過ごすことができた

身体へのご褒美として、最近週末の欠かせない行事となっている。


そういえば「八犬伝」と言えば、昔々「THE 八犬伝」というアニメを見たことがあった。

原作も知らないし、今ほどアニメに興味がなかったので、どんな話か全く覚えていない。

この作品を検索してみたところ、「UN-GO」や「エウレカセブンAO」の脚本を担当した會川昇さんが

当時、脚本家として参加していたそうだ。これは、俄然興味がわいてきた。

続編である「新章」と合わせて、もう一度見てみようっと。

二次会 第二部(その2)

2013年02月01日 23時14分53秒 | Weblog
前回の続き

・・・とその前に、我らが某会におけるカラオケ大会の歴代王者の変遷の<まとめ>をここに記す。

初代王者:Nくん(在位期間 2002~2010)

一見すると地味で真面目そうな男に見えるのだが、彼がニヤリとはにかみながら
ひとたび口を開けば、私とHKくんはたちまち笑い転げ撃沈される。
カラオケも同様である。我々が全く知らない曲を高らかに歌い上げ、呆然とする二人に
「みんなこの歌しらんもな~」(標準語訳:みんな(今歌った)曲は、知らないよね)と言い放つ。
これは彼の決めセリフであった。

呆然としていたのは、その曲を<知らない>だけではなかった。

「・・・上手い!・・・うますぎる・・・!!!」

彼のとんでもないパフォーマンスに、我々は引き込まれていたのである。
20代の頃の彼は、昨今における歌手としても活躍する声優や、アニメで使われる曲を歌うアーティストを
遥かに凌ぐ歌唱力&パフォーマンスであったと思う。

・・・しかし、大変残念なことにその証人は、私とHKくんしかいない。

第6回大会(2002年)から、某会におけるカラオケは<大会>の様相を呈してきた。
最初の頃に設けていた<深夜0時アニメソング解禁>というルールを、
Nくんがこの時先駆けて破棄したのである。
今思うと、「なんでこんな変なルールを・・・」となるのだが、おそらくアニソンになると、
異常なまでに盛り上がってしまうため、その暴走を最小限に食い止めるための措置だったのかもしれない。

「いいべや。うたいたいんだから。」という彼の素朴な欲求が、大暴走のアニソンカラオケ大会を勃発させた。

そして彼はいつも無敵だった。

長男が誕生したため、私はしばらく某会の活動を休止したいと申し出た。
いつも彼らに「集合!」と号令をかける立場であった私が不在となり、
某会はその後3年半の長きにわたって活動を停止していた。
1998年の第1回大会から始まった某会・第一期の最後の大会となった第10回大会(2004年)、
HKくんには、ラストでNくんが全身から光を放ち宇宙の彼方へ飛んでいく姿が見えたという。
ちょうどトイレのため席を外していた私は、トイレから帰ってきてカラオケボックスの扉を開けると
立ち上がって熱唱しているNくんを、口を開けて半ば放心状態で見上げているHKくんを見て
吹き出しそうになった。

この時Nくんが歌っていた曲・キングゲイナーOPにちなんで、「キングゲイナー事件」と名づけている。

活動再開後の2009年、彼は椎間板ヘルニアの手術から間もなかったので、第12回大会を欠場。
その大会は、私とHKくんの一騎打ちとなった。しかしその結果は・・・

「これでは、彼に勝てない」

二人とも口には出さなかったが、このとき全く同じことを考えていたということが、あとになってわかった。
というわけで、彼は不在にもかかわらず絶対王者であり続けた。
そしてその年の年末、彼は完全復活を遂げる。
新型インフルエンザの後遺症ため、今度は私が欠場した第13回大会で、HKくんは健闘むなしく玉砕。
そして精神が崩壊する。仕事、自身のバンド活動、そして某会でのNくんとの一騎打ちと、
気力・体力を使い果たしたHKくんは、年明けからうつ症状に悩まされたそうだ。



第2代王者 私(在位期間 2010~2011)

学生時代、我々3人の共通の遊びとしては、テレビゲーム、ビリヤード、ゲームセンター、
ボウリングであったが、卒業後はこれに、カラオケが加わることとなった。
そのきっかけを作ったのが私である。

「アニメソングを真面目に歌ってみよう!」

というのが、我々のカラオケにおけるコンセプトとでも申し上げておこう。
私はこれを実践し、二人はニヤニヤしながら賛同してくれた。

しかしながら、Nくんの抜群の歌唱力、他を寄せ付けないパフォーマンスの前に
いつも私は”NO.2”の存在であった。

実に3年半ぶりとなった2008年の第11回大会で、私は王者になりかけたことがあった。
しかし、大会終了後Nくんと共に泊めてもらったIくんの部屋で、猛烈な腹痛&下痢に襲われ
仮眠をとることができずに悶絶し、意識が遠のいていたところ、スヤスヤ寝ていたはずのNくんが、
むっくりと起き上がり・・・

「いや~、全然寝れんかった」と一言。

私が掴みかけた王座は、あっさりとディフェンデングチャンプ・Nくんの元に戻っていった。

前述の私が欠場した第13回大会の鬱憤を晴らすべく、気力体力ともに万全で臨んだ第15回大会では、
旅行から帰ってきたばかりで疲れていたNくん、毎日の激務で心身ともに疲れきっていたHKくんを尻目に
私はことあるごとに雄叫びをあげ、興奮が絶頂に達したところで、最後はあえてNくんの得意曲を奪い取る
という暴挙に出て、ついに無敵を誇った絶対王者・Nくんをその王座から引きずり下ろすことに成功した。
最後の曲は、Nくんにトドメを刺すために歌ったのたが、悲鳴を上げたのはHKくんだった。

このときのHKくんは、完全に壊れていた。
これから約半年後、彼から13年間勤めた会社を辞めるというメールが届き、私は激しく動揺した。



第3代王者 HKくん(在位期間 2011~)

カラオケは初心者だったHKくん。
それもそのはず、高校時代からインスト音楽に傾倒し、大学時代は私とフュージョン狂時代を
謳歌していたのだ。「歌モノなんて・・・」という偏見が我々の頭を支配していた。
根が目立ちたがりやの私は、高校時代に初めてカラオケを体験して以来、人前で歌うことはごく普通のことだった。
HKくんは、高校時代の友人たちが繰り広げるカラオケ対決を見て、すこし羨ましく思いながら眺めていたそうだが、
自らが進んで歌うなんてことは、頭になかったらしい。
しかし、大学時代一番身近にいた二人が、カラオケで暴走する姿を目の当たりにして、
彼の中で何かが目覚めてしまった。

そうして始まった某会。
彼は必死にアニメソングを勉強した。しかし、最初のころはいわゆる”お客さん”だった。
Nくんと私の歌にゲラゲラ笑っているだけだったのだ。
そんなHKくんも、第1期終盤には蓄積された膨大なデータを武器に、我々二人に対して
食らいついてくるほどになっていた。

そして、いつも壮絶に散っていった。

前述のキングゲイナー事件。Nくんを見上げるその姿は、まるで魂の抜けた老人のようであった。
ある時は<喉から出血→戦闘不能>、またある時は勝利を意識するあまり終了時間を間違え、
ネタ切れとなったノーガードの状態のところにNくんの歌を3曲連続でお見舞いされ、<精神崩壊>。
それがトラウマとなり、歌ったのはNくんではなく私であっても、その時の曲を聴くと恐怖のあまり悲鳴を上げた。

そんな”逆”MVPともいうべきありがたくない称号がいつもつきまとっていた彼だったが、
2011年ついにブレイクする。某会がスタートして実に13年が過ぎようとしていた。

HKくんは2011年4月1日・エイプリルフールに私に対して

「会社辞めます」

というメールを送ってきた。私は混乱した。
私は前年の勝利にどこかまだ酔いしれていたのだが、彼からのメールでその陶酔感は一気に吹き飛んだ。
前回(第13回大会)で彼は修復不能になるくらい壊れてしまったのだろうか。
この先、彼はこれから一体どうなるんだ?これはまず、彼のために集結しなければならない。

~2011年5月、緊急招集~
私の心配していたこととは正反対に、HKくんは激務から解放され、13年間会社のために捧げた自分を
取り戻すべく、第16回大会に向けて、静かなる闘志を燃やしていた。
決まり手となったのは、某会が活動休止のあいだも練習し続けた努力の結晶ともいえる、
一人カラオケにおける一瞬のヒラメキであった。

「いまはおやすみ(セリフ入り)」(機動戦士ガンダム 挿入歌)を、身内ネタで見事にアレンジし、
某会史上最大の大爆笑を誘発したのである。

もう彼は、初心者でも逆MVPでもない、正真正銘の<王者>であった。

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2012年9月30日

時刻は午前3時を過ぎていた。

次の日の仕事のため、「3時まで!」と宣言していたIくんだったが、一向に帰ろうとする気配はない。
いつものことながら泥酔、ベロンベロンである。
しかしこの日の彼は絶好調であった。今まで聞いた中で一番だったかもしれない。
途中でダウンして眠ってしまうこともなく、我々3人と同じように歌い続け、そして酔っ払っている。
いつも思うことなのだが、NくんとHKくんと私の3人だけのカラオケだと、どうしても殺気のようなものが
部屋の中を支配してしまう。それを和らげるIくんの歌は、某会には欠かせないのである。

某会における”癒し系”・・・。
それがIくんの、泥酔アニソンであり泥酔フォークソングなのである。
今宵、Iくんはフェイスブックで私がリクエストしていたとおりにフォークソングを次々と歌ってくれた。

「ありがとう、Iくん。」

























「しかし、もう君の役目は終わった。」


時刻は午前3時25分。次の日の仕事は車を運転して遠方へ出かけるとも聞いていた。
これ以上、ここに居座るのは危険だ。こんなことをいつまでも続けていたら、
仕事中万が一のことも発生しかねない。某会のせいで、Iくんの業績に傷をつけたくない。
彼のためには、一刻も早く帰ってもらうしかないだろう。

「この歌が終わったら、Iくんを帰そう。そして彼も・・・」
と、Nくんと示し合わせ、Iくんの歌が終わると、私は首をがっくりもたげ、石のように動かなっている麻田くんの元へ、
NくんはIくんの元へと歩み寄った。HKくんもNくんに続いて、メタボの酔っぱらいの両脇を抱え
強制撤去送還に踏み切った。
麻田くんは、私の呼びかけに反応し、悪夢から目覚めたようなホッとしたような表情で、
素直に起き上がり、ふらつきながらも部屋を出ていった。
Iくんも久々に歌いまくってさすがに疲れて観念したのか、暴れだすこともなく二人に介抱されながら
部屋をあとにした。

再び、私は留守番。
部屋番号さえ覚えていたら、別に留守番なんてする必要はなかった。
実はこの時、ついに<最終決戦>が始まるのかと思うと興奮でガタガタと身震いを覚え、
麻田くんやIくんのことなど眼中になかったのだ。「気ぃつけて帰れよ」くらいにしか思っていなかった。

入室してから6時間。いよいよ始まるのである。

昨年に引き続き今年も三つ巴の闘い。開始直後に大事件が発生し、正直「今年はやらないのかな」と思った。

かといって、それはそれで楽しかったのでさほど残念ではなかった。「また来年があるさ」

しかし、ついに今年も始まろうとしているのである。血を血で洗うような攻防が・・・。

私はまたしてもドキドキワクワクしながら、その時を待った。