この間台湾のアイドルドラマを見ていて、こんなくだりがあった。
A:「{イ尓}{女馬}自殺了!」
B:「......」
A:「不過還好没死」
日本語字幕はこうだ:
A:「お前のお母さん自殺したよ」
B:「......」
A:「幸い未遂だった」
中国語のセリフは普通に自然だったが(当たり前だけど)、日本語対訳はどうしてもしっくり来ない。なぜでしょう?原因は中国語は動作と結果が別々の語句で、日本語は動作と結果が一つの語句で表現できるからだ。
中国語で「自殺了」は「自殺の行動をした」までで、結果死んだかどうかは別の話。でも日本語は「自殺した」と言ったら、「息が絶えた」の結果までを意味する。
前出の1句目は日本語に直訳すると「お前のお母さんは自殺の行動に出たよ」になるが、それもわざとらしくて日本語の習慣にはなじまない。翻訳者を悩ませるところで、翻訳の限界でしょうか?
では、次の中国語の日本語訳はどうなるでしょう?
「我写了、但是還没写完」
「書きましたが、まだ書き終わってない」(??)
日本語は前後が矛盾して変訳になってますよね。
これも日中の言語習慣の違いによる誤訳。中国語で「写了」は「書く行動を始めた」のであって、書き終わってるかどうかは別の話。後文に「還没写完」があると書き終わってない事が明白だ。
では正しい訳は?「もう書き始めたが、まだ終わってない」でどうでしょう?「写」には「始める」をプラス、「写完」は結果を表す「終わる」にする。一件落着!
と、思ったあなた、話はまだ途中ですよ。今度は逆に日本語「もう書き始めたが、まだ終わってない」の中国語訳を考えてみよう。おそらく多くは「已経開始写了、但是還没完」に訳すのでは?「已経開始写了」はOKとして、問題は「還没完」。先ほど「中国語は動作と結果は別々」とあったが、結果だけあって動作が伴わないのがマズい。つまり「なにをして結果終わってないのか」をはっきり表現すべき。結果、「(已経開始)写了、但是還没写完」が正解なわけだ。
最初のセリフの1句目に戻って、わたしならこう訳す。「お前のお母さんが自殺...」。(するしないの動詞を省き状況を曖昧にし、次の「未遂」につなげる)みなさんならどう訳しますか?
日本語からすると中国語が重くてくどいかもしれない。含んだ言い方が得意な日本の国民性と、白黒はっきりする中華圏の国民性、その違いが言葉にも現れている証しと見ていいでしょう?
台湾茶イベント・少人数制中国語教室
A:「{イ尓}{女馬}自殺了!」
B:「......」
A:「不過還好没死」
日本語字幕はこうだ:
A:「お前のお母さん自殺したよ」
B:「......」
A:「幸い未遂だった」
中国語のセリフは普通に自然だったが(当たり前だけど)、日本語対訳はどうしてもしっくり来ない。なぜでしょう?原因は中国語は動作と結果が別々の語句で、日本語は動作と結果が一つの語句で表現できるからだ。
中国語で「自殺了」は「自殺の行動をした」までで、結果死んだかどうかは別の話。でも日本語は「自殺した」と言ったら、「息が絶えた」の結果までを意味する。
前出の1句目は日本語に直訳すると「お前のお母さんは自殺の行動に出たよ」になるが、それもわざとらしくて日本語の習慣にはなじまない。翻訳者を悩ませるところで、翻訳の限界でしょうか?
では、次の中国語の日本語訳はどうなるでしょう?
「我写了、但是還没写完」
「書きましたが、まだ書き終わってない」(??)
日本語は前後が矛盾して変訳になってますよね。
これも日中の言語習慣の違いによる誤訳。中国語で「写了」は「書く行動を始めた」のであって、書き終わってるかどうかは別の話。後文に「還没写完」があると書き終わってない事が明白だ。
では正しい訳は?「もう書き始めたが、まだ終わってない」でどうでしょう?「写」には「始める」をプラス、「写完」は結果を表す「終わる」にする。一件落着!
と、思ったあなた、話はまだ途中ですよ。今度は逆に日本語「もう書き始めたが、まだ終わってない」の中国語訳を考えてみよう。おそらく多くは「已経開始写了、但是還没完」に訳すのでは?「已経開始写了」はOKとして、問題は「還没完」。先ほど「中国語は動作と結果は別々」とあったが、結果だけあって動作が伴わないのがマズい。つまり「なにをして結果終わってないのか」をはっきり表現すべき。結果、「(已経開始)写了、但是還没写完」が正解なわけだ。
最初のセリフの1句目に戻って、わたしならこう訳す。「お前のお母さんが自殺...」。(するしないの動詞を省き状況を曖昧にし、次の「未遂」につなげる)みなさんならどう訳しますか?
日本語からすると中国語が重くてくどいかもしれない。含んだ言い方が得意な日本の国民性と、白黒はっきりする中華圏の国民性、その違いが言葉にも現れている証しと見ていいでしょう?
台湾茶イベント・少人数制中国語教室