地蔵には十種の福徳・十福があり、身根具足、衆病疾除、寿命長遠などとともに、安産をかなえてくれる恵みである女人泰安があるそうです。子安地蔵の子安は、子どもを安泰にするという意味だそうですが、女人泰安が転用されてできた名前のようです。子安観音は、子安地蔵にちなんで付けられたのではないかと書かれたものもあります。
甘酒地蔵尊(金町1-4)
お堂の中にある石仏です。「文化三年(1806)丙寅(へいいん)二月吉日」「十四人講中」とあります。今は赤いよだれかけが掛けてあって、抱いている子どもは見えません。
金刀比羅神社(五軒町36°23'00.7"N 140°27'43.7"Eあたり)
「寛政十年(1798)戊午(ぼご)」とあります。何ヶ所も割れているようですが、上手に直しているようです。
谷津町(36°24'24.3"N 140°21'51.3"Eあたり)
左側の側面では、「明治廿四(24)年旧八月」まで読めます。まだこの頃は、旧暦も併用されていたのでしょうか、「旧(暦の)八月」と刻まれているようです。10ある石造物群の中の1体です。
元石川(36°19'52.4"N 140°30'20.8"Eあたり)
「大正十二年八月」のように見えます。左は「江東坪女人講中」です。道角にある子安観世音群の中にありました。
地蔵院(内原町908)
右側に「大正十四年旧十一月吉日」とあるようです。それほど古い石仏ではありませんが、素材として使った石のせいなのか、湿気の多い場所のせいなのか、そうとう劣化が進んでいるようです。