高校の東海地区同窓会がありました。
毎年、レンタカーで、遠出してましたが、ぼつぼつ、後期高齢に差し掛かってきましたので、
運転は止めておこうと言うこで、公共の乗り物を利用する事になりました。
行く先は、伊勢志摩サミットにちなんで、伊勢志摩です。
伊勢と言えば、まず、伊勢神宮へお参りしなければなりません。
今回は、時間の関係で、内宮のみにしました。
ハナ菖蒲の愛好会の展示会が行われていました。
五十鈴川の清め場。
沢山の錦鯉やうぐいが泳いでいます。
大きな檜ですが、伊勢湾台風で、ダメージを受けています。
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三島由紀夫のこと。
本シリーズの最後に、三島に関して、潮騒の島神島について、3回にわたってあげておいた。
三島に関する、mcnjの思い入れの感情の多少を、挙げておきたいと思う。
三島の信条、生き様は、mcnjの思うところと、違うものがある。
そうではあるが、彼の文学感には、惹かれるものがあって、若いころから、かれの、作品は読んできた。
mcnjは、昭和38年、入社して、四日市工場の開発研究所に配属になった。
その2年後、地元の高校卒の女子が入社して、同じ開発研究所図書室に、配属された。
美人ではあったが、気の強い女であった。
若手の、男性社員は、関心を持ったようでる。
しかし、女は、見向きもしなかった。
最後まで独身をつらぬきとおして、10年ほどまえに、定年退職したときいている。
三島が起こした、あの、衝撃的事件を知ったのは、新婚旅行の、3日目の朝の新聞であった。
その新聞は、今も保存している。
mcnjが妻帯して、25年も経ったころであろうか、ふとしたことで、女の、高校時代の親友だったと言う女性と知りあった。
彼女のの言うには、三島が、割腹した時に、三島をかいしゃくして、みずからも、割腹してはてた、森田なにがしは、
旧制富田中学、現四日市高校の卒業であり、くだんの女と、想思相愛の仲であったと言うことであった。