引き続き、団地の裏山の風景です。
茶畑と、お茶の花です。
ブロ友さんの、uke-enさんから、四日市市生桑(いくわ)町にある、千福寺の調査依頼がありました。
生桑にある寺は、先にブログアップした、常延寺、仙養寺しかしりませんでしたので、さっそく、電話帳で
調べてみましたが、この2寺しか、載っておりません。
ウイキペディアで調べると、たしかに、四日市市生桑町千福寺と書いてあります。
なぜだろうと不思議に思ったのですが、もしかしてと、思い当たることが浮かびました。
我が家の車庫前からの眺めです。
遠くの建物は、我々が、普段、毘沙門様と呼んでいる寺院です。
これかもしれないと思って、調べに行きました。
団地からは、そう遠くはないのですが、最後は階段になっていますので、バイクは登れません。
一端、山を降りて、裾を半周しなければなりません。
参道入り口のバス停です。
毘沙門前としか書いてありません。
参道の入り口です。
細い道を進んでいくと、常延寺の横にでました。
そこを抜けると、広い道が、住宅地を通っていました。
昔は、山だったところでしたが、宅地開発が進んで、周辺は、すっかり、住宅街になってしまいました。
毘沙門天は、一番高いところにあります。
入り口に着きました。
下に見える団地が、mcnjが住んでいるところです。
この階段が、バイクでは登れません。
やや、遅い紅葉が、出迎えてくれました。
本堂の入り口です。
ありました。
千福寺とその山号です。
50年以上も、四日市に住んでいるmcnjでさえ、知らなかったのですから、四日市市民の大半は、知らないはずです。
毘沙門は、mcnjが越してきた50年前は、貧しい寺でしたが、周辺の宅地開発が進むにつれて、裕福になって行ったようです。
建物も、立派になりました。
本堂前の狛犬は、ペンキを塗ったように、真っ白ですが、本体は、昔の、ままです。
狛犬は、置いてなかったのですが、それではいかんと、寄付を集めて作ったようです。
50年も前のことです。
中身はモルタルでした。すぐにひび割れしてきました。
その後、ペンキで、補修した様です。
今は、大勢の参拝客で、賑わっているはずですが。
本山での拝礼方式は、一拍、そのまま合掌、一礼だそうです。
uke-enさん、よろしかったでしょうか。
おまけ
金壱百両を納めて、おみくじを引かせて頂きました。
大吉です。財布にしまっておきます。
失物出ずべし。
壊れたイチデジ、治ってくれるでしょうか。
山小屋さんから、七福神についてのご指摘がありましたので、補充しておきます。
山小屋さんから、ご指摘がありましたので、訂正しておきました。
良く晴れてはいるのですが、鈴鹿山脈越えの冷たい風が、吹き荒れていました。
三滝川の橋の上上から撮ってみました。
雲ではないようです。
山頂付近が、吹雪いているのでしょう。
当地も、もうじき、冬支度しなければなりません。
橋の川下に、ダイサギが沢山いました。
小魚でも、あさっているのでしょう。
この橋のそばで、先日、危ない思いをしました。
県道8号線。
この道路は、四日市の大きな団地をを結んでいる、交通量の多い道路です。
この橋の両側に、これまた、交通量の多い国道と、そのバイパスが走っている、交通の、難所です。
橋の向こうには、県道からおりる側道と、県道に乗る側道が両側にあって、それぞれ、一方通行になっております。
先日、mcnjが、買い物の帰りに、この道路に乗るために、一方通行の側道をバイクで、上って来たのです。
その時、上の方から、2台の自転車が、猛スピードで坂を逆走して来るのが、目に入りました。
とっさの判断で、左端に寄って、停車したのですが、そのわきを、2台ともスピードを落とさずに下って行きました。
幸いにも、接触はしませんでしたが。
乗っていたのは、高校生らしい、学生服の男でした。
この道路の先には、高校がありますので、多分、その高校の生徒だろうと思って、そこの、生徒指導係に、
ことの顛末を報告して、善処を要請するとともに、四日市警察署に、情報提供をして、高校への指導を要請しておきました。
ここも、いつも通っている道の傍にある寺です。
すぐそばに、皇帝ダリアが咲いていました。
横綱初代伊勢ヶ濱墓碑。
仙養寺とは、関係ありません。