幕末の水戸尊王攘夷派は、諸生派(保守派)から、天狗のように鼻を高くしていると蔑称的に言われたことから天狗党といわれるようになったそうです。両派の対立から、天狗党は筑波山麓で挙兵して、各地を転戦して、敦賀で降伏した後、多くは処刑されたそうです。これらの流れの中で、死に面した天狗党派の人たちの辞世です。
武田耕雲斎(天狗党首領 敦賀で処刑)
咲く梅の 花ははかなく 散るとても 馨(香)は君が そでにうつらん
武田耕雲斎の妻とき子(赤沼獄で処刑 同時に処刑された子供をうたっているそうです。)
かねてみ(身)は なしと思へど 山吹の 花もにほはで 散るぞかなしき
藤田小四郎(天狗党首領格 敦賀で処刑)
かねてより おもひそめにし 真心を けふ大君に つげてうれしき
山国兵部(天狗党の軍師 敦賀で処刑)
行くさきは 冥土の鬼と 一勝負
田中愿蔵(天狗党幹部 久慈川河原で処刑)
みちのくの 山路に骨は 朽ちぬとも 猶(なお)も護(まも)らむ 九重(ここのえ)の里
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