旭鶴(偕楽園 常盤町1-3-3)
野梅系で、花は早咲き、一重、薄紅色の梅だそうです。明治時代には三鶴名花の一つだったそうです。偕楽園は現在、遅咲き品種の時期になってきているようです。(撮影 R5/3/11)
「鶴は千年亀は万年」(ザ・ヒロサワシティ会館 千波町697)
高齢者の作品展・わくわく美術展に出品されていた、村松松男の木彫作品で、茨城県社会福祉協議会会長賞を受賞していました。古木を使った、めでたいものの取り合わせのように見えました。(撮影 R6/2/24)
袴の模様(護国神社 見川1-2-1)
護国神社の大的式(おおまとしき)で、射手がはいていた袴には、上下対い鶴(じょうげむかいづる)の模様がありました。対い鶴は昔から吉祥文としてよく使われてきたようで、いろいろな種類があるようです。(撮影 R5/11/5)
大神輿(南町)
獅子の木鼻に挟まれて、大神輿の蛙股の部分に、羽を広げた鶴が舞っていました。完成した大神輿が、はじめて水戸に運び込まれたときの写真です。(撮影 R1/8/4)
西山荘(常陸太田市新宿町590)
徳川光圀が隠居して西山荘に住んだ頃、秘蔵の放し飼いにしていた鶴を近辺の百姓が誤って殺したそうです。大法に定めある刑として光圀は、夤賓閣(いひんかく)でその百姓に刀を振り上げて、肩に4,5度刃を当てると、この者を殺しても鶴は生き返るまい、といって、追放を言いつけ、飯米や路銭を与えたそうです。平生から、死刑は必ず藩主に伝え、その後に刑を申し渡すようにともいっていたそうです。ちょうど、将軍・綱吉による生類憐れみの令の時期ですので、それを意識してのことでもあったのでしょう。(撮影 H24/4/27)
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