北村韓屋村は、京福宮と、昌徳宮、宗廟の間に位置した地域で、ソウル600年の歴史と共
に歩んで来た、古い様式の建物(韓屋)が、数多く残されています。
清渓川と、宗廟の北側に位置することから、北村と呼ばれました。
当時の王族、高官たちの住居が立ち並んだ、高級住宅地でした。
現在でも、900棟あまりの韓屋が残っており、人々が生活しています。
北村文化センターは、当時の模様を、一般に公開展示すると共に、外国人にも、趣に浸る
為の体験コースなども行っています。
外国のお嬢さんも、伝統茶の体験でしょうか。
焼酎の蒸留器も素朴です。
嘉会博物館には、民画、民族資料などが展示されていて、瓦拓本、絵葉書作りなどの
体験が出来ます。
復元された清渓川で、一番の見所と言えば、広通橋でしょうか。
朝鮮王朝が、漢陽(ハニャン:今のソウル)に都を定め、第3代王、太宗の時に、都で一番
大きい橋として、広通橋が建設されました。王の行列や、海外の使者たちは、この橋を渡
って都に入りました。
太宗は、王位継承をめぐり、自分の生んだ子に王位を継がせようとする、継母信徳王妃や
他の異母兄弟達と、壮烈な戦いを繰り広げた末に、王位に着きました。
太宗は、広通橋を造るにあたり、信徳王妃の墓から石を抜き取り、橋脚にしました。
人々の足で踏みにじらせると言う、屈辱を王妃に与えるためでした。
太宗の復讐心の大きさを示すものとされています。
何か、太王四神記に似ていますね。
橋の両側にはイルミネーションが設置されていました。夜になると綺麗でしょうね。
復元された清渓川は、人工河川で、この噴水が源です。