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東証大引け、続伸 追加金融緩和も下支えに 売買高4日連続20億株

2009年12月02日 | 川柳
東証大引け、続伸 追加金融緩和も下支えに 売買高4日連続20億株

 2日の東京株式市場で日経平均株価は3日続伸。終値は前日比36円74銭(0.38%)高の9608円94銭だった。3日間合計の上昇幅は500円を超えた。前日の米ダウ工業株30種平均が年初来高値を更新したことを好感。アジアの主要な株価指数が上昇したことも支援材料に働いた。海外株に比べて日本株は出遅れ感が強まっているといい、電機や自動車などの主力株が買い直された。金価格の上昇を受け、非鉄金属や商社も堅調だった。東証株価指数(TOPIX)も小幅ながら3日続伸。

 前日発表の日銀の追加金融緩和策はデフレ対策や円高阻止にはやや力不足との声があるものの、政府の追加経済対策と歩調を合わせた姿勢を前向きに評価する声があった。

 東証1部の売買代金は概算で1兆3808億円。売買高は21億6420万株と4日連続で20億株を超えた。売買高が4日続けて20億株を超えたのは7月21日~27日までの5日連続以来となる。値上がり銘柄数は713、値下がりは849、変わらずは122だった。

 業種別TOPIX(全33業種)は、「鉄鋼」や「保険業」など12業種が上昇。半面、「鉱業」や「海運」など21業種が安くなった。

 個別銘柄では東エレクやTDK、京セラ、パナソニックが上昇。日産自やトヨタ、ホンダも堅調だった。住友鉱や三菱商はしっかり。ファストリも高い。半面、三菱UFJや三井住友FGが下落。宮崎銀は年初来安値を更新した。三井化学や郵船もさえない。

 東証2部株価指数も3日続伸。個別銘柄ではラオックスや大幸薬品、中央電、三菱総研が上昇。半面、アトムやFDK、稀元素、花月園が下落した。〔NQN〕(15:33)

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2次補正 経済対策7兆円超…政府方針

2009年12月02日 | 川柳

2次補正 経済対策7兆円超…政府方針

当初想定から大幅増

 政府は2日、2009年度第2次補正予算で行う新たな経済対策を7兆円以上とする方針を固めた。

 政府は当初、1次補正の見直しで確保した約2・9兆円のうち、約2・7兆円を活用する考えだったが、急速に進む円高や株安への対応も必要になったことなどから、当初の想定を大幅に上回る規模にすることにした。国民新党が約11兆円、社民党が約6兆円規模の対策を求めていることにも配慮した。

 2次補正の財源は、1次補正の見直し分に、長期金利が低水準で推移したことによる国債の利払い費の減少分などを加え、国費の支出を伴う「真水」分として約4兆円を確保する方向だ。

 一方、2日に開かれた政府・与党の基本政策閣僚委員会の小委員会で、景気低迷に伴う地方交付税の減少分を穴埋めする必要があるとの認識で一致。原資となる法人税などの減収に伴って、減額される見通しだった3兆円前後の落ち込み分を経済対策として盛り込む。この手当ては、09年度の国の税収減として見込まれる約9兆円を補う赤字国債の発行で対応する。

 2次補正では、「エコポイント」制度を10年末まで延長するほか、省エネ住宅の新築などを対象にした「住宅版エコポイント」を新設する。環境対応車向けの補助金制度も来年9月まで半年間延長する方針だ。

 雇用対策では雇用調整助成金の支給要件を緩和したり、来年春に卒業する大学生や高校生の就職支援を強化したりする。さらに、中小企業の資金繰りの支援枠を約10兆円拡大する。

2009年12月2日  読売新聞)
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日本画家、シルクロード 平山郁夫さん死去 79歳

2009年12月02日 | 川柳

日本画家、シルクロード 平山郁夫さん死去 79歳

2009年12月2日14時1分

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写真自作の前の平山郁夫さん

写真2009年秋に開かれた再興第94回院展に出品された平山郁夫さんの日本画「文明の十字路を往く――アナトリア高原 カッパドキア トルコ」

 日本画壇の第一人者で、シルクロードを描いた作品で知られ、文化財保存活動にも尽力した文化勲章受章者の平山郁夫(ひらやま・いくお)さんが、2日午後0時38分、脳梗塞(こうそく)で死去した。79歳だった。

 広島県で生まれ、旧制中学3年で被爆した。東京美術学校(現・東京芸術大学)で、日本画家の前田青邨(せいそん)に師事。卒業後母校の助手となり、1953年に日本美術院展に出品して初入選。以後、同展を拠点に発表し、59年発表の「仏教伝来」や61年の「入涅槃(にゅうねはん)幻想」などで評価され、仏教やシルクロードの歴史・風物、各地の文化遺産などを主題にした作風を確立する。

 また、法隆寺金堂や高松塚古墳の壁画の模写に従事。中国・敦煌の石窟(せっくつ)寺院を守るために、展覧会を開催して得た2億円を寄付するなど、世界の文化遺産の保存・修復活動を展開した。カンボジアのアンコールワットやアフガニスタンのバーミヤン仏教遺跡なども含む広い範囲を対象とし、「文化財赤十字」構想を唱えてライフワークとした。

 その一方、73年から東京芸大の教授を長らく務めて後進の指導にあたり、89年に同学長に。95年に一度退いたが、2001年に再び選ばれて05年まで学長を務めた。その間、98年の文化勲章や03年度の朝日賞など受章・受賞を重ねた。このほか、所属していた日本美術院の理事長に就いたのをはじめ、日中友好協会会長や日本育英会会長、日本ユネスコ国内委員会会長などの要職を歴任した。

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