我が家では晩飯の仕度は主夫の役割に決められている。
定年退職後、もう、8年もそうである。
献立365日と言う料理本を頼りに、細々とやっている。
たまたま、開いたところに、しめ鯖の燻製と言うのがあった。
前の晩、家内が、しめ鯖を作っていたののを思い出し、冷蔵庫を開けたら入っていた。
これだと、思い、昔買った、燻製製造機、いぶすくんを引っ張り出し、カセットコンロに
乗せて作ってみた。
何とか燻製らしきものが出来上がったので、早速、焼酎で一杯やっていたところに家内が
かえって来た。
自分がしめておいた鯖が、変な色に変わっているのを見て、しめ鯖を焼いたの?と言う。
焼いたのではなく、燻製だと言うと、そんな料理は聞いたことも無いと言う。余り信用しな
いので本を見せたら納得した様ではあったが、わさびで食べたかったと、未練たらたらで
あった。
青瓦台は(チョンハァデ)は文字どうり青い瓦の家。大統領の執務するところである。
ソウルの北の方、北漢山に続く低い山並の麓にある。
青瓦台そのものと、その周辺一帯は、厳重な警備のもと、撮影禁止になっているが、
この写真の場所は、観光客サービスの目的で、特別撮影が許可されている。
一帯は非常に美しいところであるが、この場所も、綺麗なところである。
朝鮮総督府
朝鮮総督府は、最初、ソウル南山北麓の、倭城台に建てられました。その後慶福宮内に移設する事になり、1916年に着工、1925年に竣工しました。鉄筋5階建て、表面石張りの豪華なもので、ドームと、列柱を有し、ネオルネッサンス様式と賞賛されました。移転の意図は、政治的であり、朝鮮人民の敬愛する、李王朝の権威失墜と、日本政府のの権威高揚にありました。
この建物の罪悪として、後日指摘されているものとして、京福宮の軸本線とのずれ、および、市内を睥睨する、その、異様な外観が挙げられました。
京福宮の軸本線とのずれに関しては、朝鮮総督府の建築技師、岩井長三郎が、正面大通りと、京福宮の軸本線とのずれによる、技術的問題であったとも述べています。
朝鮮総督府は、光復(日本の降伏による朝鮮の独立)後も、市内を睥睨し続けてきましたが、その、処置には、諸論がありました。結局、1995年、金泳三大統領が撤去を決断、尖塔部を残して、廃棄しまた。
尖塔部は、現在、忠清南道天安市の韓国独立記念館に移設され、橋の下に置かれ、見学に訪れる人々の足下に踏まれる屈辱に耐えています。