2007-0316-yis116
どの家も端午あやめを飾るのに
私は声あげ泣いてばかりよ 悠山人
○和泉式部集、詠む。
○詞書に、「五月五日、人のもとより」。一本に「人のもとに」と、校注。意味がすっかり変わるが、いずれにしても「人」の名がないのは、いつもどおり。端午節、どの家でも、軒下に菖蒲(あやめ)を吊り下げ、立て掛けてあるけれど、そしてもちろんお宅でも、そうでしょうね。でも私は、それどころではありません。立てるのは私の泣き声だけ。そのとめどない涙が、袖を濡らしているのです。
¶ね=<「あやめ」の縁語「根」に、泣く「音」をかける。>(新潮版)
□和116:ひたすらに のきのあやめの つくづくと
おもへばねのみ かかるそでかな
□悠116:どのいえも たんごあやめを かざるのに
わたしはこえあげ ないてばかりよ
2007-0316-yts306
富士が嶺は春霞みたる雲の上に
白き裳裾をなよびかせをり 悠山人
○短歌写真、詠む。
○富士の山を詠わないうちに、もう弥生半ばになってしまった。はるか、とほく、たなびくくも・・・などと入れてみたが、新境地などとはほど遠い。
¶¶春霞みたる=「春霞」と「霞みたる」を掛ける。「上」は、仮名表記「へ」、現代発音「エ」。
¶なよぶ=「なよなよとする。ものやわらかにふるまう。・・・しなやかである。」(古語辞典)
□短写306 ふじがねは はるがすみたる くものへに
しろきもすそを なよびかせをり
【写真】SM(サンメドウズ)スキー場レストハウスを手前に入れ、後方中央に富士山を配す。ここでも少雪のため、ほぼ人工雪。暖冬の宣伝が利き過ぎたせいか、異様に空いている。