気分はガルパン、ゆるキャン△

「パンツァー・リート」の次は「SHINY DAYS」や「ふゆびより」を聴いて元気を貰います

黒森峰女学園 Ⅲ号戦車J型 作ります!! その3

2015年10月16日 | ガルパン模型制作記

 ステップ5では、車体に車輪類を取り付けます。私の製作においては、上下の転輪は塗装後に取り付けることにしました。また、ガイドには、車体パーツHの左右上端にある計6つのピンを削り取る旨の指示があります。


 削り取るピンとは、上図の赤円内に示した部分です。左右に3つずつあります。


 6つのピンを全て削り取りました。


 起動輪および誘導輪を取り付けました。ステップ1にて誘導輪につけたB33およびB38の軸部先端を、ステップ4で組んだリヤパネルのB30の両端の穴に通して、双方が歪みなく組み合わさるように注意しました。事前に仮組みしておいたので、間違えずに接着出来ました。


 ステップ6では、車体背面の各部品を取り付けます。ここではガルパン仕様への変更点が三つあります。一つ目は、b10、b11、B21、B22、MA1、MA2の6個のパーツが不要であることです。いずれも劇中車にはついていないか、つけても全然見えません。
 二つ目は、B15にある大小二つの円蓋のうち、小さい方の円蓋のモールドを削り取ることです。三つ目は遮熱板のパーツB1が短いので、下方に延長することです。


 まずは公式設定資料図にて劇中車の形状を御覧下さい。B15にある大小二つの円蓋のうち、小さい方の円蓋が省略されています。そして遮熱板は、キットのパーツB1よりも下に長く伸びています。


 これらの情報をふまえて、パーツの改造に取り掛かりました。


 キットパーツのB15です。御覧のように大小二つの円蓋がモールドされています。右の小さい円蓋のモールドが不要になります。


 小さい円蓋のモールドを削り取りました。


 遮熱板のパーツB1は、プラ板にて下方に約4ミリ延長しました。切り欠き部分はあらかじめ小さく設けておいて、後で修正カットを施して劇中車の形状に近づけることにしました。


 プラ板で延長部を足したパーツB1車体に取り付けました。そのうえで、全体の形状の調整を行ってカットすれば良いだろうと考えました。


 遮熱板のリブも、劇中車の形状に合わせて延長しました。例によって仕上がりが雑ですが、私の拙い腕ではこれが精一杯です。それに、サーフェイサーを吹き付けて更に塗装すれば余り目立たなくなりますので、あまり気にしませんでした。
 この時点で、延長部分の左側が少し長かったので、後で0.1ミリほどカットして整えました。今回のキットにおける、プラ板を用いての追加工作部分は、この遮熱板のパーツB1の延長が一番のヤマになります。これをクリア出来れば、あとは小さな工作や修正ばかりになります。 (続く)

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ガルパンの聖地 ・ 大洗を行く19 その4 「ほのぼの作戦2です!!」

2015年10月15日 | 大洗巡礼記

 駅の待合室にて、「那珂湊ほのぼの作戦2」の案内マップを貰いました。前回の参画店舗は8ヶ所でしたが、今回は新たに4ヶ所が加わって12ヶ所になりました。特典カードの方は4枚でワンセットですから、12ヶ所全てを回れば3セットが揃います。個人的には2セットもあれば充分でしたので、新たな4ヶ所を含めた8ヶ所を回ることにしました。食べ歩きに加えて買い物もありますから、費用のバランスと荷物の量を考えて、行くお店を選んでおくのがコツです。


 一ヵ所目は、前回も入った甘露煮の「はるのや」でした。前回買ったサンマの甘露煮がとても美味しかったので、同じ品をこの日の宿での夕食の一品にするべく購入しました。


 特典カードは河西忍でした。背景は那珂湊の反射炉です。


 二ヶ所目は、前回も入った精肉店の「鳥惣」でした。今回はフイッシュバーガーを買いました。


 特典カードは佐々木あけびでした。背景は那珂湊おさかな市場です。


 三ヵ所目は、前回も入ったパン屋の「桔梗屋」でした。前回と同じ那珂湊マドレーヌを買いました。特典カードは河西忍でした。


 四ヶ所目は、今回より加わったお店の一つ「こまつや」でした。街中の雑貨屋というか、小型のホームセンターといった感じのお店です。かねがね就寝時に枕元に置く非常用のハンディライトが欲しいと思っていたので、そのことを言うと、「それならこれはいかがですか」とLEDのミニライトを示してきました。長さ9センチのコンパクトサイズなので、これはいい、と思ってそれを買いました。単4電池4本とセットで509円でした。


 特典カードは宇津木優季でした。背景は那珂湊海水浴場です。


 五ヶ所目は、今回より加わったお店の一つ「玄宝屋」でした。寝具の専門店です。大洗でいえば「山戸呉服店」のようなお店です。タオル類も豊富で、この日は暑かったこともあり、汗拭き用のハンディタオルを買いました。若い店主さんは気さくな方で、少し話をしました。大洗の方で各所に置いているガルパンのキャラクターパネルをこちらでも置きたい、という旨のことを語っておられました。特典カードは宇津木優季でした。


 五ヶ所目は、今回より加わったお店の一つ「伊勢増」でした。惣菜専門店と聞いていましたが、実際には小型のスーパーのような品揃えで、買い物客が結構入っていました。那珂湊地区にはスーパーがほとんど無く、西の郊外エリアまで行かないと大型量販店が無いのです。


 ほのぼの作戦2を楽しんでおります、と申し出ると、こちらの商品はいかがですか、と上図の「Ⅳ号戦車風ココアシフォン」を紹介されました。ガルパンにちなんだオリジナル商品を那珂湊で見たのは、これが初めてでした。


 この黄色のやつがそれなのかな、と見ていると、奥から店員さんが出来立ての品を持ってきて、「あっ、その商品はこちらになります」と並べつつ、一個を手渡して下さいました。なるほど、Ⅳ号戦車のH型仕様の車体色と同じです。それを買いました。特典カードは宇津木優季でした。


 六ヶ所目は、前回も行った春日ホテルです。今回はそのレストランで昼食にする予定でした。「磯辺ハンバーグ定食」をいただきました。特典カードは澤梓でした。背景は那珂湊市街地の航空写真です。


 七ヵ所目は、前回も行った精肉店の「安藤肉店」でした。このお店の串カツ類はとても美味しかったので、ここでもこの日の宿の夕食のおかずを買っておくことにしました。ヒレカツ、海老団子、白身フライを購入しました。


 特典カードは佐々木あけびでした。


 八ヶ所目は、今回より加わったお店の一つ「七つ星」でした。惣菜専門店ですが、量り売りがメインなので、好きなものを好きなだけ買えます。ここでは御飯と味噌汁カップを買いました。
 これで、この日の宿の夕食はだいたい確保出来ました。宿はお馴染みの「さかなや隠居」で、今回は素泊まりで予約してあったのでした。


 特典カードは澤梓でした。これで私の「ほのぼの作戦2」は完了となりました。自転車で移動したので二時間もかかりませんでした。と言うより、那珂湊駅のレンタサイクルが二時間で100円なので、時間をオーバーすると追加料金がかかるのです。それで二時間以内に回る必要があったわけです。

 今回の「ほのぼの作戦2」の窓口は、ひたちなか海浜鉄道さんが担当しています。自転車を返却したのち、駅の窓口に行って特典カードを示して特典缶バッジの配布を受けました。カード1セットにつき1個が貰えますので、今回は2個をいただきました。 (続く)
コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ガルパンの聖地 ・ 大洗を行く19 その3 「那珂湊に行きます!!」

2015年10月14日 | 大洗巡礼記

 武田氏館の見学を終え、説明などをして下さった管理事務所の方にお願いして写真を撮っていただきました。予想以上に有意義で楽しい見学でしたので、よい思い出になります。


 武田氏館を後にして帰路は徒歩で引き返しました。武田氏館の背後には広い空き地がありますが、武田氏館とは関係がない区画のようです。


 近くの武田公民館の敷地内には、石仏や墓石をまつる覆屋がありました。これらの石仏や墓石は、以前は武田氏館付近や神社境内地などに散在していたのを、宅地開発および武田氏館の設置にともなって集めたものだそうです。武田氏の活躍時期であった平安時代にまで遡るものはありませんでしたが、それもそのはず、平安時代にはまだ石仏や墓石を作るという習慣がありません。遺品は全て江戸時代以降のものばかりでしたから、武田郷の範囲は中世期までずっと集落が存続していなかったことがうかがえます。


 歩いて15分ほどでJR勝田駅に着きました。道順さえ分かれば、徒歩で充分に行ける距離です。


 ひたちなか海浜鉄道のホームに行きました。


 今回利用した列車はキハ37100形でした。この鉄道では最も新しい車輛で、平成14年に茨城交通が発注して購入したものです。現在のアニマルトレインの仕様になったのは、平成22年4月からだそうです。


 良く見ると、車体には子供たちの絵がラッピングされていました。


 快晴のもとで田園地域の中をのんびりと走りました。乗車時間は30分に満たないですが、列車も景色も風情が良くてけっこう記憶に残ります。


 那珂湊駅に着きました。構内には新旧さまざまな車輛が駐機しており、鉄道ファンらしき年配の方が二人、ホームからカメラを向けたりしていました。


 ホームに居た、那珂湊駅の飼い猫です。駅員さんの話によると、駅猫として二匹を飼っているそうで、「おさむ」「こさむ」と名づけられているそうです。今回出会ったのは小さい「こさむ」の方でした。


 今回は「那珂湊ほのぼの作戦2」を楽しみますので、限られた時間内で街中を効率的に回るべく、駅のレンタサイクルを利用しました。二時間で100円、別に保証金1000円を支払いますがこれは返却時に戻ります。 (続く)

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

黒森峰女学園 Ⅲ号戦車J型 作ります!! その2

2015年10月13日 | ガルパン模型制作記

 ステップ3では車体下部に車輪の軸部などを取り付けます。完成すれば見えなくなる車体内部のパーツまで取り付けるという点が、いかにもドラゴン系キットらしいです。


 該当パーツを切り出してチェックしてみました。車軸パーツのa1およびa2は、ガイドの指示通りに接着するのではなく、サスペンションアームのB5からB8までを取り付けて固定したのちに流し込み接着剤で接着した方が良いと判断しました。


 組み立てが終わりました。車軸を通してサスペンションアームを組み付けて接着し、それから車軸を接着して固定し、その上にa4およびB18を取り付けて接着する、という段取りで行ないました。こういったパーツ取り付けの順番も、ガイドに示されていたほうが良いと思います。


 車体内部のパーツ取り付け状況は、こんな感じです。


 反対側のパーツも全て取り付け終わりました。組み立て自体は難しくありませんが、パーツが細かいので、接着時に注意が必要でした。


 接着剤がまだ固まらないうちに、裏返してサスペンションアームの並びを定規でチェックし、僅かなズレが無いか確かめました。


 車体内部のパーツにおいても、ズレや歪みが無いかチェックしておきました。


 ステップ4では、リヤパネルを組み立てます。ここからガルパン仕様への製作ポイントが加わります。


 公式設定資料図の背面図を御覧下さい。制作ガイドに示されるパーツB27が、劇中車において省略されていることが分かります。したがって、パーツB27は不要となります。またB29には穴がありますが、劇中車のそれには穴がありませんので、穴は埋める必要があります。


 該当するパーツを切り出しました。B29は穴をパテで埋めるまでランナーにつけたままにしていたので、上画像には写っていません。


 大体の組み立てが終わりました。牽引フックのピンB39だけは、垂直にセットする必要があるため、リヤパネルを車体に取り付けて接着するまでは取り付けないでおきました。 (続く)
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ガルパンの聖地 ・ 大洗を行く19 その2 「武田氏のルーツです!!」

2015年10月12日 | 大洗巡礼記

 主屋前面庇の内部です。天井が無く屋根裏の部材がそのまま見えます。空間も高いので、実際の規模よりも広がりが感じられます。庇部分は主人に仕える人々の空間とされ、護衛の郎党が控える場でもありました。平安時代から鎌倉時代前半にかけての武家社会は、貴族社会並みに身分差が徹底しており、侍分(さむらいぶん)であっても、中間(ちゅうげん)や小者(こもの)や荒子(あらしこ)は建物に入れませんでしたから、上図の庇空間に入れるのは、主人の他は侍(さむらい)だけでした。

 年に数度の祝い事や宴の時は、蔀戸の下半分を取り外して縁側まで広く場をとり、杯や料理を広げて楽しんだといいます。その日だけは、中間でも功績のあった者は特別に縁側に上がることを許されたといいます。


 主屋の側面の戸口です。蔀戸を閉じるとこのような状態になります。格子の内側に裏板と呼ばれる板を張りますが、縦に何枚か並べたうちの一枚か二枚は、当時の武家居館においては簡単に取り外せるようになっていました。有事の際に外して、格子を狭間がわりにして弓矢を放てるように、との工夫からです。戦国時代になると鉄砲が普及しますので、こういった戸口の格子越しに狙撃するという場面も多くなったとされています。


 前面庇から式台および厩を見ました。一般的に厩は式台に近い位置に設置されることが多いです。主人がすぐに馬に乗れるからです。
 平安時代末期頃から鎌倉時代初期の武士は、とくに所作の迅速さを重んじましたから、たとえば主人が式台に向かいつつ「馬を引け」と命じたら、小者が直ちに厩から馬を引き出して式台につけることになります。数秒の動作が必須で、もたつけば、最悪の場合には「懈怠なり、武辺不覚悟」と切り捨てられるケースもあったそうです。


 主屋から門を見ました。前庭の広さは、これでも広い方に属します。室町戦国期の居館の方が平均的に広いのですが、それは土地利用の制度の差ではないか、という説があります。平安時代から鎌倉時代にかけての時期は、まだ政治支配システムが律令制のそれなので、支配単位となる土地の地割も律令期の条里制にのっとっていた所が多かったとしても不思議はありません。したがって敷地は宅地であっても正方形となり、田畑との使い分けによって居館範囲はさらに縮まります。

 条里制の基本単位である坪は、109メートル四方の規模です。これを南北に六つ並べて一条、東西に六つ並べて一里と数えました。一坪は古代には十分割され、その一つを段と呼び、地割の基本単位となりましたが、平安時代には段を半分にして一世帯の単位にしているケースが多かったといいます。
 その場合の規模は約21メートル四方になりますが、これが初期の武家居館の規模とほぼ同じになるそうです。その区画内に、主屋と厩と納屋、そして郎党や奉公人の住む長屋などを配置しますから、空きスペースがそんなに確保出来る筈がないのです。現にここ武田氏館もそれに近い規模で再現されています。


 厩の内部です。前面には板間が設けられてあります。この段差があると、馬は普通は登れませんから、前に進めません。この板間で小者や荒子が馬の世話をしたり、馬具や武器などの手入れをしたり、夜には宿居(とのい)の役目についたりしました。戦時に使用する楯や矢来(やらい)等はたいていは馬の保護も兼ねて厩の周囲に立てかけてあったりするケースが多かったそうです。なので、厩はだいたい武器庫も兼ねていたことが多かったようです。


 厩の背面は全て扉口となり、ここが馬の出入り口になります。前に板間の段差があることで馬がいきなり前庭に飛び出すのを防ぎ、暴れ出しても扉を閉めておけば大事に至りません。
 ですが、主人が馬に乗る時にはここから迅速に引き出して式台へ寄せないといけないので、通常は扉の一枚は開け放しにしてあった可能性が指摘されています。


 門は、二本の柱で構成される二脚門です。柱の上部で屋根の棟材を支える蟇股が、大き目のサイズで造られています。両端の波形も無いので、平安時代後半頃の様式で再現されているようです。この系統の蟇股は、現存する平安後期から鎌倉初期の社寺建築の棟門などに多く見られます。


 門から右側に位置する納屋です。諸道具や武器の倉庫であるほか、奉公人や使用人の住まいであることも多かったようです。ここでは武田氏館の管理事務所およびお手洗いの施設になっています。


 納屋の裏手から主屋の側面部を見ました。母屋と庇の構成がよく分かります。中央の入母屋の屋根部分の範囲が母屋にあたり、その周囲に庇が回っています。


 厩の横から主屋を見ますと、突き出た式台部分が印象的です。前面に設けられた破風は、身分の高い武士の出入り口をあらわす装飾です。この館の主人とその家族だけが使用出来る空間であることを示しています。


 母屋の内部は天井が無く、屋根の支持材がむき出しになっています。これに天井を張ったりするのは、室町時代になってからのことでした。


 武田氏館のある地域は、古代より武田郷と呼ばれた地で、考古学的にも中世期の遺跡や遺物が幾つか確認されています。それらの出土品の一部が、主屋内の展示ケース内に並べられています。平安時代の土師皿や杯などがあります。


 母屋内部には、館の主であった武田義清、清光父子の武者人形が展示されています。武田義清像の脇には、家紋の武田菱が楯に描かれています。


 左が父の武田義清、右が子の武田清光です。武田義清は、八幡太郎源義家の弟の義光の三男にあたります。常陸国那珂郡武田郷に配されて土着し、武田を苗字としたのが、武田源氏の始まりでした。なお義光の長男の義業は久慈郡佐竹郷に入って佐竹氏の祖となっています。


 後に武田家家宝となった「楯無鎧」をイメージした大鎧のレプリカです。平安時代後半期の典型的な形式を示しています。子孫の甲斐武田氏が神格化するほどに崇めていた「楯無鎧」の実物は、山梨県甲州市の菅田天神社に所蔵されて国宝に指定されています。
 近年の調査で、平安時代後半の鎧の部品を再利用して仕立てた鎌倉時代中期の遺品であることが判明していますが、再利用された平安時代後半の鎧の部品は、おそらく始祖武田義清の鎧のそれではないかと思われます。


 武田父子の展示の全景です。甲斐武田氏は始祖を新羅三郎源義光としていますが、武田の苗字を名乗ったのは三男の義清からであるので、武田家の家祖は義清になります。有名な武田信玄は、義清から数えると18代後になります。
 義清は、文献上では「武田冠者」と称して久安五年(1149)七月に七十五歳で没したことが記されますので、生年は承保二年(1075)であると分かります。子の清光は、天永元年(1110)の生まれで仁安三年(1168)が没年ですので、親子ともに藤原時代の人です。暦の上では鎌倉時代になっていません。

 これにしたがえば、武田氏館の建物も、厳密には藤原時代の武家居館の姿を再現すべきであったのでしょうが、当該時期の武家建築の様相はまだ不明な部分が少なくありません。それで割合に推定材料が得られる鎌倉時代初期までの期間も加味して復元案がまとめられたものと思われます。


 展示パネルには、武田氏館の実際の位置も示されています。タクシーの運転手さんに教えられて、神社から南へ下って常磐線の踏切まで行きましたが、当時の丘陵の地形は完全に失われています。丘の東に横たわって天然の濠ともなっていた「稲荷谷津」および「武田溜」がほぼ姿をとどめているだけです。西は崖となり、北にも谷津から延ばした堀があったようですが、現在は宅地開発ですっかり地形も変わっています。

 武田氏がここに館を構えたのはいつからかは分かっていませんが、その最終段階は、清光が一族の佐竹氏と争って訴えられ、朝廷より父とともに甲斐国へ配流となった大治五年(1130)です。父義清の活躍期間と合わせれば、この地に武田氏が活動した時期は、長くても40年ぐらいであっただろうと推定されます。

 なお、武田氏館は、現時点で推定復元された平安時代後期以降の武家居館の事例としては、日本では唯一の施設です。各地で見られる武家建築の推定復元例は、戦国期のそれが大部分であり、鎌倉時代の事例もまだありません。その意味で、歴史散策スポットとしても貴重で有意義な場所ですが、甲斐武田氏のルーツであるという点も見逃せません。
 なので、私自身としては虎塚古墳と並ぶ必見の場所である、と思っています。 (続く)

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ガルパンの聖地 ・ 大洗を行く19 その1 「武田氏館です!!」

2015年10月11日 | 大洗巡礼記

 2015年8月の水戸、大洗行きを模型サークルの知人A氏と楽しんだ数日後、水戸の知人U氏が奈良に遊びにやってきました。斑鳩の古寺散策を共にしましたが、その際に「那珂湊でまたイベントやるらしいよ」と教えられました。那珂湊は大洗とは違った魅力を豊かに備えた地域ですので、これまでにも何度か訪れていますが、いずれも楽しく過ごせた思い出があります。

「そのイベントって、那珂湊ほのぼの作戦2のことやな?」
「知ってるのか、やっぱりな。それ、君は絶対に行くだろ?」
「那珂湊は面白い所なんで、いずれ必ず行く積りや」
「それなら、その機会に勝田の武田館も見てこいよ。まだ行ってないんだろ?」
「そうか、武田館が残ってたな・・・」

 これまでの18回にわたる巡礼で、大洗のみならず周辺の各地域をも訪ねて歴史散策を楽しみ、未訪の地はほぼ無くなったかに思えたのですが、勝田にある武田氏館へは、まだ行っていませんでした。那珂湊とはおなじひたちなか海浜鉄道の沿線エリアですので、まとめて行くのもいいな、と考えました。

 かくして、数えて19回目の大洗行きを、2015年9月29日から10月1日の二泊三日の日程にて実施、勝田および那珂湊をメインに訪ねました。29日の朝7時半には水戸駅に到着、いったん外に出て吉野家にて朝食を済ませました。


 再び切符を買って、勝田行きの列車が入る4番ホームに移動しました。


 8時31分発の勝田行きの列車に乗りました。水戸駅の次の駅なので、乗車時間も僅かでした。勝田駅で降りて、まっすぐに武田氏館へ向かいました。
 徒歩でも行ける距離ですが、道順がややこしいのと、スケジュールが過密なので時間を節約したかったのと、付近まで行けるバス路線が無かった、という諸事情からタクシーを利用しました。運転手さんは愛想がよく、武田氏館や武田地域のことも色々と説明してくれました。歴史にも多少の知識があるらしく、見学ポイントも教えてくれましたので、今回のタクシー利用は正解でした。お蔭で道順もなんとか把握出来たので、帰路は徒歩でゆくことに決めました。


 運転手さんは、武田氏館へ行くのなら、湫尾(ぬまお)神社から見学すると良いですよ、実際の武田館はその南側にあったそうですからね、と話しながら車を武田氏館の南隣の湫尾神社前に入れてくれました。御礼を言って降りた私に、「ここから南の常磐線の通ってるところの南側に館があったそうです。いまは地形が変わってしまって遺跡も何も残ってないらしいですけどね」と窓からその方向を指差して教えてくれました。

 そこで道を少し進んでいくと下り坂になり、常磐線の踏切に着きました。その南西の舌状丘陵上に館があったようですが、今では舌状丘陵そのものが削られて無くなっていました。
 神社に引き返して鳥居をくぐりました。湫尾(ぬまお)とは珍しい表記だ、沼尾とも書いたならば、鹿島三社の一つ沼尾神社と関係があったかもしれないな、などと考えたりしました。


 参道の左手に大きな老樹が枝葉を広げて重厚な姿をみせています。樹齢450年とされるブナ科のスダジイで、ひたちなか市の天然記念物に指定されています。その向かいには同じようなヒイラギの老樹も聳えており、神社境内地の自然が割合に保たれたことがうかがえます。
 とは言え、武田氏が活動していた時期はそれよりも400年ぐらい前のことですから、この地に館が構えられた時期には、今みられる左右の老木はまだ存在していなかったわけです。


 参道を進んでいくうちに、木立の奥に武田氏館が見えてきました。それは良いのですが、肝心の神社社殿の姿が見当たりませんでした。場所が違うのかな、と思いましたが、社殿前に対で配置される狛犬があるので、社殿はどうやら無くなっているもののようでした。


 脇を見ると、社殿の屋根端を飾る千木(ちぎ)の残欠がありました。これで社殿が何らかの理由で無くなってしまっていることが分かりました。
 この神社については下調べをしていなかったため、現地に入るまで状況が把握出来ていませんでしたが、境内地がやけに整理されていて、いったん敷地を均したあとがうかがえるので、これは火事で焼けたのだな、と推測しました。老朽化にともなう解体および再建であるならば、建材や解体材か付近に保管されていることが多いのですが、それすら見当たらなかったからです。


 境内地の右手にプレハブ小屋があり、近づくと「再建仮設事務所」の文字が見えました。老朽化にともなう建て替えであれば、「再建」でなく「造替(ぞうたい)」と書きます。これで社殿が焼亡したことはほぼ確実となりました。落雷なのか、放火なのか、と考えを巡らせましたが、後で武田氏館の管理事務所で話を伺い、2013年9月に放火で焼け落ちてしまったことを聞かされました。
 参考までに、ありし日の社殿の様子を紹介した地元のサイトを紹介しておきます。こちら


 社殿位置の前から鳥居の方向を振り返りました。かつての武田氏館は、鳥居を出て尾根上を南西に約200メートルほど進んだ辺りにあったとされています。その館を神社の背後に推定復元したのが、現在の武田氏館です。


 武田氏館の門です。中世期の一般的な棟門(むねもん)の型式で再現されています。これが貴族の邸宅の門や社寺の門になりますと、屋根がこけら葺きまたは檜皮葺き、瓦葺きになりますが、武家の居館の建物は実用本位で費用も最低限におさえて外見はシンプルになりますから、門の屋根も板葺きであるのが普通であったようです。中世期の絵巻物などの絵画資料に描かれる武家居館の建物は、大部分が質素かつ簡易な造りです。


 主屋(おもや)です。平面は同時期の社寺建築に倣って母屋部分を正面三間とし、庇を四方に廻す形です。だから平面規模は五間四間となります。現在の民家に比べると規模はほぼ同じでも柱間が大きいので、壁も窓も大きくとって屋根も高くなります。それで見た感じは大まかでゆったりとしたものになります。これが武家の居宅の一般的な姿でした。この建物を基本単位にして繋いで建て増ししてゆけば、城郭の御殿建築の型式が出来上がります。
 なお屋根は、当時はわら葺き、板葺きが一般的でしたが、ここでは維持費用および保全上の理由から、こけら葺きを模した銅板屋根になっています。


 門から左には厩(うまや)があります。馬も木造でそれらしく再現してあります。屋根は本来は板葺きですが、これも維持費用および保全上の理由から、板葺きを模した銅板屋根になっています。


 主屋の玄関にあたる部分で、建築用語では式台(しきだい)と呼ばれます。武家居館のそれは扉をつけずに開放空間とするのが一般的ですが、それは居館の主が地面に降りることなく、そのまま馬に乗るのが普通であったからです。上図の、スリッパが並べてある棚は本来は無く、ここに馬を寄せて主人が乗ります。地面に降りる場合は、横の縁側から出ることになります。


 主屋の正面は全て開放出来るように蔀戸(しとみど)を設けています。武家の邸宅の窓としては一般的なもので、同時期の寺社の和様建築のモデルにもなっています。
 上図は、上下二枚に分割した半蔀(はじとみ)の形式で、上半分を外側に開いて金具にかけて釣り、下半分はそのままにするか、柱から取り外します。季節や気象状況に応じて閉じたり開いたり出来るようにしてあり、有事の際にはこれを盾にして戦うことになります。


 式台から上がって屋根裏を見ると、中世期の建物には基本的には天井を張りませんから、屋根裏の構造材がそのまま見えることになります。上図は屋根の棟材を支える台形の部材で、蟇股(かえるまた)と呼ばれます。武田氏館は、平安時代後半から鎌倉時代初期ごろにかけての居館を推定復元した建物ですので、こうした細部もその時期の状態を再現してあります。時代が下がるにつれて、蟇股に装飾や彫刻を施して華美に仕上げる傾向が強くなりますので、上図の部材はどちらかと言えば古式です。
 古式といっても、この蟇股は、両端の波形の盛り上がりがやや大きく造られます。平安時代のものはもっと小さいので、これは鎌倉時代初期ごろの特徴を再現しているようです。


 柱の上部には、きちんと灯明皿も再現されています。ただ、当時のものは土師皿などの陶製が普通で、金属製はあまり無かったそうです。その中に蝋燭を立てて、夜間の照明にしたわけですが、今のように床までを明るく照らしたわけではなく、屋根を淡く照らすにとどまりました。なので、屋内にいる人物の姿は、上半身がかろうじて浮かび上がる程度になります。
 それでは足元や床をどうやって照らすのかというと、手燭(しゅしょく)と呼ばれる、手で持ち歩ける燭台を用いたわけです。時代劇や映画では建物内部を夜間でも明るく演出していますが、そうしないと映像が撮れないからであり、実際にはもっと暗かったのです。中世戦国期頃の文献に、屋内の様子を月明かりによって見通す、などの記載がみられるのは、月光の方が蝋燭の火よりも明るかったことを物語っています。 (続く)
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

黒森峰女学園 Ⅲ号戦車J型 作ります!! その1

2015年10月10日 | ガルパン模型制作記

 私のガルパン戦車キットの十五作目は、黒森峰女学園チームのⅢ号J型にしました。これの完成品の実物を、大洗でも見たことが無いので、その姿を自分で作って見てみたい、と思ったのがきっかけでした。
 劇中車の姿やドイツ軍戦車の図版集などを見るとⅣ号戦車に似ていますが、それもそのはず、Ⅲ号とⅣ号とは、主力戦車と支援戦車という位置付けで同時期に開発された車輛です。生産効率を上げて互換性も与えるべく、部品などに共通のものが少なくなかったそうです。エンジンも同じマイバッハHL120TRMです。

 キットは、以前にガルパン仲間のN氏にいただいたプラッツの公式品でした。何かと批判の多いプラッツ公式キットのなかでは余り批評の対象になっていないので、作り難いとか、劇中車再現が難しいとか、そういったケースにはあてはまらないキットなのだろうと感じていました。
 それどころか、ネット上においては先行作例も稀で、詳細な制作レポートも見当たりませんでしたので、どのようなキットであるかは、自分で実物を見て調べるより他にありませんでした。いつものように事前に工作ポイントなどをノートにまとめました。


 中身です。プラッツ公式キットの例にもれず、数多くのパーツが沢山のランナーに並んでギッシリと詰まっています。まず洗浄に取り掛かりつつ、このキットにおいても使わないパーツの比率はかなりあるのだろう、と予測しました。


 果たしてその通りで、制作ガイドのパーツ一覧図を見ると、不要パーツを示すアミ掛け部分が全体の半分近くを占めていました。その中に含まれるd11は、実際には不要パーツではなく、今回のキットで必要となります。
 元々がスマートキットであるそうなので、半分のパーツしか使わないのであれば、制作は思っていたよりも楽なのかもしれない、と思いました。
 これまでヤークトパンター、Ⅳ号戦車D型改(H型仕様)と、改造や修正が多くて手間のかかるキットを作ってきたせいもあって、たまには楽なキットをのんびりと作りたいな、という気分でしたから、今回のキットは最適かもしれない、と考えたのでした。


 製作ガイドは、事前のリサーチによれば、改修版であるようです。この公式キットの初回販売分において、制作ガイドの内容に相当の不備および誤りがあったらしく、ネット上のガルパン情報版においても修正データが紹介されていました。
 私がN氏にいただいた商品は、その後の生産流通分であるようで、制作ガイドの記載内容も、ネット上に紹介されている修正データとほぼ同じになっていました。そのためか、ガルパン仕様への製作ポイントなども、大部分はガイド記載に反映されていて、だいたいはガイドの通りに組み立ててゆけることが分かりました。

 なお、ガルパン仕様への改造および修正ポイントはそれ以外にも幾つかあります。その大半は、パーツの取り付け位置を変更するだけで済みます。黒森峰チームの戦車のキット制作にはつきものの、溶接痕および合わせ目を埋める作業も加わります。これらについては、ステップ毎に紹介してゆきます。

 特典シールは、黒森峰女学園の校章でした。今回の戦車は車体マークが小さいので、デカールもキャラクターや劇中ワンシーンのそれが大きくて目立っていました。


 ステップ1です。車輪類を組み立てます。ガイドの通りに進めていってOKです。誘導輪につけるエッチングパーツのMA11も、劇中車の形状をみると必須の部品なので、指示通りに接着します。


 該当するパーツを切り出しました。上下の転輪は、塗装段階までランナーについたままにしておくことにしました。


 組み立てが終わりました。タミヤのキットだとポリキャップを使用して起動輪および誘導輪は可動になるケースが多いですが、こちらのドラゴン系キットでは、全て接着固定となるようなので、取り付け時にズレや歪みが残らないように注意しました。ドラゴン系キットのプラッツ公式品においては、僅かなズレでも、組み合わせる際に障害となったり隙間の原因となることが多いからです。


 ステップ2では、車体下部のパーツを取り付けます。タミヤキットではこういった部分は一体成型であることが多いですが、こちらのキットでは別なので、接着にも細心の注意が必要です。


 該当するパーツを全て切り出しました。側面ハッチの部分はそのまま組み付けてもズレが出ませんが、上部車体パーツとの接合部にあたるA5以下は、車体パーツHの上端にきっちりと合わせる必要があります。そこで事前に仮組みを行ないました。これらの上に組み付けるパーツは、左右のフェンダーb1、b12なので、これらを車体パーツHの上端に仮組みしたうえで、A5以下のパーツの取り付け位置を確認しました。


 組み立てが終わりました。製作ガイドの指示通りに進めましたので、改造や修正は一切必要ありませんでしたが、パーツの接着時にズレや歪みが残らないように注意しなければならない点は、これまでのプラッツ公式キットと変わりませんでした。仮組みの重要性を改めて感じた次第です。 (続く)
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

京都のアニメとガルパンと街中と  その4 六波羅とベルダンディーと

2015年10月09日 | 観聞日記

 昼食後、アンドー氏の言う「第三ステージ」に移行しました。祇園から六波羅界隈を散策して四条大路に戻る、というものでした。八坂神社前のローソンで飲み物を補給し、花見小路に進みました。


 花見小路界隈は、古い街並みの景観が保たれて独特の歴史的風情が味わえるコースの一つです。祇園のメインルートですが、江戸期までは建仁寺の境内地であった地域で、現在の街路と街並みが形成されたのは明治になってからです。なので、古い街並みといっても明治、大正期頃のそれなので、江戸期までの街並みによく見られる重厚さがあまりありません。


 途中の店舗の店先にある、四条小橋の旧欄干標柱です。四条小橋とは、四条大路の高瀬川に架かる橋のことで、明治8年に架け替えられて不要になった標柱が競売に出され、これを現在の店舗の初代店主が買って店先に飾ったものです。この時期の石製欄干標柱は、現存例が少なくなっていますので、貴重です。


 花見小路の南端は、建仁寺の東門に接しています。アンドー氏は「境内を通ってゆくのもええけどさ、安井社や法観寺塔を見ながらのコースがええかもな」と言いました。
「それでいくと六波羅へは遠回りになるんかね?」
「いや、距離的には100メートルぐらい延びるだけですよ。法観寺塔は下まで行くんですか?」
「塔が望める場所まで行けたらええわ」
「そんなら安井神社の参道筋まで行きますか」
「星野はこのあたりの地図はだいたい頭に入ってるのやねえ」
「八坂から東山、六波羅、五条、七条あたりは庭みたいなもんですよ・・・」
 建仁寺の公式サイトはこちら


 建仁寺東門前から小路を東に折れて少し進めば、右に安井社こと安井金毘羅宮への裏参道があり、そのまま社殿の前庭に入れます。縁切り縁結びのパワースポットとして人気がある神社なので、若い女性が沢山集まっていてお札をいただく行列を作っていました。アンドー氏が話しました。
「お札のことをここでは形代って言うらしいが、これは本来は依り代のことであって、神霊が依り憑く依り代の一種であるわけやな。それで人間の身代わりとして参拝者がこれを持って奉納して、自身の罪とかケガレとか災厄などを形代に移してお祓いを受けるんやが、ここでは縁切りと縁結びの祈念を形代に込めて神前に報告し加護を受ける、というわけや」
「災厄駆除というのが形代の本来の機能だったらしいですね」
「せや。つまりは縁切りの方が、元々のお祓いの対象になってたんやろうけど、それに合わせて縁結びの方も面倒をみるようになったんやろうな」
 境内の有名な「縁切り縁結び碑」は相変わらず無数の形代を貼り付けられて真っ白になっていました。
 安井金毘羅宮の公式サイトはこちら


 安井金毘羅宮の参道筋をたどって東山通に出ると、車の往来のなかを観光用人力車が走っているのが見えました。


 交差点からは、法観寺の五重塔が見えました。俗に「八坂の塔」と呼ばれる室町期の建築で、二層目まで一般公開されています。国重要文化財の塔婆の中に出入りして登れる所はあまりありません。ただ、公開日が不定期なので、私自身も、20年ぐらい前に一度登ったきりです。アンドー氏は高所恐怖症なので、塔に登ること自体が「有り得ない」そうです。
 法観寺の観光案内情報はこちら


 南に進んで二つ目の辻が、有名な「六道ノ辻」です。そこから西に進んで六道珍皇寺へ行きました。
「かつては鳥辺野(とりべの)と呼ばれた広大な葬送地やなあ」
「そうですね」
「葬送地としての歴史は平安時代にもう始まっているんだっけな?」
「というよりも、平安京の東の端が鴨川で、そこまでが「この世」、そこから外側は「あの世」で具体的には都の葬送地といった性格があったみたいなんですね・・・」
「葬送地っていうと聞こえはええが、実態は死体の捨て場みたいなもんやろ。今でも工事をやったら人骨がゴロゴロと出てくるんかな」
「出るでしょうね」


 六道珍皇寺の境内に入りました。ここでも観光客が何人か参拝に来て行列を作っていました。アンドー氏はずっと平安京の葬送地について考えていたらしく、こう話しかけてきました。

「なあ、前に星野に教えてもらったことなんやが、平安京の葬送地って何ヵ所かあったんやってな」
「ええ、地名に「野」がついてる土地は大体そうですよ。大原野、嵯峨野、紫野、化野、蓮台野・・・」
「えっ、嵯峨野や蓮台野もそうやったんか。しかし、何か地名がこう、そのまんまなんやなあ、紫野なんか死体が紫色になって腐り始めることに因んでるやろうし、化野なんかお化けでストレートやないかい・・・」
「化野の化(あだし)は藤原期の日本語では「悲しい」「儚い」っていう意味なんですよ」
「そうなんか・・。こっちの鳥辺野ってのは、鳥葬や風葬の地ってことなんやろうね」
「多分そうでしょう。古代の日本では火葬が広まったとか言われていますけど、それは上流階級のことであって、庶民の多くは土葬か風葬がメインだったんですね。奈良時代に平城京が栄えていた時期だって、庶民が死ぬと死体を山に捨てて放置していたわけですからね。それは要するに風葬であるわけで、鳥が死体をついばむから鳥葬でもありますね。ここ鳥辺野は、平安期の葬送地としては最も古い歴史があるらしいんで、その葬送地の中に建てられた供養堂が、後に発展して現在の清水寺になりますからね」
「せやな。民俗学的にみるとな、本来の日本人は自然崇拝が信仰の中心やったから、葬送の有り方やって、原則としてはそのまま自然に帰す、自然の中で土に還す、ってのが基本やったはずなんや。土に還すことで新たな生命の息吹を期待して神に祈り感謝する、ってわけやな。やから、風葬や鳥葬が日本では古い葬送習俗にあたるというのは当然なんや。東北や九州の山間部じゃ、今でも風葬や鳥葬が残ってるらしいからなあ」

 その鳥辺野への入口に位置して、葬送の儀式の場ともなったのが六道珍皇寺でありました。六道珍皇寺の公式サイトはこちら


 寺の境内には、閻魔堂と呼ばれる小堂があります。内陣には閻魔王、弘法大師、小野篁が並んで祀られています。小野篁に関しては、夜ごと井戸を通って地獄に降り、閻魔大王のもとで裁判の補佐をしていたという伝承が広まっており、宮廷歌人としての経歴よりもそっちの方で有名になっています。パワースポットの一つになっているため、この日も若い女性の参拝客が何人か居ました。


 六道珍皇寺から東は鳥辺野ですが、西は六波羅と呼ばれた武家政権の伝統の地になります。地名にもそれが伝わっており、六波羅を六原と表記する地区も見られます。というよりも、もとは六道辻に通じる原っぱという意味で六原と書くのが古い表記であったと思います。
 この地に天台宗が一寺を創建し、後に六原の地名にちなんで六波羅蜜寺と改名しましたので、仏教的色彩を持つ六波羅の字が、やがて地名になったもののようです。直接的には平清盛政権の六波羅第、鎌倉幕府の六波羅探題の設置によって、武家の地としての色彩を急速に帯びてその軍事力をも象徴する代名詞にもなりました。


 六道辻から六波羅に至る三叉路の突き当りには、幽霊が水飴で我が子を育てたという伝承を伝える店が今も営業しています。


 商品名も「幽霊子育飴」と古い看板に書かれます。テレビで放送していた「まんが日本昔ばなし」にも「子育て幽霊」のタイトルでこのお店の伝承が紹介されていました。アンドー氏もそのことは知っていて、いつの間にか「ぼうやー、良い子でねんねしな、今も昔も変わりなく・・・」と「まんが日本昔ばなし」の歌詞を口ずさんでいるのでした。


 平安京屈指の名刹、六波羅蜜寺に着きました。私にとっては青春の思い出の地の一つであり、専攻の藤原彫刻史の研究において重要な遺品群が伝わるため、何度も通った寺院の一つです。


 なので、アンドー氏が「ここだけは記念写真を撮っておいたほうがええ」と言って一枚撮って下さいました。この寺には何度も来ていますが、記念写真を撮ったのは十数年振りでした。


 本堂に参拝し、裏手の宝物館で仏像などの名品群を鑑賞しました。というより、アンドー氏に解説していた時間の方が長かったです。その後、本堂前に出て、脇の古い五輪塔を見ました。
「おい、平清盛の塚って書いてあるで」
「単なる俗称ですよ」
「そうやろうな、実際の墓は福原の地(現神戸市)とかにありそうやもんな」
「それは多分正しいですよ、平家物語では、摂津の経の島に埋葬したと書いてますからね。でも今の神戸能福寺の平相国廟とは多分違う場所やろうと思いますけどね」
「要するに、どこにあったかは分からなくなってるわけやな・・・」


 境内地の一角に、古い礎石が一つ置かれています。その後ろの標石には、此の付近に「平氏六波羅第」及び「六波羅探題」が在ったと記されています。
「この近くに、武門の象徴、天下無敵の六波羅探題があったわけか」
「この南の通りが六波羅裏門通っていうんで、その南側の中学校あたりに中心施設があって、正門は南にあって五条通に面していたと思うんですけどね」
「そのイメージで大体合ってるんやないかね」
 六波羅蜜寺の公式サイトはこちら


 六波羅蜜寺を出て、北の松原通を西に進んで鴨川の東の宮川町通に折れました。このあたりも古い街並みをとどめて歴史散策の人気ルートになっています。


 途中のある料亭の店先には「京都日本酒倶楽部」の看板がかかっていました。お酒が好きなアンドー氏は、その前でピタリと立ち止まり、入りたそうにしていましたが、「今回のメインはアニメと歴史である」と自分に言い聞かせて再び歩きだしました。私はお酒があまり飲めませんので、こういったお店には全く縁がありません。


 突き当りを左に進んで、鴨川に架かる団栗橋を渡りました。ここまで来ると四条通はもうすぐです。


 橋の上でしばらく立ち止まり、鴨川の流れを眺めました。


 こちらは東の木屋町通に沿った高瀬川の流れです。


 木屋町通界隈も、最近は建物の建て替えが進んで現代的な街並みの景観にまとまってきています。この辺りには隠れ家的なカフェが多いせいか、観光客もかなり行き来していました。


 四条河原町の交差点に来ました。向かいには阪急河原町駅があります。ここから河原町通を渡って西にしばらく歩きました。


 最後の目的地、「B's Hobby京都店」に着きました。現時点では京都最大級の模型専門店で、私たちの模型サークルのメンバーもよく利用しています。私自身も、ガルパン戦車キットの製作を始めるにあたっての下見や模型用ツールの購入をこのお店でやっています。その時のレポートはこちら
 アンドー氏は、模型サークルの三代目会長を務めた関係で、このお店では常連客の一人になっているそうです。店員さんとも馴染みのようで、和やかに笑いを交えて雑談を楽しんでいました。

 私は奥の戦車プラモデルのコーナーでドラゴンやイタレリなどの海外メーカー品を色々と見ていましたが、そのうちにアンドー氏がやってきて、「何か買うのか?」と訊いてきました。
「いま作っているガルパンの黒森峰チームの車輛で、マウスだけは対象外にしてるんで、代わりに劇中には出てない車輛を一輌加えてみようかな、って考えとるんです」
「ああ、以前にそんなことを言ってたとTさんに聞いたが、まだ買ってないのか。そうやなあ、ガルパンの黒森峰チームって全部ドイツ軍車輛やからな、劇中に出てるやつ以外で考えると、公式とかの設定内ではⅡ号戦車とか、そういうのあったよな」
「西住みほの好きな戦車、って設定になってるんですよ。でもⅡ号は小さくて迫力負けするんで、あんまり作ろうって気がせえへんのです」
「そうやろうな。ティーガーとかパンターとかエレファントとかの大型がずらりと揃ってるもんな黒森峰は。でもドイツ車輛でも、大洗チームにいるⅢ突とかボルシェティーガーは除外するんやろ?」
「そうですね」
「すると、どれになるかな、ガルパンじゃ車輛は全部屋根つきの戦車か自走砲やもんな・・・、でも大体の車輛は劇中に出てるやないか。ティーガーⅡやろ、ヤークトやろ、ラングやろ、あとⅢ号もあったな・・・、ヘッツアーは大洗チームに居るし・・・、うん、こりゃちょっと難しいな、候補がパッと思い浮かばんなあ」
「でしょ、だから私もあれこれ迷ってるんですよ」
 話しつつ、棚の商品の数々を二人であれこれと見回していましたが、そのうちにアンドー氏が一つのパッケージを引っ張り出して、「これがあるやないか!」と低く叫びました。私もびっくりしました。
「あっ、これですか!これはいいですねえ」
「やろ?、これでいってみろよ・・・、待て、このキットやと、メリットがもう一つあるやないか!!」
 その内容を聞かされた私は、目から鱗が落ちるに等しい感動に包まれました。そうか、その手があったか、と何度も頷きました。そのキットを購入したのは言うまでもありませんでした。


 今回はアンドー氏も戦車プラモデルを一つ買って御機嫌でした。
「今日は色々と楽しかったな、ここの女神様の御加護だよほんまに」
 その女神様とは、店の入り口のショーウインドーに飾られているベルダンディーの1/1フィギュアを指します。アンドー氏はこれを見るのが大好きで、京都に来たら一度は挨拶しておかないと落ち着かないのだそうです。ですが、「ああっ女神さまっ」のコミックやアニメ自体のファンではないそうなので、妙なものです。
 しかし、何度見ても素晴らしい造形ですね。たぶんボークスの製品だろうと思うのですが。


 四条高倉のバス停に移動中、佐賀鍋島藩屋敷跡の標柱を見ました。
「ここで、例の化け猫騒動があったんかね?」
「それは単なる伝説ですよ。鍋島家のお家騒動の方は史実ですけど、ここじゃなくて佐賀藩で起こっているので・・・」
「確か、旧主龍造寺氏の生き残りが再興をめざして鍋島藩を騒動に巻き込んだんやな」
「ええ、徳川幕府は龍造寺氏再興は認めませんでしたから、鍋島家の安泰は保たれたんですが、藩主鍋島勝茂は悶死をとげましたんで、それを龍造寺党の崇りだと噂されたりしたのも事実なんですね。化け猫騒動の伝説はそれを下敷きにして作られたフィクションなんですよ・・・」


 四条高倉のバス停は、バス待ちの人々で混雑していました。四条通といえば京都市内でも賑わっている繁華街の一つであるのに、京都駅への直通路線は5系統の一本しかなく、それを観光客の大部分が利用しているので、どのバスも満員になっていました。あと一系統ぐらいは京都駅への直通路線を設けてくれてもいいと思うのですが、実際にはかつて三系統あったルートを一つに縮小してしまった流れがあります。四条から地下鉄が京都駅に連絡しているので、バスが無かったら地下鉄に乗って下さい、ということなのでしょう。


 京都駅に戻ってきました。実際にはその後、駅前のヨドバシに行って模型コーナーを見て回り、付近の食事処で休憩を兼ねて早い夕食をとったりしましたので、駅でアンドー氏と別れて帰途についたのは、一時間余り後の午後四時過ぎでした。 (了)
コメント (10)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

京都のアニメとガルパンと街中と  その3 寺町新京極アニメロードへ

2015年10月08日 | 観聞日記

 「京まふ」会場を退出し、アンドー氏の言う「第二ステージ」に移動することにしました。寺町新京極の通称「アニメロード」と呼ばれる界隈を回ってショップ巡りを楽しもう、というわけです。
 とりあえず、移動時間節約のためにバスを利用することにし、32系統のバスに乗って御池通の京都市役所前まで行きました。


 御池通の京都市役所前に着きました。市役所の前庭で何かのイベントをやっていました。


 ですが、時間的余裕があまり無いため、まっすぐに寺町通へと向かいました。


 寺町通アーケードの北口です。通称「アニメロード」の北端にあたります。


 寺町通に入ってすぐ左手には本能寺があります。歴史に名高い「本能寺の変」の舞台ですが、当時は現在地ではなくて南西約600メートルの堀川通の東側、蛸薬師通の南側の一画に寺地を構えていました。現在の堀川高校の北側にあたります。それを豊臣政権が京都市街地再開発のなかで河原町の北に移転させたのが、現在の伽藍です。
 ここには、織田信長の墓所もありますが、実際には供養塔であり、本当の埋葬地および墓所は寺町通を北へ進んで下鴨神社と鴨川をはさんだ辺りの鶴山にある阿弥陀寺です。


 ある印章専門店の店先には、数多くのデザインのハンコが並べて売られていました。アンドー氏はこういったハンコ類が好きなようで、来年の年賀状に使うのだと言って3種類ほど購入していました。


 私は、こちらの石製印章を1つ買いました。原石は中国からの輸入品で、字は自分で好きなのをサンプルから選択し依頼するというシステムです。約三日ほどで仕上げて宅配便で送ってもらえますので、その手続きをして支払いも済ませました。


 辺りに独特の香りをただよわせていた松茸の売場です。にこやかに「一皿いかがですか」と話しかけてくる店主さんに、アンドー氏はこう言いました。
「松茸っていうと、イヨマンテの供え物としては重要だったんですかねえ」
「は?」
 何を言ってるんですか、アンドーさんってば・・・。


 矢田地蔵尊です。こういった社寺の前を通る際には、アンドー氏も私も必ず合掌礼拝します。
「おい、このお寺も奈良の矢田寺の別院なんだよな?」
「ここも、じゃなくてここしかありませんよ、矢田寺の別院は」
「あっ、そうなのか。本尊の地蔵さんは古いものなのかね」
「いえ、江戸期の模倣像の一種ですよ。奈良矢田寺の本尊は十世紀ぐらいの古像なんですが、これを模したのがこちらの本尊です。もとは古い像があったらしいんですけどね、五条の旧地からこちらに移転するまでに何度か罹災したらしいので、その際に失われてしまったかもしれないですね」
「ふーん、さすがに専門家だけあってよう知ってるなあ」
 矢田地蔵尊の案内情報はこちら


 「かに道楽」の前で道が三叉路になって右へ進めば寺町通、左に行けば新京極通に進みますが、通称「アニメロード」は右に進みます。
「おい星野、新京極通の辺りって伏水とか池みたいのよく見かけるな、あちこち多いねえ」
「そりゃそうですよ。中世戦国期ぐらいまでは鴨川の河原だったんですから」
「えっ、そうなん?」
「今と違って昔の鴨川は、西寄りに流れていましてね、その西岸の通りがいまの寺町通なんですよ。豊臣政権の時に三条通と三条大橋を改修整備したとき、それまであちこちにあったお寺をこちらに移転させて集めまして、河原を寺町の区域に組み込んだんです。それで成立した寺町の街区に、明治期に街路を新たに整備したのが今の新京極通なんですよ」
「それじゃあ、平安京から続いてる街路じゃないんやな」
「ええ、寺町通のほうは正しく平安京の小路からの歴史がありますけどね」


 そんこんなで、ショップ巡りの一ヵ所目、「とらのあな京都店」に行きました。


 続いて近くの二ヶ所目、「メロンブックス京都店」に行きました。このお店でガルパンコミックスの「激闘!マジノ戦ですっ!!」の第2巻を購入したことは、以前の記事に書いたとおりです。


 三ヵ所目は、「らしんばん京都店」でした。このお店でガルパングッズを安価で購入することが出来ました。その時の購入品はこちら


 「らしんばん京都店」の東側には、「迷子道しるべ」で知られる誓願寺があります。
「このお寺も由緒ある所なのかね?」
「ええ、もとは奈良にあった古代寺院の一つです。鎌倉期の初めに京都の一条小川に移りましてね、その旧地辺りの通りを元誓願寺通といまも呼んでます。で、さらに豊臣政権の市街地開発によって現在地に移転しています。本尊は阿弥陀ですが、古い優品は藤原期の毘沙門天像で、これは奈良にあった頃の本尊であった可能性が高いんです。僕はこの毘沙門天像を調べて勉強したことがありますんで、懐かしい思い出のある寺の一つですよ」
「そうか、星野の専門は藤原期の仏像彫刻史やったもんな・・・。京都のそういう仏像はみんな調べてるんやろうけど、ここの毘沙門天像は学術的価値も高いのかね?」
「ええ、国の重要文化財ですよ。藤原期京都仏師の正統的作品である、という意味において貴重かつ重要な遺品なんですが、残念なことに詳しい来歴が分からないんですよ。奈良にあった頃の誓願寺の歴史というのが、いまだによく分かっていませんのでね・・・」
 誓願寺の公式サイトはこちら


 少し歩いて、アンドー氏が左手に京都市街では珍しい櫓門を見つけて指差しました。
「星野、このお寺も知ってるんか?」
「ええ、誠心院(じょうしんいん)ですね。最近は「せいしんいん」って呼ばれてます」
「どういうお寺かね?」
「平安時代の宮廷女流歌人に和泉式部ってのが居たことは知ってますか」
「ああ、中古三十六歌仙の一人やったな。百人一首の歌やと「あらざらむ この世の外の 思ひ出に 今ひとたびの 逢ふこともがな」の作者やろ?」
「ええ、その和泉式部が晩年に出家して開基となった寺です」
「ほう、そりゃすごい由緒やな。でも寺の場所は変わってるんやろ?」
「ええ、元は岡崎に創建されたのを、鎌倉期に一条の方へ移して、それからこっちに・・・」


 本堂前に進んで合掌礼拝しました。


 本堂裏手の和泉式部墓所にお詣りしました。
「立派な宝篋印塔やねえ。風格があって古そうに見えるけど、これ和泉式部の没後に建てたものなのかね?」
「残念ながら。和泉式部は十世紀後半に生きた方なんですが、当時は墓を石塔で造るという習慣がまだありませんで、火葬骨埋納の型式だった筈です。これを寺院移転のたびに改装して、一条の方にあった時期にこの石塔を整備したことになります。室町期の正和二年、西暦1313年にこれが建立されまして、その後寺とともに墓も現在地への移転してるわけですね。厳密には浄土系の供養塔なので、この寺がかつては誓願寺の別院の念仏道場であった関係で建立された塔婆である、と解釈すべきです。和泉式部の墓塔というのも、いわゆる後世の俗称と理解しておいた方がいいかもしれません」
「石塔の遺品しては価値あるものなのかね?」
「室町期の遺構としては大型に続するんですが、九輪の請花と宝珠が後補でして、各所に痛みがかなりあります。一応、重要美術品の扱いを受けてますが、修理保全の処置をとれば県指定文化財クラスにリストアップされるかもしれませんね。奈良県だとこのクラスの遺品はだいたい文化財指定を受けてますね」
「なるほど」
 誠心院の公式サイトはこちら


 それから四ヶ所目の「アニメイト京都店」に寄りました。


 四条通に出て、四条高倉のバス停から祇園行きのバスに乗りました。ついでに祇園社にお詣りしよう、とアンドー氏が提案してきたからです。途中で四条大橋を渡り、窓から鴨川の流れを見ました。


 祇園社こと八坂神社に着きました。アンドー氏は京都の神社では大将軍八神社とこの八坂神社がお気に入りです。いずれも平安時代以来の大将軍信仰の拠点であったことで知られています。

 アンドー氏は、大学時代は歴史民俗学を専攻されていたので、宗教民俗および信仰というものにも多大な関心を寄せています。それ以前に信心深いところがあり、社寺の前では一礼する所作を絶対に欠かしません。街中で地蔵さんや墓塔に出会った時もそうなのて、京都や奈良の多くの古刹神域に対しては崇敬の意識を深く持っています。だから、趣味を聞くと、アニメや模型関連、歴史散策や古社寺巡り、の二つをほぼ同レベルの意識で答えてきます。
 アニメファンには珍しい有様ですが、そのために文化財や文化遺産にも興味や理解があり、そのうえでアニメを日本文化の一側面と捉えて国民性や民俗的潮流を理解しながら、アニメ作品それぞれの中身を解釈し評価する傾向があります。なので、その意見や解釈は、周囲の私たちにとっては参考にもなるケースが少なくありません。前月の初めての大洗行きにて、ガルパンと大洗の状況を的確に把握出来たのも、氏のそうした姿勢のなせるわざでしょう。


 西楼門から境内地に入りました。この日は縁日であったのか、参道筋には露店が並び、多くの参詣客で賑わっていました。


 参道の右手にある蛭子社の社殿を見ました。大学生らしき若者が建物をあちこち観察し、それから鈴を鳴らして礼拝していたので、アンドー氏は「あんなふうに見学してるところをみると、あの社殿は何か謂れがあるんかね」と不思議そうに言いました。
「この神社には国重要文化財の建造物が四件あるんですが、こちらの蛭子社社殿もその一つなんですよ。 江戸期の正保三年、西暦では1646年の建立です」
「ほう、そうやったのか」


 本殿に参拝しました。拝殿と本殿をワンセットにして大きな入母屋の屋根で覆う「祇園造り」と呼ばれる独自の建築手法をとり、江戸期承応三年(1654年)の遺構として国重要文化財に指定されています。かつては神仏習合の形態をとった祇園社の様相を色濃く残しており、一見して寺院の本堂に見える姿であるのもそのためです。
「なあ星野、この神社も明治の神仏分離までは寺院としての姿やったんやろ?」
「まあ、江戸期の境内伽藍絵図とかを見ますと、そのような感じですね。平安期には社殿が東、仏堂が西に位置して、南の門は社殿の門、西の門は仏堂への門、という状況たったみたいです。寺院の名前は観慶寺といったんですが」
「すると今の西楼門というのは、かつての寺院の観慶寺の門だったわけかね」
「そう理解していいんじゃないかと思います。仏堂は本尊が薬師如来でしたので、たぶん西向きに建っていた可能性が高いですから・・・」
「つまり、西から門をくぐって仏堂に進んで拝むと、薬師如来は東方瑠璃光浄土のほとけやから、東に位置してるのが正しいわけやな」
「ええ、そういうことです」
「その薬師如来像も明治の廃仏で撤去されて失われてしまったわけか・・・」
「いや、現存してますよ。ここからちょっと北の東山二条に大蓮寺というのがありまして、観慶寺が明治に廃止されたときに薬師如来像などをそこへ移したんです。薬師如来像はいまは国の重要文化財になっていますよ」
「ほう、それは良かったねえ、八坂祇園社の歴史の証人が、神仏習合の歴史を伝えて健在であるわけか。そういうのって、何かグッとくるもんがあるねえ。その薬師如来像とかを、その大蓮寺へ行ったら拝観出来るのかね?」
「いえ、普段は秘仏なんですよ。ずっと以前に京都国立博物館で「院政期の仏像」っていう特別展をやってたときに出品されてたのが唯一の公開でしたかね・・・」
「それは残念やな。八坂祇園社ゆかりの仏像の姿を、一目でいいから拝みいもんやねえ・・・」
 八坂神社の公式サイトはこちら


 観慶寺のあった場所を聞かれたので、参道を引き返しながら途中の大田社や疫神社の鎮座地を示しました。まさに西楼門の東にあたり、一段低い場所ですが、背後に祇園社社殿が位置するので、観慶寺仏堂の立地としては最適です。アンドー氏もそのことはよく理解出来たようで、何度も頷いていました。
 そして西楼門を出て、眼下に四条通と東山通の交差点を見下ろした氏が、つぶやきました。
「すると、四条通そのものが、祇園社観慶寺への参道にもなってたわけやなあ」
 その通りです。四条通界隈は、江戸期に至るまで祇園社の門前町としての色彩が濃かったとされています。


 正午過ぎになったので、近くの「餃子の王将」で昼食をとりました。京都観光ではとにかく有名な食事処や京都らしいオシャレな店に行くのが通、みたいに言われますが、京都にしょっちゅう行っている私たちからみると、そういうのは時間も費用もかかるコースになります。身近な店で手っ取り早く食べて、見物や散策にゆったりと時間をあてるほうが、京都散策をより楽しめると思います。
 アンドー氏によれば、京都の有名店や観光ガイド紹介店ほど、味があんまり良くないし、値段が高い割に量が少なくて食べた気がしない、ということでした。それについては、私も同感です。 (続く)
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ガールズ&パンツァー Ⅳ号戦車D型改 (F2型仕様) エンディングVer.

2015年10月07日 | ガールズ&パンツァー

 ピットロードさんがこの10月3日に発売した「ガールズ&パンツァー Ⅳ号戦車D型改 (F2型仕様)エンディングVer.」が届きました。パッケージは同シリーズ共通のサイズです。


 パッケージの裏面には、フィギュアの乗せ方のサンプル画像などがあります。


 セットされているあんこうチームのフィギュアは、パンツァージャケット姿です。従前の大洗女子学園制服のセットと合わせれば、劇中の各話の各シーンを再現出来ます。


 Ⅳ号戦車D型改 (F2型仕様)です。細部も精巧に再現してあり、ピットロードならばでの出来と頷かされます。もともと1/700スケール艦艇模型がメインのメーカーですので、細部の表現に関してはタミヤ以上のスタイルを有しています。


 車輪やハッチ類は固定されていますが、砲塔や砲身は可動します。


 ですが、砲塔の回転は360度ではなく、左右にも回りません。だいたい前方と斜め左右に約120度の範囲で動きます。


 あんこうチームの5人を順に搭乗させてみました。まずは、砲塔キューポラに車長の西住みほ。


 砲手席ハッチに、五十鈴華。


 装填手席ハッチに、秋山優花里。


 通信手席ハッチに、武部沙織。


 操縦手席ハッチに、冷泉麻子。


 全員搭乗完了、戦車前進!!


 戦車というより、ゴーカートに乗ってるような可愛らしさです。


 ピットロードさんのエンディングVer.シリーズは、ガルパン関連の模型商品のなかでも評価が高く売れ行きも良いそうで、第一作のⅣ号戦車D型は、すでにメーカーにも在庫が無くなって出荷は完了、あとは市場在庫だけで販売がなされているそうです。今回の商品も、いずれ同じ道をたどることでしょう。


 1/35スケールのⅣ号戦車D型改 (F2型仕様) と並べてみました。やっぱり小さくて可愛らしいです。


 長さは、大体半分ぐらいのサイズです。それでいて外見上のフォルムを省略することなく1/35スケールと同じ形状にて再現してあります。さすが、と言うべきでしょう。車体色は、やや明るめになっています。


 今度は1/35スケールのⅣ号戦車D型改 (F2型仕様) のほうに、五人を搭乗させてみました。サイズ的にも違和感が全くありません。冷泉麻子の頭が大きいので、砲身を左に向けることが出来ません。


 側面観は、やっぱり迫力があります。エンディングVer.にするとこうした迫力が無くなりますね。


 最近にプラッツから発売されたⅣ号戦車D型のリニューアルキットにもあんこうチームのフィギュアが付属しますが、搭乗させれば上図とあまり変わらない雰囲気になるでしょう。

 このエンディングVer.シリーズでは、来たる12月31日にIV号戦車D型改 (H型仕様)が発売される予定であるほか、来年以降にカメさんチームの38(t)戦車がリリースされるそうです。ピットロードさんがどこまで対象商品を広げてくれるのかはまだ分かりませんが、テレビシリーズに登場した大洗女子学園の8チーム全てを立体化してくれるのであれば、何年でも待つことにしましょう。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

京都のアニメとガルパンと街中と  その2 「京まふ」のガルパン

2015年10月06日 | 観聞日記

 続いてT・ジョイ・京都のブースに行きました。アンドー氏のリクエストでした。T・ジョイ・京都は、JR京都駅八条口の南西にあるイオンモール内にある映画館で、来たる11月21日から公開されるガルパン劇場版の上映施設の一つです。それでこの日も前売り券の販売を行なっていました。第一弾と第二弾とがあり、前者の特典のクリアファイルは13種類が全て揃っていました。
 私は以前に前売り券を3枚購入し、1枚をこのT・ジョイ・京都にて使用する予定です。そのことを話すと、アンドー氏は「京都なら近いし、俺もそこへ観に行こうかね」と言って前売り券を3枚購入していました。

「3枚買ったんですか。クリアファイルはどれを選んだんです?」
「これ(カメさんチーム)とこれ(カバさんチーム)とこれ(カモさんチーム)や」
「なんか珍しい組み合わせですね・・・」
「なに簡単や。「カ」で始まるチームを選んだだけや。勝ってやー、っていう気持ちを込めてな」
「あっ、そうやったんですか。さすがですねえ」
「で、星野も券は3枚買ってて持ってるんやろ?どこで観る積りなん?」
「一ヵ所はT・ジョイ・京都、一ヵ所は大阪の梅田ブルク7、そこは前にアンツィオ戦を観に行きましたよね(コチラ)」
「ああ、あそこか。梅田から行きやすいもんな。で、三ヵ所目はどこやね?」
「まだ決めてないんですけどね・・・」
「そんなら、こないだ完成したばかりのアースシネマズ姫路はどうや?一緒に行って案内してくれんかね?」
「えっ、姫路まで行くんですか?」
「いやー、実はやな、修理新装がなった姫路城へいっぺん行ってみたいのよ。姫路城を回って見物してついでに映画みて、って感じで楽しんでみたいねえ」
「それはいい案ですねえ、修理後の姫路城は僕もまだ登っていないんで、ええ機会になりますねえ。じゃあ、それでいきますか」
「せやな」


 前売り券販売コーナーで配っていたチラシです。大洗でも何度か見かけましたが、このイメージデザインはどう考えても意味を捉えにくいです。
「アンドーさん、この「取り戻せ」ってのは、何なんでしょうねえ・・・」
「簡単や。「愛を取り戻せ・・・」じゃねえのか?」
「なんで分かるんです?」
「youはShock・・・微笑み忘れた顔など、見たくはないさ・・・」
「北斗の拳じゃないですか、ちょっと、こんなところで歌わんといて下さいよ・・・」


 続いて私のリクエストである、コトブキヤのブースに行きました。今回の出展企業のなかで唯一、ガルパン関連グッズを出品し販売もしていました。東京都立川市に本社を置く玩具メーカーですが、大阪にも店舗があって春の「ガルパン大阪ぼちぼち作戦」にも参加していました。


 まず目に入ったのが、トウラブこと「刀剣乱舞」の展示でした。コトブキヤが「刀剣乱舞」のグッズも扱っていることを、今回初めて知りました。
 アンドー氏も私も、ほんのひと月前に水戸の徳川ミュージアムでトウラブの凄まじい人気振りに接していましたが、今回の会場で改めて似たような様相を見せつけられました。展示コーナーを見て騒いでるのが、ほとんど若い女の子ばかりでした。反対側のガルパンコーナーが男性ばかりであったのと対照的でした。


 展示のメインは上図の「侍箸」でした。刀剣を二本並べて箸に仕立ててあるのですが、私はこれを今回初めて見まして、面白い発想だなあと感心しました。アンドー氏によれば、この種のアニメグッズは、他にも似たようなものが幾つかあるそうです。
「この侍箸っての、実際に箸として使えるんですかね?」
「使うことを前提に開発してるやろうから、ファンの中には買って使ってるのも居るんとちゃうか」
「鍔の部分がかち合って持ちにくそうに見えるんですが・・・」
「俺も最初はそれを思ったの。でも前の交流会でファンの子に聞いたら、そんなことはないんやってさ。むしろ御飯が美味しくなるらしい」
「ほんまですかねえ・・・」


 反対側のガルパンコーナーです。サッカー試合の対戦チームのコラボアニメキャラが揃っています。


 左より、東京ヴェルディとコラボしている「甘城ブリリアントパーク」の千斗いすず、FC岐阜とコラボしている「のうりん」の木下林檎、そして水戸ホーリックとコラボしているガルパンの西住みほです。


 そして木下林檎と西住みほの二人は、ポーズも同じです。もともとはこの二人の組み合わせでアニサカのイベント企画が始まったらしい、と聞いていますが、本当にそうなのかもしれません。


 木下林檎です。かつては全国ツァーを壮行して大勢のファンを熱狂させたスーパーアイドルでしたが、ある出来事をきっかけに・・・、というストーリーの内容とキャラの人格の変遷ぶりがなかなかに印象的です。上図のような笑顔は、アニメ本編ではなかなか見られませんので、余計にインパクトがあります。

 「のうりん」は、私の実家のある岐阜県が舞台で、聖地となった美濃加茂市へは、車で30分もかかりません。大体の巡礼スポットは知っているので、まだ聖地巡礼には行ったことがありません。
 アンドー氏はアニメファンなので、当然「のうりん」の聖地巡礼にも行っています。長良川鉄道での旅がなかなか楽しかったそうです。


 西住みほです。どうもガルパンのキャラクターは子供っぽく、低年齢的に描かれる傾向が強いので、同じ高校生の木下林檎と比べると、中学生ぐらいに見えてしまいます。
 ですが、戦車に乗ると途端に人格が変わって、優れて頼もしい指揮官になるのは周知の通りです。そのあたりのギャップ感も、ガルパン独自の重要な特色の一つでしょう。


 水戸ホーリック観戦グッズなども展示されていました。こちらは水戸出身の五十鈴華がメインキャラクターになっていて、缶バッジなども同一のデザインになっていますが、私自身はこういったイベント限定品にはあまり縁がありません。


 むしろ、「のうりん」のコラボ缶バッジセットの方が欲しいぐらいです。「のうりん」の公式缶バッジは全部合わせても30種類に満たないのですが、常時配布されているものは一つもないため、大洗のガルパン缶バッジよりも収集が困難であると聞いたことがあります。初期のアニメイトのガチャにあった品も、今では殆ど入手出来なくなっているそうです。


 これが有名な「もえたま」のパッケージです。養鶏業も盛んな岐阜県なので、ブランド卵も各地にあります。なので、アニメに登場した無精卵を実際に商品化するのにも手間がかからなかったそうです。
 ですが、「もえたま」は普通の卵であるにもかかわらず、販売期間中はファンの注文が殺到してブランド卵よりも売り上げが飛躍的に伸びるそうです。宣伝キャラに良田胡蝶を起用しているのもポイント高いですね。


 ダンボーです。、あずまきよひこ原作のコミック「よつばと!」シリーズに登場する段ボール製のキャラクターです。第28話の「よつばとダンボー」にて初登場、中に早坂みうらが入って動き回り、小岩井よつばがこれを見て本物のロボットだと信じてしまうわけです。これが商品化されて、コトブキヤの主力商品の一つになっているそうです。


 さらにコトブキヤの主力商品の一つ、キューボッシュシリーズも展示されていました。アイドルマスターの如月千早とともに、ガルパンの西住みほも展示されていました。2016年1月に発売が予定されている新製品で、私自身は実物を今回初めて見ました。


 サイズはフィグマとあまり変わりませんが、アニメ調のデフォルメにて頭デッカチに仕上げて、カラコレなどに近い雰囲気になっています。関節は全て可動するそうで、フィグマ同様にいろんなポーズが楽しめるそうです。アンドー氏は「これは割合にウケるんじゃないかね」と言っていましたが、確かにファンならば絶対に買うでしょう。ナガシマさんも「絶対に欲しい」と書いていましたが、私ももちろん購入決定です。
 ただ、問題はその後にあんこうチームの他の4人も商品化されるのかどうか、ということですね・・・。


 見学後、一階の休憩フロアに移動し、アンドー氏のリクエストでキャラ弁や関連グッズ等の見物に付き合いました。


 フロアの一角にあった、「ご注文はうさぎですか?」のキャラクターパネルです。


 こちらは「魔法少女まどか☆マギカ」のキャラクターパネルです。アンドー氏はこのアニメは結構好きらしく、何度も写真を撮り、近くにいたファンの方と少し会話をしていました。


 キャラ弁や関連グッズ等の販売コーナーです。


 最も賑わっていたのが、アニメイトカフェの出張所ブースでした。アンドー氏は最初はここでドリンクを買う積りだったらしいのですが、長い行列を見て諦めたようで、すぐに隣のローソンのブースへ移動していました。そして、頼みもしないのに、私の分までソーダフロートを買ってきたのでした。 (続く)

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

あんこうチーム Ⅳ号戦車D型改(H型仕様) 完成です !!

2015年10月05日 | ガルパン模型制作記

 デカールを貼り終えた後、つや消しクリアーを吹き付けて一日置いておき、さらにもう一度つや消しクリアーを吹き付けておきました。色調が落ち着いてきましたので、シュルツェン架をピットマルチで取り付け、シュルツェンを掛けました。


 シュルツェンを付けると、外見の大部分は隠れて見えなくなります。防御板としての役目の他に、目隠しの機能も持っていたのではないかと思います。遠目にみると、車種が見分けにくいからです。


 今回のH型仕様は、D型やF2型仕様のようにグレー一色ではなく、車体と車輪部分の色が異なっています。それが独特の雰囲気を醸し出しています。


 今回は、履帯以外はほぼ劇中車の仕様に合わせています。履帯のベルトを同じタミヤのJ型のパーツに換えれば、劇中車の再現度は100パーセントに近づくでしょう。


 斜め後ろから見ました。今回のキットでは、背面にもかなり手を入れて劇中車に合わせてありますので、D型やF2型仕様を制作した時のように細部を省略したり、部品をつけなかったり、ということがありませんでした。


 今回のキットで再現を見送った点は、シュルツェン架のアームの形状ぐらいです。アーム内につく板は再現していますが、アームの形状まではきっちりと直していません。完璧に合わせようとするならば、アーム自体もプラ材で自作する必要があるでしょう。


 斜め上から見ても、OVM類の装備状況がはっきりと分からないです。アニメでも同じですから、OVM類に関しては情報や参考画像が少なくて苦労しました。


 ガルパン仕様への改造や追加工作は、今回のキットでも多かったです。最も手間がかかった箇所は、車体右側面のエアクリーナーとアンテナケースでした。


 正面観です。エンジン点検ハッチは枠を付けてかさ上げし、増加装甲のボルトも修正し、車体前端の溶接痕も消しましたので、劇中車の姿にほぼ一致させることが出来たように思います。


 背面観です。パネルの形状もボルトの位置も合わせてあります。私の拙い腕では、これ以上のディティールアップは難しいので、もっと精進しなければなりません。


 完成した車輛は、大洗女子学園に納品されてあんこうチームに引き渡されました・・・、というイメージです。こういう場面にピッタリな、カラコレのパンツァージャケット姿の5人です。


 やっぱり絵になりますね。ガルパンの雰囲気は、1/35サイズフィギュアでも味わえると思いますが、カラコレのようにある程度ディフォルメがなされていると、アニメ感がかえって濃厚になる場合もある、と感じました。


 あんこうチームの5人の搭乗車は、このH型仕様の状態にて劇場版へと推移するようです。そうなると、今まではD型のイメージが中心的であったあんこうチームの戦車も、やがてはH型仕様のイメージが中心的になってゆくのでしょうか。
 個人的には、劇場版にて更に改修を重ねてJ型仕様へ進化してくれると楽しいだろうな、と思います。


 そして、お約束の優勝旗も作りました。旗の表と裏を再現するため、裏面は画像を反転させて逆にしてあります。ポールは適当なものが見つからなかったので、爪楊枝で代用してポスカで黒く塗りました。


 今回の制作の最大のテーマであった、優勝凱旋パレード時の勇姿を再現してみました。この姿を見たかったが為に、苦労してシュルツェンおよびシュルツェン架を着脱可能としたのでした。
 あんこうチームの5人は、このときは大洗女子学園制服姿ですので、ここではピットロードさんのEDバージョンのフィギュアを使用して乗せました。


 深紅の優勝旗が誇らしげに翻っています。5人全員がそれぞれのハッチを開けて車外に頭や上半身を突き出しています。


 操縦手、冷泉麻子。


 エンターエンターミッションの歌詞が聞こえてきそうです。


 ココストア前の信号交差点を左折して大貫商店街の通りへと向かいます。


 通信手、武部沙織。


 広い道路の中央を、悠々と進みます。大洗の人々の歓声が聞こえてくるようです。


 砲手、五十鈴華。


 五十鈴家の人々、五十鈴百合や新三郎の位置からは、こんな感じで見えたことでしょう。


 装填手、秋山優花里。


 この直後、父親の秋山淳五郎に敬礼されて、優花里も笑顔で敬礼を返すことになります。


 車長、西住みほ。


 彼女がやっとみつけた、自分の戦車道。その中身を、横の優勝旗が象徴しているかのようです。


 「ねえ、帰ったらなにする?」
 「お風呂入って・・・」
 「アイス食べて・・・」
 「それからー・・・」


 「戦車乗ろっか!」
 「うん!」


 かくして学園艦目指して走り去ってゆくのでした・・・。

 いやー、劇中のラストシーンがいかに感動的だったかは、こうして模型とフィギュアで簡潔に再現してみてもグッときますから、改めて分かりますね・・・。


 以上で、あんこうチームの搭乗車が完成しました。製作日数は、7月31日から9月10日までの42日でした。キットはタミヤですが、ガルパン仕様への改造や追加工作が多いうえに、シュルツェンおよびシュルツェン架を着脱可能にするというテーマを設定したため、予定よりも日数を要しました。途中で大洗に行って、ガルパンギャラリーに展示される同型車キットの完成品を見る機会にも恵まれたため、劇中車の仕上げイメージもより具体的に得られて、制作の参考になりました。

 あんこうチームの搭乗車は、周知のようにD型、F2型仕様、今回のH型仕様と三つの形態を経ていますので、それぞれのキットを作る楽しみがあります。劇中車に近づける場合、最も手間がかからなかったのが公式キットのF2型仕様、一番大変だったのが今回の作品でした。劇中車に近づけるための改造を細部に至るまで出来る限り実施したことが大きかった、と思います。

 苦労しましたけれど、それだけに優勝凱旋パレード時の勇姿を再現出来たのは最高の喜びでした。ああいう感動的な名シーンは、何度再現しても素晴らしいに決まっていますので、機会があれば大洗女子学園チームの全8輌を並べて行進させてみたいです。
 ただ、その場合はあんこうチームの次に続くのがカメさんチームなので、その搭乗車ヘッツァーがあると良いのですが、まだ作っておりません・・・。
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

京都のアニメとガルパンと街中と  その1 「京まふ」2015

2015年10月04日 | 観聞日記

 2015年9月20日の朝9時前、京都駅で新幹線を降りて西口に行き、時計台「時の灯り」にて模型サークルの知人アンドー氏と合流しました。
「アンドーさん、おはようございます」
「おはよう、今日も元気に楽しむか」


 この日は快晴で、京都タワーの聳える空も青く澄み渡っていました。
「いい天気になりましたねえ、では早速バスに・・・」
「待て、その前に「京なび」に行っときたいんやが、どこやったっけ?」
「「京なび」って、総合観光案内所のことですか?何か用事があるんですか」
「せや、そこへ連れてってくれんか」


 そこで少し駅構内通路を引き返し、京都伊勢丹の入口の横にある京都総合観光案内所「京なび」に入りました。京都観光の資料や地図、宿泊施設の案内や予約、交通機関の資料など、たいていの観光資料がここで入手出来ます。私自身は、毎年春秋の文化財特別公開情報や関連資料などを時々ここで得ています。

 アンドー氏は、カウンターに直行して係員に「京都のアニメの巡礼地図を二部ずついただきたい」と言いました。
「アニメの巡礼地図、でございますか?」
「そう、二種類が配布されとる筈ですが」
 そこで係員は思い当った表情になり、すぐに該当の資料を二部ずつ持ってきて渡してきました。


「おい星野、これが「京都聖地巡礼マップ」の小冊子や」
「へえ、ネットでもダウンロード出来るアレですね。印刷物は初めて見ました」
「それから、二部のうちの一つがこれ」
 それが「有頂天家族」の京都探訪マップでした。下鴨神社を軸として、鴨川沿いの河原町から川端通界隈が舞台となっているアニメです。ガルパンより少し前にテレビ放送がなされていましたが、私は前半の数話しか見ていませんので、残りをいつかDVDレンタルで見てみたいです。
 「有頂天家族」の公式サイトはこちら


「それから、もう一部がこれな」
「あっ、「恋いろは」の巡礼マップじゃないですか、これは良いですよ・・・」

 伏見稲荷大社界隈を舞台とするアニメ「いなり、こんこん、恋いろは。」は、結構気に入っている物語の一つです。私自身が、かつて伏見稲荷大社ゆかりの歴史人物の名をハンドルネームに使っていたほどに、あの地域には青春の思い出が沢山あります。
 このアニメのテレビ放送は2014年にやっていて、全10話とOVAの11話を欠かさず見ていました。原作のコミックスも全て読みました。ですが、聖地巡礼はまだやっていません。何度も通った地ですので、行かなくても大体分かりますし、アニメに登場したスポットは全部知っています。
 今回、この巡礼マップを貰えましたので、一度、あのノスタルジックなストーリー世界に浸りつつ現地を散策してみようか、と思います。散策というより、本格的な山登りを伴いますが。
 「いなり、こんこん、恋いろは。」の公式サイトはこちら

 さすがにアンドーさんはアニメファンだけあって、こういうアニメ聖地巡礼マップの情報にも詳しいです。どこから情報を得てくるのでしょうか・・・。


 バスターミナルに行くと、長い行列が出来ていました。シルバーウィークの連休で観光客の人出が通常の三倍になっていたと聞きましたが、とにかく市バスも京都バスも満員状態でした。
「アンドーさん、こうなったら地下鉄で行きますか?」
「いや、(京まふの)会場へあまり早くに着いても混雑してる筈なんや。時間がかかってもええんや。ゆるゆると行けばええんで、バスで行こうや。乗り場はどこやね?」
「岡崎公園まで乗りますから、銀閣寺道経由の急行バス路線がいいでしょう。大抵の人はA1(乗り場)に行くでしょうから、我々はD1に行きましょう」
「さすがに詳しいねえ」
「京都はもう何度も来てますんで。大学にも通ってましたし、昔のサイト運営の事務所を河原町に置いていましたんでね・・・」


 アンドー氏が「切符はバスで買うのか?」と聞いてきたので、近くのバスチケット販売所へ寄って「市バス・京都バス一日乗車券カード」を購入しました。
「これって、一日フリー乗車券なのかね?」
「そうです。京都観光主要エリア内であれば、市バスと京都バスは何度でも乗れます。今日は最低でも4回は乗るんですから、これの方がトクですよ」

 京都のバスは観光主要エリア内の均一期間料金が230円です。これに四回乗ると920円かかりますが、この「市バス・京都バス一日乗車券カード」は500円なのでお得です。この日は、結果的には六回乗りましたので、大変にお得でした。
「おい、これも貰ってきたで」
 と、アンドー氏が私の分まで持ってきてくれた「バスなび」のマップでした。京都のバス路線はものすごく複雑ですから、これがあると重宝します。


 D1乗り場から100系統の急行バスに乗り、東山通を北上するコースで目的地へ向かいましたが、道路はどこも大渋滞でした。通常なら15分ぐらいでいくところを30分ほどかかって、目的地の岡崎公園にて降りました。そこから「京まふ」会場の京都市勧業館までは歩いて3分もかかりません。途中で平安神宮の建物を北に望みました。


 「京まふ」会場の京都市勧業館「みやこめっせ」に着きました。大いに張り切るアンドー氏でした。
「見ろ、混雑も行列も無いで。ゆるゆると来て正解やったようやな」


 チケット売り場で購入した当日券です。その直後にゲートで三分の一ほどが千切られました。


 ゲート横の案内板です。公式キャラクターの「都萌(ともえ)」は漫画家の藤島康介さんのデザインになります。藤島康介さんは「逮捕しちゃうぞ」や「ああっ女神さまっ」の原作者として知られています。


 今回は、アンドー氏も私も、出展会場のみへの入場でした。係員の誘導に従って列になり、三階の会場へのエスカレーターに乗りました。


 出展会場は、大変な賑わいでした。一見したところでは、男女の比率が四対六ぐらいでした。男はオッサンが目立つのに対して、女は若年層が大半を占め、10代から20代までが多かったです。これがアニメファン層の平均的な構成比でしょう。


 広い会場に並んだ出展ブースは50もあり、全部を見て回ると時間もかかるので、あらかじめ見たい所、興味があるブースを絞り込んでいました。でも、会場に入ってみると移動すらままならない混雑ぶりなので、見て回るというより流されるという感覚でした。


 コスプレイヤーさんもあちこちに居ました。アンドー氏はその何人かに声をかけては気さくに会話を楽しみ、資料もしっかり貰ってくるのでした。上図の「少年ジャンプ」のブースでは「ねえ、杉元佐一のイラスト画とか資料ないかね?」と聞いていました。

 氏は、最近ヤングジャンプにて連載中の「ゴールデンカムイ」にハマっています。この漫画は、明治期の北海道のアイヌ文化の紹介という側面も併せ持っていますので、大学では歴史民俗学を専攻し、日本の各地域の習俗や生活文化の差異を歴史的に捉える研究をやっていたアンドー氏にとっては、興味深いカテゴリーに属するのでしょう。
 それで、氏に勧められて私も原作コミックスを読みましたが、ものすごく面白いです。アニメ化の噂もチラッと耳にしたことがありますが、血生臭いシーンが少なくありませんので、映像化には相当の困難があるだろうと思います。


 会場の中央辺りに設置されて、かなり目立っていた「ラブライブ!」のねぶた人形です。実際に青森県五所川原市のねぶた祭りに出品されたといいます。キャラクター9人のうちの三年生チームで、左から綾瀬絵里、矢澤にこ、東條希です。
 「ラブライブ!」の公式サイトはこちら


 こちらはアンドー氏が大変な関心を寄せていた、京都精華大学のブースです。日本で唯一、マンガ学部を設置して漫画やアニメの人材を輩出しています。氏は「こういう学部で勉強して楽しみたかった」と常々話していますが、私も同感です。


 ブース前には、京都市交通局の地下鉄利用促進PR「地下鉄に乗るっ」の公認応援キャラクターのパネルが置かれていました。左は「太秦萌(うずまさもえ)」、京都市営地下鉄東西線の「太秦天神川駅」が元ネタです。京都市交通局のフェイスブックではレポーターを務めていますので、私もよく知っています。

 しかし、右のキャラクターは初めてみました。アンドー氏は首を傾げつつ、係員に「これは誰?」と訊ねていました。
「烏丸ミユ、といいまして、今回、国際マンガミュージアムのキャラクターとして新たに加わりました」
 その説明を聞いて、ああそうか、と思い当りました。「京まふ」の第二会場である国際マンガミュージアムは、京都市営地下鉄烏丸線の「烏丸御池駅」が最寄です。「烏丸ミユ」の「ミユ」はおそらくミュージアムに因んだ名前でしょう。

「おい星野、この娘(烏丸ミユ)のヘアスタイルな、織田信長の茶筅髷ってやつかね?」
「ちょっと違うような気がしますが。服装が中世期の京童みたいなデザインなんで、髪形もどっちかというと擬宝珠に近いスタイルですねえ、もしかして三条大橋の擬宝珠が元ネタかもしれませんよ」
「そういやあ、そうやな。京都なんやからネタはそっち系が相応しいね。すると、池田屋襲撃事件の切り傷ってのもあるんかねえ」
「そんなもの、あるわけないでしょうが・・・」

 三条大橋の擬宝珠は、豊臣秀吉の修造時のものがそのまま伝わります。江戸期の新選組による池田屋騒動の際の大立ち回りが三条大橋でも繰り広げられたとされ、その際の切り傷がいまも残っています。


 そしてこのポスターを、アンドー氏はものすごく欲しがっていました。
「地下鉄に乗るっ、っていうフレーズがシンプルでたまらんよなあ・・・」
「そんなにたまらないんですか・・・」
「せや。俺風に言うたらさ、イヨマンテの夜っ、てなるわけやからねえ」
「意味が分かりません・・・」


 こちらは、GAROアニメシリーズ第2弾の「牙狼-紅蓮ノ月-」の展示ブースです。2015年の秋からテレビ放送が予定されており、舞台が平安京となるようです。

「この星明っての、安倍晴明がネタなんやろうね」
「そうだろうと思いますけど、でもアニメでの設定は魔戒法師の女性ですよ」
「じゃあ、金時ってのは坂田金時なのかね?」
「かもしれませんね・・・」
「真ん中の雷吼ってのは?」
「これは歴史人物じゃないですね・・・。仏教の尊像に金剛夜叉明王ってのがあるんですけど、その持ってるヴァジュラっていう武器が古代インドの神話では雷を放つものでして、その雷鳴の響きを雷吼と表現するんです」
「ほう、すると明王の憤怒のパワーというところか」
「まあ、そういう感じですね。梵訳だとヴァジュラヤクシャなので、雷神の化身とされる金剛吼菩薩と一緒なんですよ」
「そういうのが、このアニメの主人公であるわけか・・・」

 「牙狼-紅蓮ノ月-」の公式サイトはこちら


 こちらは「ごちうさ」こと「ご注文はうさぎですか?」のキャラクターたちです。原作は「まんがタイムきららMAX」の四コマ漫画ですが、アニメ化もなされて、最近まで放送していました。現在は第二期が放送中だと聞いていますが、観たことがありませんので、詳細をよく知りません。
 しかし、ブースには若いファンが多く集まっていて、デモ画像や原画の展示に熱心に見入っていました。

「おい星野、この真ん中の、頭にウサギが乗ってる子な・・・」
「ああ、シャロですね。喫茶店のアルバイトやってる子ですよ」
「手前左の、頭に丸いネコみたいなのが乗ってるのは・・・」
「これは確かチノですよ。ラビットハウスのマスターの娘です」
「ラビットハウスって・・・?」
「舞台となってる喫茶店の店名ですよ」
「おい、アニメも観てないって聞いてたが、なんでそんなに詳しいんや」
「以前に李さんに原作コミックスの翻訳版を見せてもらったことがあるんですよ・・・」
「李さん、って、台湾のPETIT FANCYのメンバーやった人やな。去年の神戸イベントにも来てたな」
「その時に「これが素晴らしいよ」って、これの原作を見せてくれたんです。でもそれ中国語版なんで、改めてこっちの本を見て、だいたいのキャラは把握したわけです」
「俺はこれは全然知らないのや。よし今度マンガ喫茶でコミックス読んでこよう」

 「ご注文はうさぎですか?」の公式サイトはこちら


 こちらは京都嵯峨芸術大学のブースです。芸大生が描く作品は、いずれも独創や創意に溢れた面白いものがあり、前衛的な作風を押し出した作品も少なくありません。アニメやマンガの表現世界とは別種の趣を漂わせて興味深いものが多いので、私はこういった作品を見るのが好きです。
 私自身も京都造形芸術大学の芸術学部に学びましたから、こういった芸大系のブースの方々とは話題が合うことも多く、イラスト理論や絵画世界表現の可能性などについて少し話をしました。


 ブースでは、学生さんが絵画制作の実演をしておられました。私よりもアンドー氏が熱心に見入っていて、「この真ん中の男性は、俺よりもカッコ良いので困るな・・・」などと意味不明のつぶやきを漏らしていました。それに対して学生さんは「えっ?」と不思議なものを見るような目つきで応じていました。


 続いてアンドー氏が向かったのが、京都情報大学院大学のブースでした。そのマスコットキャラクター「きょこたん」が氏のお気に入りなのだそうです。


 これが「きょこたん」です。これを見るのは初めてでした。もうちょっとネーミングをそれなりに考案して欲しかったところですが、キャラクター自体も精華町マスコットの「京町セイカ」よりは安直なデザインに見えてしまいます。

 なので、アンドー氏に「この子の帽子の元ネタ分かるか?」と聞かれた際に、即座に「京都タワーじゃないですか」と答えました。
「なんですぐに分かるんや」
「だってデザインが安直・・・いやシンプルで分かりやすいじゃないですか」
「うん、シンプルで分かりやすいのが一番やね。こういうキャラクターデザインがええんやで」
「そうですね・・」と、ここはアンドー氏に合わせておきました。


 「ラブライブ!」の展示ブースの背面です。これが最も見栄えがするせいか、多くの見学者が一様にカメラやスマホで撮影していました。一番右側の三人組が、会場中央にあったねぶた人形のそれですね。


「おい星野、お前の好きな金田一耕助や」
「違いますって、これは金田一一(ハジメ)ですよ」
「えっ、金田一耕助とは関係ねえの?」
「一応、コミックの設定では金田一耕助の孫、ってことになってますよ」
「それはおかしいぞ、金田一耕助は生涯独身やった筈やろ。なんで孫がいるんや、説明しろ」
「なんで私が説明せんとあかんのですか。コミックの設定が横溝シリーズのそれとは別物なんだからしょうがないですよ・・・」
「じゃあ、こっちのキザな野郎はもしかして、等々力警部やったりするわけか?」
「違いますよ、明智警視です」
「明智って、明智小五郎かね?」
「いえ、明智健吾です」
「つまり、明智小五郎の孫ってわけやな?」
「そんな設定は無かった筈なんですけどねえ」
「なんでコイツ(金田一一)が金田一耕助の孫なのに、コチラ(明智健吾)は明智小五郎の孫じゃねえのよ?」
「そんなこと、私に聞かないで下さいよ・・・。そこの読売テレビのブースで聞いてきて下さいよ」
 それでアンドー氏は聞きに行きましたが、どんな会話が交わされたのかは、その場に居なかった私には知る由もありませんでした。

 「金田一少年の事件簿」の公式サイトはこちら。  (続く)

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

あんこうチーム Ⅳ号戦車D型改(H型仕様) 作ります !!  その15

2015年10月03日 | ガルパン模型制作記

 塗装が完了したので、デカールを貼る作業に移りました。今回もモデルカステンのガルパンデカールセットのお世話になりました。


 今回のキットで使用するのは、上図に示したA~Dの計9枚です。Aはシュルツェンに貼ります。Bのあんこうマークは砲塔と砲塔シュルツェンに貼ります。これまでのD型やF2型仕様のあんこうマークと違って、左右ともアンコウが前を向いているのが特徴です。
 Cは車体側面に貼ります。Dは砲塔背後のゲベックカステンの背面に貼ります。


 劇中車のマークの位置を確認してみました。シュルツェン上のマークの位置は明瞭ですが、砲塔左右のあんこうマークの位置が上図では不明です。


 別シーンにて、砲塔右側面のあんこうマークの位置が確認出来ます。


 これらの情報をふまえて、最初に左右シュルツェンの大洗女子学園校章を貼りました。


 車体右側面の大洗女子学園校章、砲塔右側面のあんこうマークを貼りました。


 劇中車の左側面が見える、数少ないシーンです。特に、車体左側面の大洗女子学園校章がはっきり映っているシーンは全く見当たらず、上のシーンの円内にかろうじて端が見えているのが、唯一の位置情報です。これはF2型仕様と同位置になります。


 車体左側面の大洗女子学園校章、砲塔左側面のあんこうマークを貼りました。


 感動のラストシーンによって、劇中車の砲塔背後のゲベックカステンの背面に大洗女子学園校章がマーキングされているのが確かめられます。 


 砲塔背後のゲベックカステンの背面に大洗女子学園校章を貼りました。


 砲塔シュルツェン上のあんこうマークの位置は、砲塔側面のあんこうマークの位置よりやや後ろになることが、上掲のワンシーンなどから確認出来ます。


 劇中車の状態に合わせて、砲塔シュルツェン上のあんこうマークを貼りました。


 以上で、全てのデカールを貼り終わりました。 (続く)

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大洗のガルパン公式缶バッジに関する中間報告 その12

2015年10月02日 | ガールズ&パンツァー
 大洗のガルパン公式缶バッジに関する中間報告です。今回で十二回目となりました。
 今回は、2015年8月および9、10月の大洗行きにて新たに知り得た、ガルパン公式缶バッジに関する諸々の情報を追加すると同時に、2015年10月の時点において知られるガルパン公式缶バッジの動向をまとめました。

 また、これまで大洗以外の地域にて入手出来るものに関しては対象外としておりました。しかし、最近に問い合わせを何度かいただいたこともあり、今回の機会に大洗町(水戸、ひたちなかを含む)以外で出されているガルパン公式缶バッジについて知り得る限りの情報をまとめました。


 上画像は、2015年8月19日から21日までの大洗滞在中に、色々な形でいただいたガルパンバッジの数々です。宿泊特典品や夏季限定品などが新たに登場していました。


 上画像は、2015年9月28日から10月1日までの大洗滞在中に、色々な形でいただいたガルパンバッジの数々です。夏あたりから登場した品が大部分を占めますが、過去の限定品や品切れ分などの一部もまだ在庫があったようです。

 今回、新たに追加または更新した分については、赤字で表しています。

 

1 大洗女子学園 あんこうチーム
西住みほ(坂本文具店、シーサイドホテル)   誕生日イベント、バーベキューイベント、献血イベント、水戸ホーリック試合観戦特典品などの限定品を含めて数種類があり、クリスマスバージョンもあるが、普通に入手出来るのは宿泊特典ぐらい。宿泊特典には、ガルパン応援宿泊プラン実施施設共通のタイプ、シーサイドホテルの宿泊特典オリジナル品が新旧三種類ある。また、2014年6月に鹿島臨海鉄道より大洗駅インフォメーションの入場者数10万人達成を記念して限定で配布されたオリジナル品がある。2015年にはD1レース観戦特典が登場。店舗オリジナル品としては、坂本文具店の品、カノウヤの品、好梅亭の品がある。また2015八朔祭デザインに角谷杏とともに登場。

武部沙織(カワマタ)   吉田屋のオリジナル品が二種類あったが完売し、2014年4月からの梅カフェの戦車ケーキの予約特典品が500点限定にて登場。さらに2015年3月から購入特典として梅カフェ一周年の新オリジナル品が出た。吉田屋の他には、カワマタのオリジナル品がある。また宿泊特典の品、商工会発の品、献血イベントの品、誕生日イベント時の限定品などがある。2015年にはD1レース観戦特典が登場。

五十鈴華(たかはし)   宿泊特典の品がある。誕生日イベントや水戸夜梅祭の限定品があるが、いずれも入手は不可能に近い。夏の海水浴期間に合わせた「2014SUMMER大洗」バージョンでは西住みほ、秋山優花里と三人で登場。まいわい市場あんこう焼コーナーの購入特典品がある。また水戸ホーリック試合観戦特典の品が二種類ある。2015年にはD1レース観戦特典が登場したほか、ホテルレイクビュー水戸の宿泊特典オリジナル品がある。

秋山優花里(年宝菓子店)   宿泊特典の品のほか、誕生日イベントの限定品がある。「冬の進軍ボコ作戦」の参加賞品にエルヴィンとのペア後姿がデザインされている。また年宝菓子店のオリジナル品が新旧二種類ある。さらに田口理髪店のオリジナル品があるほか、大洗ガイド大作戦の特典品がある。2015年にはD1レース観戦特典が登場したほか、シーサイドホテルの宿泊特典夏季限定オリジナル品がある。

冷泉麻子(大洗ホテル)   宿泊特典の品のほかに、エンカイウォーイベントや誕生日イベントの限定品がある。いずれも入手は不可能に近い。2015年にはD1レース観戦特典が登場。

五人のセット   「がんばっぺ大洗」デザインの新旧二種類のほか、好梅亭のオリジナル品がある。他に鹿島臨海鉄道が販売している缶バッジセットの新旧二種類があるが、旧バージョンの6種セットは入手不可能に近い。日本赤十字社茨城県血液センターのガルパン献血イベント品や水戸ホーリック試合観戦特典品などのイベント限定品が幾つかあるが、いずれも入手不可能に近い。2014年3月の海楽フェスタにて出された抱きボコ熊バージョン、夏の海水浴期間に合わせた夏バージョンが2014、2015年の二種ある。また、大貫商店街から出されているEDバージョンがある。2015年1月には戦隊バージョンが出ている。またD1レース観戦特典がある。

Ⅳ号戦車D型   ブーム初期の百円商店街くじ景品、タヤマ石油のオリジナル品、今村金網工業のオリジナル品があるほか、大貫商店会レンタサイクルの利用特典品がある。

あんこうチームマーク   商工会より、背景色が白と青、水色、クリーム色の三種類が出ているほか、梅原屋のオリジナル品、まいわい市場あんこう焼コーナーの通販限定購入特典品、あんこうタクシー2号のオリジナル品がある。


2 大洗女子学園 カメさんチーム
角谷杏(丸五水産)   商工会が数種類を制作。「がんばっぺ大洗」デザイン二種類、「あんこう踊り」や「迎春」、「いばらきイメージアップ大賞受賞」、「2015八朔祭」などのタイプがあるが、「迎春」タイプは季節限定。オリジナル品としては、丸五水産のオリジナル品および2015年1月の誕生日記念品があるほか、ブロンズの澤梓とのコンビ品、マルトBBQのオリジナル品がある。

小山柚子(茨城県信用組合)   「あんこう踊り」のみ。

河嶋桃(石福)    「あんこう踊り」の他、石福のオリジナル品がある。

三人のセット   「あんこう踊り」と「エンカイウォー」の二種類のほか、大貫商店街から出されているEDバージョン、クックファンのオリジナル品がある。

38t戦車   ブーム初期の百円商店街くじ景品、大貫商店会レンタサイクルの利用特典品がある。


3 大洗女子学園 カバさんチーム
カエサル(加藤豆腐店)   加藤豆腐店のオリジナル品が新旧二種類ある。

エルヴィン(和泉屋米穀店)   和泉屋米穀店のオリジナル品が新旧二種類ある。イベント「冬の進軍ボコ作戦」の参加賞品に秋山優花里とのペア後姿がデザインされているが、イベント終了後はほぼ入手不可能。

左衛門佐(江口又進堂)   なし

おりょう(玉屋菓子店)   なし

四人のセット   大貫商店街から出されているEDバージョンがある。

Ⅲ号突撃砲F型   ブーム初期の百円商店街くじ景品、ガルパンスタンプラリー第2弾の完了特典品、さくらい食堂のオリジナル品があるほか、大貫商店会レンタサイクルの利用特典品がある。


4 大洗女子学園 アヒルさんチーム
磯辺典子(鳥孝)   鳥孝のオリジナル品が二種類ある。八九の日イベントの限定品に佐々木あけびと二人で登場。

近藤妙子(魚忠)   なし

河西忍(森屋菓子店)   森屋菓子店のオリジナル品がある。ひたちなかの「世界一楽しい片道きっぷ」記念オリジナル品にも登場。那珂湊ほのぼの作戦2の特典に佐々木あけびとコンビで登場。

佐々木あけび(タグチ)   タグチのオリジナル品がある。ひたちなかの「世界一楽しい片道きっぷ」記念オリジナル品にも登場。那珂湊ほのぼの作戦2の特典に河西忍とコンビで登場。

四人のセット   大貫商店街から出されているEDバージョン、鳥孝のオリジナル品のほか、夢タウン大洗のスポーツテスト記念品、森屋菓子のオリジナル品がある。

八九式中戦車甲型   ブーム初期の百円商店街くじ景品、ガルパンスタンプラリー第2弾の完了特典品、大貫商店会レンタサイクルの利用特典品がある。


5 大洗女子学園 ウサギさんチーム
澤梓(いそや)   いそやの宿泊特典オリジナル品が二種類あるほか、ブロンズの角谷杏とのコンビ品がある。ひたちなかの「世界一楽しい片道きっぷ」記念オリジナル品にも登場するほか、2015年3月8日のいそや感謝祭の記念限定オリジナル品がある。また那珂湊ほのぼの作戦2の特典に宇津木優季とコンビで登場。

山郷あゆみ(新屋酒店)   新屋酒店のオリジナル品がある。またバーベキューイベントの限定品に西住みほとコンビで登場。

丸山紗希(大勘荘)   大勘荘の宿泊特典オリジナル品が新旧二種類ある。

阪口桂利奈(大久保酒店)   大久保酒店のオリジナル品がある。

宇津木優季(黒沢米穀店)   黒沢米穀店のオリジナル品が新旧二種類ある。ひたちなかの「世界一楽しい片道きっぷ」記念オリジナル品にも登場。那珂湊ほのぼの作戦2の特典に澤梓とコンビで登場。

大野あや(お好み焼き道)   お好み焼き道のオリジナル品が新旧三種類ある。

六人のセット   「エンカイウォー」と、大貫商店街から出されているEDバージョン、日本赤十字社茨城県血液センターのガルパン献血イベント限定品があるほか、2015年3月3日の「M3の日」の記念限定オリジナル品がある。

M3中戦車リー   ブーム初期の百円商店街くじ景品、今村金網工業のオリジナル品が二種類ある。

ウサギさんチームマーク   お好み焼き道のオリジナル品があるほか、2014年3月3日の「M3の日」の記念限定オリジナル品がある。


6 大洗女子学園 カモさんチーム
園みどり子(大進)   大進のオリジナル品があるほか、大貫商店会こそこそ作戦6の購入特典品がある。

後藤モヨ子(スルガヤ薬局)   なし

金春希美(みむら時計)   みむら時計のオリジナル品がある。

三人のセット   みむら時計の購入特典品および大貫商店街イベント時に配布された「早寝早起きバージョン」のほか、大貫商店街から出されているEDバージョンがある。

ルノーB1bis   みむら時計のオリジナル品が二色ある。


7 大洗女子学園 アリクイさんチーム
ねこにゃー(川崎燃料店)   なし

ももがー(ウスヤ精肉店)   ウスヤ精肉店のオリジナル品が新旧二種類ある。

ぴよたん(藤乃屋)   なし

三人のセット   大貫商店街から出されているEDバージョンがある。

三式中戦車チヌ   なし


8 大洗女子学園 レオポンさんチーム
ナカジマ(ブリアン)   ブリアンのオリジナル品がある。

ホシノ(カジマ)   カジマのオリジナル品が新旧二種類ある。

スズキ(小沼酒店)   小沼酒店のオリジナル品がある。

ツチヤ(豊年屋機工部)   豊年屋機工部のオリジナル品が新旧二種類ある。

四人のセット   大貫商店街から出されているEDバージョンがある。カジマのオリジナル品がある。

ポルシェティーガー   ココストアのオリジナル品がある。

レオポンさんチームマーク   ココストアのオリジナル品があるほか、カジマの2015年の海楽フェスタ限定購入特典品がある。


以上の大洗女子学園の8チーム全員のデザイン品が2015年3月の海楽フェスタにて登場。また大洗女子学園の校章のデザインは、黒沢米穀店のオリジナル品、茨城交通の限定オリジナル品、シーサイドホテルの修学旅行記念限定品などがある。


9 大洗女子学園 その他のキャラクター
新三郎(常陸屋)   商工会および各商店街で配布している品がある。

蝶野亜美(月の井)   商工会および各商店街で配布している品がある。

五十鈴百合(福本楼)   福本楼の宿泊特典オリジナル品がある。

西住しほ(さまた接骨院)   なし

冷泉久子(酒井屋)   なし


10 聖グロリアーナ女学院
ダージリン(肴屋本店)   肴屋本店の宿泊特典オリジナル品がある。

アッサム(国井屋)   国井屋のオリジナル品および誕生日記念品がある。

オレンジペコ(ヴィンテージクラブむらい)   ヴィンテージクラブむらいのオリジナル品がある。

チャーチルⅡおよびマチルダ歩兵戦車   いずれも肴屋本店の宿泊特典オリジナル品がある。


11 サンダース大付属高校
ケイ(飯岡屋水産)   飯岡屋水産の2015年3月14日のホワイトデー記念限定品がある。

ナオミ(あんばいや)   あんばいやの宿泊特典オリジナル品がある。

アリサ(小林楼)   小林楼の宿泊特典オリジナル品が新旧二種類ある。

M4シャーマン他   味ごよみ宮田のオリジナル品がシャーマンファイアフライのデザインで登場。


12 アンツィオ高校
アンチョビ(山戸呉服店)   JR東日本びゅうチケットの景品バッジ三種の一つ。2014年2月28日に終了。2014年4月から5月まで実施の「イラストラリー」の景品がある。山戸呉服店のオリジナル品、誕生日イベント時の限定品がある。

カルパッチョ(ぎらばり)   ぎらばりのオリジナル品がある。

ペパロニ(ブロンズ)   ブロンズのオリジナル品が新旧二種類、誕生日イベント時の限定品がある。

モブキャラ二人   しゅんさい(旬菜)のオリジナル品がある。

P40他   なし


13 プラウダ高校
カチューシャ(さかげん)   さかげんのオリジナル品がある。

ノンナ(森寅ひもの館→さかげん)   なし

T34/76   寿々翔のオリジナル品がある。

IS-2   日野屋商店のオリジナル品がある。


14 黒森峰女学園
西住まほ(さかなや隠居)   さかなや隠居の宿泊特典オリジナル品がある。

逸見エリカ(かまや)   かま家のオリジナル品が新旧二種類ある。

二人のセット  厳密には大洗の缶バッジではないが、寿司店栗崎屋の系列店「海鮮どんどん」と「すし一番」のオリジナル品がある。

ティーガーⅠ   栗崎屋および系列店「海鮮どんどん」と「すし一番」のオリジナル品にデザインされている。


15 知波単学園
西絹代   2015茨城空港スタンプラリー完了記念特典品がある。


16 その他のキャラクターなど
稲富ひびき(ヨシモト)   大洗ポイントカード会の品(審判三人が一緒のデザイン)がある。

篠川香音(浜野屋商店)   大洗ポイントカード会の品(審判三人が一緒のデザイン)がある。

高島レミ(大黒屋)   大洗ポイントカード会の品(審判三人が一緒のデザイン)がある。


17 その他のデザインなど
優勝旗  商工会発のオリジナル品とそのエラー品とがある。

ボコ熊  商工会発のオリジナル品のほか、あんこうタクシー1号のオリジナル品がある。

戦車道チームを有する全国各地の高校の校章  リゾートアウトレット内のガルパンギャラリー併設の物産品販売コーナーの抽選品として登場。2015年10月時点で9種類がある。メイプル高校、知波単学園、ヴァイキング水産高校、ヨーグルト学園、伯爵高校、マジノ女学院、継続高校、ポンプル高校、ビゲン高校。

戦車カツ  クックファンのオリジナル品がある。




 続いて、入手方法別に追加更新してみました。●がついているものは公式オリジナル品です。在庫が無くなり次第終了、という所もありますので、事前に在庫を問い合わせておくのが良いでしょう。参考までに、( )内に設置パネル名を示しました。新たに追加または更新した分については、赤字で表しています。

1 グッズやお土産やおやつなどの買い物をすると貰える
●和泉屋米穀店(エルヴィン)  あんみつやプラッシーなど購入
 あいりす(Ⅳ号戦車D型改H型仕様)  「男の身だしなみセット」購入
●ココストア大貫店(ポルシェティーガー全国大会時)  ガルパン関連のDVD、書籍、酒類など購入
●今村金網工業(M3中戦車リー全国大会時)  ガルパン網戸購入
●みむら時計(金春希美)  ガルパンメガネ拭きなど1000円以上を購入
 榎澤輪業商会(ヤークトティーガー)  レンタサイクルを利用
 島屋米穀店(八九式中戦車甲型発見時)  あんみつなど購入
 小野瀬海藻店(38t戦車親善試合時)  お土産など購入
●お好み焼き道(大野あや)  駄菓子セット500円購入
●鳥孝(磯辺典子)  商品合計500円以上を購入
●国井屋(アッサム)  「茶ーちる歩兵煎茶」やティーセットなど購入
 坂本文具店(西住みほ)  ガルパン名札や文房具セットなどを購入
●黒沢米穀店(宇津木優季)  聖地大洗茶碗と箸セットまたは大洗女子学園学生食堂茶碗と箸セットを購入
●大久保酒店(阪口桂利奈)  日本酒「桂利奈」購入
●森屋菓子店(河西忍)  商品やおやつなど購入
●吉田屋  「常陸乃梅」など購入
●新屋酒店(山郷あゆみ)  商品購入
●丸五水産(角谷杏)  「丸五式戦兵」購入
●ウスヤ精肉店(ももがー)  串カツ購入
●カジマ(ホシノ)  「ホタテの履帯揚げ」など500円以上を購入
●タグチ(佐々木あけび)  商品合計1000円以上を購入
 金丸釣具店  「砲弾型ウキ」など購入
●好梅亭  「キューポラ煎餅」など購入
 まいわい市場  ガルパングッズの購入
●まいわい市場あんこう焼きコーナー  あんこう焼きドリンクセットの購入
●まいわい市場あんこう焼きコーナー  通販にてあんこう焼き9個セットを購入
●ガルパンギャラリー物産品販売コーナー  500円以上の購入で1点を抽選
 キラキラクレープ  ガルパンクレープ各種の購入
●カワマタ(武部沙織)  商品合計500円以上を購入
●石福(河嶋桃)  商品合計250円以上を購入
●加藤豆腐店(カエサル)  商品合計350円以上を購入
 セイコーマート島忠  商品など購入
●梅原屋 ガルパンシャツなど購入
●タヤマ  商品を購入
●田口理髪店  650円以上のカッティングシートなど購入
●豊年屋機工部  ガルパン軍手を購入
●さかげん(カチューシャ)  プラウダウォッカを購入

2 食事をすると貰える
●栗崎屋(ティーガーⅠ)  ガルパン寿司コースなど。まいわい市場で販売している「海鮮丼」にも缶バッジがついています。また水戸市に展開する支店の「海鮮どんどん」と「すし一番」にて800円以上の食事をして栗崎屋の缶バッジを示すと、それぞれの支店の缶バッジが貰えます。
 渡来人(ヘッツアー)  ラーメンなど
●さくらい(Ⅲ号突撃砲F型親善試合時)  「あのカツ丼」など
●大進(園みどり子)  蕎麦など
 常陸屋(新三郎)  蕎麦
●お好み焼き道(大野あや)  たらしなど
●ブロンズ(ペパロニ)  ガルパンメニュー
●寿々翔(T34-76)  海鮮ちらし丼など
●かま家(逸見エリカ)  海鮮丼など
●ヴィンテージクラブむらい(オレンジペコ)  コーヒーや酒類などを注文
●しゅんさい  昼の「アンツィオランチ」または夜限定の「アンツィオセット」を注文
●ぎらばり(カルパッチョ)  夜にランチなどを注文
●味ごよみ宮田(シャーマンファイアフライ)  海鮮料理など

3 宿泊すると貰える
 大洗の各ホテルや旅館や民宿のなかには、「ガルパン宿泊応援プラン」を実施しているところがあります。共通の宿泊特典缶バッジとしてあんこうチームの五人のいずれか一つが大洗女子学園タオルと共に貰えますが、なかには設置パネルのキャラをデザイン化して独自の特典缶バッジを渡している施設もあります。独自の特典缶バッジを出している所は●をつけています。宿によっては在庫がなくなっている所もありますので、事前に確認しておくのが良いでしょう。

 旅館くるみ屋  缶バッジの他にポストカードなどのオリジナルグッズも貰えます
 入船  缶バッジの他にオリジナルトートバッグも貰えます
 東光苑
 勝村荘
 雲仙
●いそや(澤梓)  缶バッジの他にポストカードなどのオリジナルグッズも貰えます
 忠愛丸
 たくみ
●小林楼(アリサ)  缶バッジの他にオリジナルグッズも貰えます
●あんばいや(ナオミ)  缶バッジの他にオリジナルマグカップも貰えます
●肴屋本店(ダージリン)  缶バッジの他にオリジナルグッズも貰えます
 大和旅館(Ⅳ号戦車D型プラウダ戦時)
 南荘(Ⅲ号突撃砲F型プラウダ戦時)
 浜の湯(マチルダⅡ)
●大勘荘(丸山紗希)  缶バッジの他にポストカードなどのオリジナルグッズも貰えます
 浜野屋(パンターG型)
●セイラーズ(ルノーB1bis全国大会時)
●シーサイドホテル(西住みほ)
●さかなや隠居(西住まほ)  缶バッジの他にナップサックも貰えます
●福本楼(五十鈴百合)

4 販売している
 公式缶バッジを制作している大洗町商工会館にて一部を販売しているほか、大洗の各商店街の店舗によっては1個100円で販売しているところがあります。販売品である以上、完売や売り切れも多いので、在庫が常にあるとは限りません。各店舗での仕入れ補充の動きなどを確かめておいた方が良いでしょう。
 ここでは、私がこれまでに缶バッジを1個100円で買った所を挙げておきます。その多くは、私が訪問した時に数種類を販売していたお店なので、一種類だけを販売しているお店ですと、他にも沢山あり、主に大貫地区のほうに分布しているようです。

大洗町商工会館
さかげん(カチューシャ)
新屋酒店(山郷あゆみ)
ウスヤ精肉店(ももがー)
カワマタ(武部沙織)
みとや
黒澤米穀店(宇津木優季)
鳥孝(磯辺典子)  
和泉屋米穀店(エルヴィン)
小野瀬海藻店(38t戦車親善試合時)
セイラーズ(ルノーB1bis全国大会時)
住谷商店
梅原屋(38t戦車全国大会時)
島屋米穀店(八九式中戦車甲型親善試合時)
坂本文具店(西住みほ)  
カネハチ海藻店(三式中戦車チヌ発見時)
金丸釣具
大洗観光協会

5 店舗オリジナル品
 最近、大洗町の各店舗では、公式缶バッジの他に、ガルパンとは関係ない各店のオリジナル品を出すところが増えています。お店の御主人の顔写真、ペットの犬や猫、ファンのイラストなど様々なものがあります。かなりの数が出ているようですが、全部を把握していません。

商工会館  あんこうマーク新旧六種、がんばっぺ大洗の茨城県デザインなど
大洗町観光協会  アライッペの青と赤の二種、アライッペの鳥居日の出
大野屋  お店のオリジナルマーク
今村金網工業(M3中戦車リー全国大会時)  M3中戦車リーのシルエット
丸五水産(角谷杏)  鮮魚道始めます、丸五式軽鮮車二種、丸五の日など
森屋菓子店(河西忍)  シベリアセットの色違い四種
和泉屋米穀店(エルヴィン)  猫、戦車シルエット、泉マークなど多数
梅原屋(38t戦車全国大会時)  犬二種
オレンジペコ(ヴィンテージクラブむらい)  店主さんの誕生日記念イラスト二種
坂本文具店(西住みほ)  店主さんの写真
ウスヤ精肉店(ももがー)  店主さんの写真、串カツを食べるブタの色違い五種
肴屋本店(ダージリン)  店主さんの写真
カワマタ(武部沙織)  武部沙織誕生日祝い
金丸釣具  お店のロゴマーク
ブロンズ(ペパロニ)  お店のロゴマーク
松のぶ  うなぎ
親潮   あんこう
お好み焼き道(大野あや)  道のマーク、日の出屋のマーク、戦車デザイン、M3リーデザイン四色、大洗道
日野屋商店(IS-2)  おからアート
国井屋(アッサム)  煎茶道マーク六種類、亀チャーチル、亀戦車
石福(河嶋桃)  八百屋マーク、店主さんの短歌、戦車と桃助、店主さんの写真
寿々翔(T34-76)  店主さんの写真二種、賀正玉子握り、かっぱ巻き
黒澤米穀店(宇津木優季)  「聖地巡礼大洗」、「いつも心は大洗」
田口理容店  「倒福」、「照準器」、「歴女チーム関連のマーク」九種ほか多数
大貫商店会  八朔祭のⅢ号突撃砲色違い六種、歴史ギャラリー三種、2015盆踊り記念品
カジマ(ホシノ)  ななぷりん
吉田屋  梅カフェの店名ロゴ
多満留屋(M3リー練習試合時)  犬
曲松商店会  曲がり松デザイン

6 商工会発および共通品
 大洗町商工会発の品、および共通配布品です。

がんばっぺ大洗  最初の大洗缶バッジ
大洗校章  初期のポイントカード会のものも含めて二種類、プリントエラーが二種類
優勝旗  プリントエラーも含めて二種類
大洗へGO
2014八朔祭
2014SUMMER大洗
夏だ海だ大洗!
ゆっくり巡ろうおおあらい
皆様いつも応援ありがとうございます
マリンタワー広場での大洗チーム全員
2015SUMMER大洗
2015八朔祭



6 公式缶バッジがまだ出ていないキャラクター
 現時点で、まだ公式缶バッジが出ていないキャラクターは、以下の通りです。

左衛門佐(江口又進堂)  「出しませんよ」と公言。
おりょう(玉屋菓子店)  出すかどうか決めかねている、との事。
近藤妙子(魚忠)  出ない可能性が高いと噂されている。
後藤モヨ子(スルガヤ薬局)   「出す予定はありません」との事。 
ねこにゃー(川崎燃料店)   情報なし
ぴよたん(藤乃屋)  情報なし
ノンナ(さかげん)  情報なし
西住しほ(さまた接骨院)  情報なし
冷泉久子(酒井屋)  情報なし


番外 大洗町(水戸、ひたちなかを含む)以外で配布された公式缶バッジ
 現時点で把握しているものを、古い順に並べてみました。

アニメイト  ガチャ第1弾全12種および第2弾6種
ムービック  アニくじ商品の対戦校セット3種
コンテンツシード  デカンバッチあんこうチーム5種
アンツィオ戦OVAのDVD特典  あんこうチーム5種
茨城空港  スタンプラリー特典のウサギさんチーム6種の第1弾、第2弾
大阪ぼちぼち作戦  あんこうチーム5種、対戦校隊長5種
Ⅳ号戦車日本上陸作戦  あんこうチームなど8種
ガールズ&パンツァー オーケストラ・コンサート2015  あんこうチーム5種
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする