石散當(いしがんとう 宝蔵寺 谷田町633)
魔よけの石碑だそうです。中国から渡ってきた風習だそうですが、石敢當(当)と書き、多くは沖縄、九州南部で、道路の突き当たりや門、橋などに魔よけとして建てられたようです。石敢東、石散堂、石散當など、いろいろな書き方があるそうです。宝蔵寺では結界という意味合いをもたせているようです。石段上り口の右側にあります。
雨乞殉死(上河内町共同墓地)
かつて上河内(かみがち)では、日照りの年に素鵞(そが)神社の神輿を、那珂川へ繰り出して雨乞いをしたそうです。昭和4年6月に行われた雨乞いの際、川の中で神輿が回ってしまい、一人が溺れてしまったそうです。共同墓地にある慰霊碑の最後に刻まれています。
西南の役出征の祈願社(鹿島神社 飯島町734)
明治10年に個人が鹿島神社境内に建てた石の小祠です。西郷隆盛軍との戦争に、上中妻村(現在水戸市内)から出兵した人のいたことが分かります。
お袋様(大井神社 飯富町3475)
母親の慈愛を石像化した土俗信仰ということのようです。ちょと無気味な感じはしますが、これを建てた人たちは、真剣に母親への感謝を形にしたのでしょう。
伊勢神宮遥拝所(稲荷神社 大串町2251 )
稲荷神社には伊勢大大神楽の碑がいくつもありますので、伊勢信仰も盛んだったのでしょう。正月などの行事のときに遥拝が行われたのでしょう。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます