猫じじいのブログ

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榊原洋一の『アスペルガー症候群と学習障害』―愛着

2023-08-08 15:38:43 | こころの病(やまい)

先日、妻の本棚から榊原洋一の『アスペルガー症候群と学習障害』(講談社+α新書)をみつけた。21年前の2002年8月20日が発行日で、妻の買った本は2004年12月7日の第12刷である。当時、妻が息子の不登校と家庭内暴力に悩んでいた時期である。

いま読んで、気になることがいくつもあり、これから、何回かに分けて論じたいと思う。

榊原は小児精神科医で、本書で、「心の理論(theory of mind)」、「愛着(attachment)」「多重知能(multiple intelligences)」「ワーキングメモリー(working memory)」などの概念を説明した上で、「アスペルガー症候群」「学習障害」のついての自説を述べるものである。じっさいにアスペルガー症候群や学習障害の子どもにどう接したら良いかを答えるものではない。

(注)この「心の理論」は不適切な訳で誤解しやすい。”mind”とは記憶、認知、推測、意図などの脳の機能全体を指し、“theory“は推測や仮説などを指し、ともに日本語に訳しにくい言葉だ。要するに、相手の気持ちを察することではなく、相手が考えていることを推測する能力をいう。

本書のページ193に、「微細脳障害」という症候群の概念が述べられている。医師からみて「はっきりとした病変が見つからないにもかかわらず」、どこか子どもの脳の機能に変なところが見られる症候群をいう。榊原はこの症候群に批判的で「くずかご的」診断名と呼んでいる。

私は、現在流行の「発達障害」という概念は、この「微細脳障害」を引き継いでいるように思う。斎藤環と同じく、メディアが安易に「発達障害」という言葉を使いすぎると考えている。大人が「発達障害」とカミングアウトするのは異常だし、子どもの相談にくる母親を「大人の発達障害」と陰口するカウンセラーも異常だ。

症候群とは、その発症機構もわからず、症状だけからまとめた診断名で、保険で診療費を請求するための便宜的なものにすぎない。したがって、同じ診断名でも、発症機構が異なるものがあるはずで、一律のステレオタイプ的な対応でなく、個別な対応が必要と私は考える。

榊原は、本書で「愛着」という概念を紹介しながら、「自閉症」「アスペルガー症候群」の原因とは無関係であるとする。根拠は別に示しているのでなく、アメリカの現在の流行に従ったまでと私は思う。もちろん、「愛着」と関係あるも特に根拠があるわけでない。

これは、一時、アメリカの精神科医の間で、「自閉症」が「愛着」の問題に由来するとし、「自閉症」児の親たちを世の批判にさらしたことの反動であると私は思う。親や教師が自閉スペクトラム症とされる子どもに十分な愛情をもって接することは、自閉症の誘因がなんであれ、重要であると私は考える。

充分な愛情をもって子どもに接するとは、求めるものを何でも買い与えることではなく、自分が守られているという安心感を与えることである。心の根柢に人間に対する信頼感をもっていると、他人を信頼するな、期待するなとの忠告を理屈として理解するので、人との距離をうまく保てる。それに対して人間への不信感を根柢にもっていると、人との距離をうまく保てなくなると、自分の経験から思う。

「発達障害」の児童を対象とする運動に熱をいれ、娘をアスペルガーとネットで公言するが、娘の不安に抱きしめて大丈夫だ大丈夫だと言うこともない母親を知っている。また、息子との愛着関係で悩んでいる母親も知っている。上の子を下の子のように愛せないと悩んでいる。

愛情を十分に与えたから、知的能力の問題が解決すると言えない。しかし、人間は安心できる居場所が必要である。あるいは、逃げる先があるということは、一人で人生を生き抜いていくときの安心感をあたえるものである。

新聞の家庭欄などを見ると、夫婦の間で相手が「発達障害」だとの悩みがでてくる。相手が考えていることを推測できないからといって、困ることは何にもない。相手の考えが読めると思っている人は、疑心暗鬼に陥りやすい。相手の気持ちを察しないというのであれば、愛が冷えたのである。いっしょにいるなら、愛が燃え続けた人生の方が楽しい。関係をもう一度高めるよう、務めれば良いと思う。

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