健康の基本は歩き

人間は歩きを止めてから肉体的に老いてくる、精神的には何事も挑戦を諦めた時から老いてくる、今やりたい事を今出来る内に今やる

45年ぶりの大雪の思い出

2014-02-10 01:02:44 | 思い出

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今朝起きた時に予報された大雪がどんな具合か気にしながら窓を開け
ベランダの欄干に積もった雪を見てビックリし写真を撮った。
メジャーで計ったら23cmだった。

今から、45年前にも都心で大雪があり交通が混乱したのをありありと思い出す。
午後3時頃、皆早退する様に通知有ったが
私はどうしても期限までにやらなければならない仕事があったので帰れなかった。
成りたてのプログラマーだったので連日夜遅くまで掛かって「輸出のシステム」を作っていた。
その時、ビルの窓の庇に積もった20cm位の雪を見て帰宅を心配した事を思い出した。

生まれは会津の雪国だから驚く程の雪でもないが相当な混乱だった、実は翌日も混乱した。


白髪抜きの思い出

2013-04-17 21:33:41 | 思い出

昨日、孫娘に白髪抜きならぬ1本10円で黒毛抜きのアルバイトをしてもらった、合計で39本。

いい思い出か悪い思い出か分からないが多分、孫娘も一生の思い出になったであろうと思う。
何はからんやこの私も今から60年位前に親父の白髪抜きをやらされた思い出がある、
私と正反対で真っ黒な頭髪だった。

白髪でもまだ毛が有るからいい方だろうと思っていたが娘から自分では気付かないだろうけど真上は薄くて地肌が見えるよ・・・・だって、
確かに最近は自分が写っている写真を見ると額も上の方まで延長している様に映っている。

昔はおねしょたれで鼻たらし小僧だったのがそれなりのおじいちゃんになってしも~た。
分かってはいたけど皆んな歳とるんですね。

人生の感傷にふけって大事に保管していた多感な15~21歳頃の日記を読んでみようかな。
人生の中間点だった35歳の頃の心境のカセット録音を聴いてみようかな。

いずれこんな時(懐古の情)が来るだろうと思っていた若い時の思いにふけってみようかな。

そんな感じにさせられた孫娘との黒毛抜きだった。


苦い思い出の3月20日

2011-03-20 22:27:03 | 思い出

今から何年前だろう、20年以上前だろうか、紅梅が満開の今の時期でした。

思い出したくないが何年経ってもこの時期になるといやおうなしに切ない胸の内を思い出す。

2008年3月27日のBlog→進むも地獄、戻るも地獄

3月21日は新年度で国内全拠点の新営業オンラインシステムをカットオーバーした日でした。

過去の経験としていくつかの大掛かりなシステムを開発して来たので、今回の営業システムも完成度の良くないプログラムが有ろうとも日々データを修正し追いつき正常な軌道に乗せる事が出来ると信じ進めた・・・・が昨今の原発事故の様に日々日々新たな問題が発生しその目の前の問題対処に終始し1週間程稼働したが思い通りにならずどうにもならなくなり月末に急遽、恥ずかしながら元のシステムに戻した苦い経験の時でした。

新システム稼働の為に人の異動も行い大きな資金も使い、システム開発の総責任者として今でも思い出すと胸が詰まる思いである、その後の全体朝礼で「真の勇気」が必要だったと反省の弁をした事も思いだす、その半年後にはどうにか正常にカットオーバーする事が出来た。

大地震と原発事故に隠れて報道少ないがXXX銀行ATMシステムの不具合は何処となく私の失敗と似ている様に感じてならない、当時の私の様に当事者は不眠不休で対応しているのだろう。

2月早々から日々ほころび始め花が咲く庭の紅梅にはその当時、花を見ながら涙ぐむほど慰められた。

人生永い事していると取り返しのつかない「一生の不覚」は何件か有るがこの件も忘れたくても忘れられない苦い生涯の出来事の一つだった。

庭の紅梅は20年以上前と同じく今が満開、月末には散るでしょう。


稲刈り今昔

2009-09-07 00:03:08 | 思い出
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昨日今日と天気がいいので朝早くから稲刈りが始まった
ほぼ毎日通勤している農道で金髪をバリカンで刈る様にコンバインが動いていた
一寸この前の春の田起こし田植えで始まり稲の成長を部外者ですが
毎日車の中から眺めていた、今更ながら一面黄金色と言うのは実にいい光景ですね
私は農家の生れで子供の頃は家の中に馬小屋が有り一緒に暮らしていました
当然農耕には馬は欠かせない道具としての生き物でした
昔は田植えも稲刈りも全て手作業で、この変貌ぶりは今昔の感が有ります
田起こし後のシロカキの時
馬を先導する為に馬の鼻の先に竹の棒を付け一緒に歩く「鼻取り」は
子供にとって大変重労働な手伝いでした
大人が鎌で稲を刈り束にした稲束を肩に担ぎ運ぶ時の首周りのチクチク感は
今でもありありと思い出されます
今は機械化だから一家分は数日間で終えるでしょう
昔は雨天の関係もあり1カ月半は掛った
雪が降り始めてもまだ終わらず焦っている親父の姿が記憶に有ります
あの頃の農家の仕事は殆ど手作業で
江戸時代の頃となんら変わらない様に思えてならない
そんな仕事ぶりを見て育ったのでその頃の苦労が手に取るように分かる
今は亡き腰の曲がったお袋の姿を思い出すと今でも当時の光景が思い出される
そんなこんなで間接ながら50年間以上農家の変貌ぶりを垣間見て来た
機械化され楽になったものの実際は機械貧乏、でも手作業には戻れないのも現実
最大の問題は就労者の高齢化だそうだ
明日も、田んぼの日々の変化を眺めながら会社へ愛車で農道を行く


7月10日は「納豆の日」だって

2008-07-09 22:07:23 | 思い出
納豆は殆ど毎日食べているので気になったのだが新聞に7月10日は納豆の日と載っていた。
いつからその様に決まったのだろう?
子供の頃の大昔はお袋が納豆を藁にくるんで炬燵に入れ造ってくれた。
大人になってから知ったが造った本人は大嫌いだったとの事。
今はそんな食べ方をしないが砂糖を入れかき混ぜると粘りの強い糸になって美味しかった事を思い出す、中には全然糸の引かない失敗作も有った。
現在の我が家では牛乳に次ぐ無くてはならない常備の食品である。
追記:
今日7月10日はお袋の満101歳の誕生日、40年前に別れを覚悟していたが健康そのもの。
最終:12,730歩