福山雅治の「そして父になる」今更トラブル

2013-10-16 18:45:38 | ニュース
 カンヌ映画祭で注目を浴び、スピルバーグがリメイクを作りたいと言っている「そして父になる」これは日本で、公開されたの?

 今、トラブルに見舞われているという。

 ストーリーとしては、実際に1971年に沖縄で起きた赤ちゃん取りちがえ事件をリポートして、それをノンフィクション作家で奥野修司氏の「ねじれた絆―赤ちゃん取り違え事件の十七年」(1995年に新潮社、その後に文芸春秋から文庫本化)が原作本になっているらしい。

 のだが、映画祭出品の際に参考文献としてクレジット紹介しただけの扱いになっている。

 でも実際の映画、福山さん演じる父親の職業エリート・サラリーマンと相手の父親、リリー・フランキーさん演じる電気屋の店主。原作本では片方の父が建設業のサラリーマン、もう片方の父が自動車修理工と職業も似ている。

 その上、家族が病院と話し合いをするシーン、弁護士を病院側が立たせて両家を交流させるシーン、片方の父が子どもを2人引き取りたいと申し出るシーンまでそっくりらしい。

 それなのに、参考文献扱い?原作本じゃない?と出版業界から怒りの声が上がった。

 制作委員会の1社であるフジテレビが参考文献として著者や文芸春秋に連絡し、同意を得たと文書で答えただけらしい。

 しかも、連絡があったあったのもカンヌ映画祭出品直前になってからだという。

 普通ならもっと前に話があって、ここまで原作と似ているならもっと早くに原作者と出版社に話があっていいんじゃないか?というのが怒りの原因らしい。

 まあ…カンヌとか出てきて好評価が出てきたから余計話がややこしくなったんだろうけど…。

 でもちょっと、ここら辺、この手のトラブルが多い。

 いかに雑に扱われてるかということを浮き彫りにした感じだ。

 ここら辺上手く話がまとまって手打ちと行けばいいんだろうが…。

 



ある日14歳の少女が転校してきたが、しかしその子は…

2013-10-16 16:15:19 | ニュース
 発展国の10代のお産事情を判ってほしくてあることが行われた。

 ベルギーの学校に14歳の日本で言えば中学生の少女が転校してきた。

 転校生ってそれだけでも注目を受けるのに、この彼女、更に周囲の注目を引く事情を背負っていた。

 妊娠していたのだ。

 妊婦ってよくトイレに行くらしい。その子もそう。

 周囲は戸惑いだらけ。むしろ冷ややか。


 しかし、やがてこの少女の妊娠の事情が明かされた。

 Plan Belgiqueというところが、発展途上国での10代の妊娠事情を判ってほしくて妊娠してるお芝居をして現状を知ってもらったらしいのだ。

 ベルギーではこういう事例は少ない。やはりそれなに…フランスとオランダに囲まれてお国事情は難しいものを持っているんだけど…こんなことはない。

 でも発展途上国ではこういうことが普通にある。

 後日ちょっと触れようかと思うが、後継ぎになる男の子が生まれるまで9人子どもを産まされた23歳の女性とか。

 お産は汚いものだとされてろくなケアもされない。自分で産んでへそのおをその辺のガラスで切る。これには破傷風の危険性がある。

 でもこれが現状だという国が未だにある。


 貧困、男女差別、不十分な教育がこういう事態を引き起こす。

 未だに。

 日本からしてもベルギーからしても未だに。


 なんか複雑ですね。

キムチ~不朽の名作  12話 いまを生きる

2013-10-16 14:53:12 | ドラマ/映画/ドキュメンタリー
 グミは海辺のおばあさんの家を訪ね、父からの手紙を産まれて100日目の赤ちゃんの写真を見せるが、おばあさんは何の話だ、誰がそんなデタラメをと言い、息をするのも辛い年寄りをからかうなと言い、グミを置き去りにして去った。

 やはり朝帰りをしたソンジュをケヒャンは心配していた。そして薬を飲んでいるのを見て。何の薬かと聞くが、ちょっとめまいがすると出してもらったストレスが原因らしいという。ソンジュはそっと病院の名前を確かめるとハンバ病院とあった。

 そこへゴヌも心配してヨンジュの帰りを迎えるが、グミに告白したことを聞き、ソンジュは自分と同じ人が好きなんだなと思う。
 ゴヌは兄貴がグミを好きだなんて自分の取り越し苦労だろうと願う。

 ジンミはキムチの塩分や唐辛子の量が変わっていることに驚き会長としている、ソ・ドンマイに文句を言うが、娘のヨンジュがやってきて、今は塩分の多さを気にするからと平然とジンミの意見を退ける。

 量を変えるとジンミが味が変わると言ったところで意味がない。

 ジンミはグモを呼び出して、三代目ソルロンタンのキムチとソルロンタンを売ってロイヤルティーをもらう契約をしたいというが、検討してからとじらす。それでもキムチのレシピは渡す。

 そして何故、そんなに欲しがるのかと聞くとジンミはお宅のキムチは輸入用にいいからと逃げる。

 酒のシーズンにいい肝機能の回復にいいたらのスープの作り方を授業で教えていた。
 その間にジンミはある研究チームとケヒョンが組んで何かをしているようだがと聞きだそうとする。自分はケヒャンの弟子だというと簡単にケンチミの酵素の研究だと教えてくれた。

 ハンバ病院を訪ね、ヨンジュは祖母がガンであることを確かめる。医師はご家族に知らせないのは悪かったと思っているが、初期のすい臓がんだと教える。治療をするように伝えてはいるが、どうしてもやりたいことがあるからと治療はしないというとハンバ病院の医師は説明した。
 ソンジュは自分も協力したい。治したいとハンバ病院の医師に伝える。

 サネに仕入れ先はどこだ?としつこく訪ねるグモに店をしたいなら皿洗いから始めろという。そしてグミが病院を辞めることになったのはお前のせいだろうと責めた。

 グミはおばあさんを説得してやっと話しを聞けることになった。
 グミの本当の両親はおばあさんの遠い親戚にあたる人で、夫を事故で亡くし奥さんも病気になった。そしてお乳をあげないといけないといけないのに病気になった。そこへサネ(改名後、ミオク)夫婦が訪ねてきて20日間面倒を見た。お前も病気になって3週間後どうにか熱も下がり元に戻った。その間面倒を見るだけかと思っていたが、1度は大田(テジョン)に戻ったがお前を引き取りたいと戻ってきたとおばあさんは言った。

 思わずグミは話を聞き涙を流した。

 おばあさんはグミの料理を味見し、なかなかだと褒める。父親は料理人だったからその血をひいたのかもしれないという。優しい人だったという。

 おばあんさんは、乳を飲まないグミにサネは代わりにわかめスープを飲ませたと話した。具を変えてお前が飲むようにしていたと言った。
 グミが気にいって飲んだのは、アワビやムール貝のわかめスープだった。そんなにわかめスープに種類があるのかと驚いたと話した。 
 そして、おばあさんは、お前はあの2人に新しい生命をもらった。今までどおりに歩きなさい。そしてサネ(ミオク)には言うな。あの子は波乱の人生を送ってきたんだからとグミに言い聞かせた。

 コヌは不安でヨンジュにソンジュを引き止めろと言い出した。
 ヨンジュは自信がないの?というが、そうだとゴヌは認める。

 ヨンジュはソンジュの心を掴んでいる相手はファン・グミなのかと確かめ、やはり不安でヨンジュは父に電話して明日にでも婚約でも結婚にでも持ち込むと言い出した。

 家の帰るとグミは母に抱きついた。
 グモはたかが2日合わないだけで大袈裟なというが、病院を辞めたことをえらいと褒めるグモをサネはいさめる。しかし、グミは兄のグモを責めもせずかばうのでグモは気持ち悪くなってきた。

 ケヒャンの家に差し入れるとサネは料理を作っていた。名家では色々人が来るからいると言うようなことを言うと、グミはまるで名家で暮らしていたみたいねと言い、サネを一瞬慌てさせた。

 そしてグミは初めてケヒャンと会った。
 公開審査にグミも参加してみないかという。でも私は料理人じゃないからというが、伝統を守ってくれる人になってほしいと言われる。
 
 帰り際、ソンジュに会い、新しい病院を紹介すると言われるがグミは辞退する。しかし、ソンジュは、グミが山小屋で一緒にいた時ソンジュが眠っていると思って言っていたこと、俺の笑顔を思いだすんだろう。なにをしていても気になるんだろうと言い、グミを恥ずかしがらせて逃げ出させた。

 ヨンジュはケヒャンにやはりすい臓がんだと知っていることを聞かされる。治療をしてくれというが、年だから1回入院したら退院できないような気がする。
 飲食有庚を完成させるまでは待ってほしいという。

 そしてお前の母親と似ているかもしれないとソンジュの母は家を出て行った理由を初めて話出した。
 優しくて気立てがいい人だった。でもケヒャンが反対するほど元々身体の弱い人だった。
 しかし、みんなから好かれ、後継ぎ(つまりソンジュ)まで産んだ。みんなから大事にされていた。

 しかし、子どもを産んでから更に身体が弱くなった。やせ細った身体で名家の嫁として務めを果たしていた。信じられないかもしれないが、名家の嫁は病気だからと務めを休めない。そう言われて育ってきたとケヒャンは言う。
 薬膳料理や医者を出している家なのに病気になったとは言えず内緒で病院に通っていたようだ。
 しかし、どうにもならなくて…というケヒャンにアメリカへ行ったのかというソンジュに、治療をするため地方都市に行き寺に入った。寺を探したが見つからなかった。
 そして10年前亡くなったと手紙が来た。差し出し人も住所もなかったから判らずじまいになってしまった。
 病医は肝炎だった。治療すれば治らない病気ではなかったとソンジュは初めて全てを知った。

 ヨンジュはケヒャンも人知れず死ぬつもりかと聞くが飲食有庚を完成させるまでは死なない。
 だから結婚を急がないでほしい。一生愛し合える人と一緒になってほしいと頼む。

 グミはケヒャンから渡された参加の用紙を胸に、父さえ救えなかった自分がそんなことができるのかと悩んでいた。

 翌日、ヨンジュはたくさんの料理を作ったと言って持ってきた。
 ケヒョンは料理に心が籠っていると褒める。父・ドンマイもこれくらいなら名家の嫁として務まるのでは?というが、ケヒョンは実力や知識があっても務まらないという。
 それはケヒョン先生が教えて…とドンマイは更に押し、せっかく、ヨンジュもいるし、ここで式の日取りを決めては…とごり押しをする。

 ついにソンジュが立ちあがった。

 そしてヨンジュとは結婚しないと宣言した。




 すいませんが、気のせいか、ヨンジュとヨンジュンの字幕が混ざっているような…。
 私の見間違いかしら?今日は座りがいいので「ヨンジュ」で表記させていただきます。
 「ヨンジュン」って日本人にはなんか座りが悪くありませんか?

 たらのスープの作り方まではちょっと書き取りができませんでした。

 やはり娘は1人、グミを遠縁から預かったということですね。前の回ものは直しておきます。

 言うと、ケヒャンとケヒョンもなんか区別がつきづらい。
 みんなヨンジュンでもヨンジュでもソンジュでも名前がなんか似てるから…混乱する。


別にどうでもいいんだけど、私のドラマ内容ブログ書き方

2013-10-16 14:00:00 | 日記風
 いや「キムチ~不朽の名作」には鍛えられましたわ。

 これ、ヨンジュンが字幕の放送では「ヨンジュン」となってる思うんだけど、放送局の人物相関図では「ヨンジュ」になってる。

 せめて放送している局では統一してほしい。

 これに限ったことではなく、同じビデオでも途中で翻訳者が代わったのか?と思うくらい名前の表記が微妙に変わることがある。テレビ放送では、また変わっている。(かなり変わってる場合もある、それだけ韓国語の発音は難しいのかもしれない)

 韓国の名前は日本人には馴染みがない。そしてどっちとも聞こえる名前が多いんだと思う。だからこういうことが起きるんだと思う。

 普段字幕のものを書くときは3回は見て万全をきしてアップしている。

 お陰で本人が書くのに必死で内容が入っていないものがあったりする。


 特に「キャッスル」シーズン4になって、字幕だけの放送が始まったが、これを書こうと思ったらえらいことだった。

 シーズン3だったかもしれないけど、今も忘れられない「ヒーローの正体」これなんか、死んだ。
 女の子はヒーローものに興味がない場合が多いから、ヒーローの名前が頭に入って来ない。

 これは苦心した。冗談抜きで気が狂う1歩手前までいった。

 そして米国人の名前も日本人には馴染みがない。しゃらっと登場人物の名前を出すけどそれが

 アッカースン、アシュクロフト、エイヴァリー、バウスフィールドなんてのの名字の前に、ファーストネームがくっついて出てきて1回見て覚えられますか?

 「ヒーローの正体」の犯人は肉切り○ニ―というニックネームでしか覚えてない。
 だって本名が1回チョろっと出てきただけなんだもん。

 なんでそこまで必死になるのか私も判らないが、人の作品だから大切に扱いたいという気持ちはある。

 あるが…えらい大変だ。

 お陰で最近、べスト・オブ・キャッスルをランダムに放送されるのをぼぉ~と見て、やっとこういう話だったのかと判るという現象まで起きている。

 本当、なんでここまで必死になってるんだろうって感じだ。

 でもなっちゃうのよね。

ヘップバーン&マリリン、太宰治&松本清張が比べられる理由 ②

2013-10-16 12:40:37 | 日記風
 とか書いといて、昨日、へップバーンとマリリンのことにしか触れていないことにあとになって気付いた。

 看板に偽りありになってる。ということで②を作る。

 太宰治って下手をすると若い人は知らない。昭和中期くらいの作家だ。

 私はかねてから不思議なんだけど、物を書いていきたいという若い子でもある年齢の人でも過去の日本の作家の作品や外国の作家の作品を知らないという事実に驚く。

 だから太宰を知らない若い人は多いと思う。

 数年前、生田斗真さん主演で映画になった「人間失格」の作者です。
 太宰の代表作は他にもあるんだけど「人間失格」もその1つで、衝撃を持って一時は若い人々に受け入れられた作品でもある。

 太宰は無頼派とも呼ばれた。
 その理由は太宰は酒浸り、女と情事を繰り返す、そして最後にその情婦の1人と…言葉が悪ければそのとき愛した女性…と玉川上水で入水自殺をして人生の幕を閉じた。このとき38歳。
 それ間に売れっ子作家の名前をほしいままにしていたんだから早咲きだわよ。

 この自殺は、自身の子どもの障害を苦にしてとか色々話があるが、夫人に残された遺書には「小説を書くのが嫌になったから死ぬのです」と書かれていたとも言われる。

 しかし後年になって、研究者が太宰作品を調べて行くと太宰はいろんなことを研究していて「人間失格」を書いている。当初は告白記のようにとらえられていたが、あれも彼の想像のたまものであるとされている。
 それくらい書くことに情熱を真摯に燃やしていた人ということだ。

 疲れると思うよ。


 その反対に松本清張は40歳にしてデビューを果たしている。
 若い頃から作家へのあこがれはあったわけだけど、新聞記者になりたいというのもあったようだ。
 そして清張はそういうことでごちゃごちゃしてる内に日本も巻き込まれた第2世界大戦に引っかかちゃってるのね。
 そうすると、お国をあげてのことだから参加をしないわけにはいかない。

 終戦後、新聞記者になる。その頃は文学や作家への夢はなかったらしいが、書いた作品が当時の新人賞を受けるに当たって、回りの助言もあり作家1本に絞って行き、そのあと精力的に作品を発表していく。

 新聞記者の経験を活かし、実際にあった事件を小説化したものも多い。

 そしてのちにやってくる推理小説ブームに乗って社会派作家となるわけです。

 その精力的な活動中に脳出血で入院してそのときは助かるが、のちに肝臓がん出あることが判り82歳亡くなった。
 このときは新聞などで第一報が伝えられ結構な大騒ぎだった。
 特に清張ファンだったわけではないので詳しいことは記憶にないが「巨星、逝く」の状態にだった。

 太宰と清張がなにが最も違うかと言えば、太宰はいいとこのお坊ちゃんだったから、わりと時間があった。
 清張はどっちかっていうと貧乏の家に生まれた為、そういうことに熱を傾けていられなかった。家族の生活が先だったわけだ。

 その間に清張は清張となる勉強を多くしてきた。下積みが以上に長くなった分、咲いた花も大きかった。

 それでも清張は自分は、できる努力をしただけですと記している。


 ファンの方からすると、ちがーうという声が飛んできそうな急ぎ足になってしまったが、この2人は同じ年に生まれながらした経験は見事に違った。

 でもそれだけの経験の違う作家が生まれたからそれだけの差を持つ現代に残る作品群があるわけだ。

 作家は自ら血を流した分、作品の奥行きも深くなる。

 これは事実。

 不幸を背負っていても作家になった途端、それがきらきら輝く宝石になると皮肉なことがある。

 これは書くことに情熱を傾けている者なら誰でも知ってることだ。


 大変だよね。書きたいみなさん。でもどうにかやって行こうね。

 きっと将来は明るいさ。信じることが大切だ…と自分に半分言い聞かせて閉じさせてもらう。

故郷を出ると不幸になる

2013-10-16 03:45:06 | パリへの道
 パリに移住すると言いつつ、なんだか物事が動かない日々を送っていると全てが夢のような気がします。

 でも従来のお節介が顔を出し、体調が悪いという人の治し方はないか?と探ってみたりする。あちらはプロだから、きっと多くの情報を持っていると思う。思うが、それでも角度を変えると思いがけない考えが出てくることもあるからね。

 人のこと心配してるくらいなら、私は元気ね。


 しかし、ここ数年、かつての仕事仲間が消えましたなぁ。
 理由が判っている人もいるが、そうでない人もいる。


 でもそれでいいのよね。


 高い理想を持った人とだけ付き合いが残って行く。それの方が絶対いい。

 嫌でも引っ張られるしね。


 故郷を出ると不幸になる。
 そんな言葉をふと思い出した。

 つまり苦労するってことだと思うけど。


 作家で言えば童話作家、詩人のアンデルセンは元々地方の出身で靴屋の息子だったと思う。この時代、親の職業を継ぐのが当たり前で無学のまま靴屋になるのが、本来のアンデルセンの運命のはずだった。

 しかし彼は高い理想を持って都会へ出て行くのね。そこでまず芝居を見て役者になりたいと思う。そしてやがてラテン語を覚えて(この時代の人は字も書けなくて当たり前だからそこから覚えることになる)劇作家になり、やがて童話作家として永遠の存在になる。


 誰かが書いていたけど、アンデルセンの話は故郷を出ると不幸になるというのが基本にあるらしい。

 確かに多くの困難に合ってる話多いわよね。

 人魚姫とか、あ…思い出せない。

 凄い苦労したと思うよ。親も援助できない状態だものね。

 特に時代が違うから凄かったんだろうね。

 日本が推奨したかつてのブラジル、ハワイへの移住された方もかなり苦労されたと思う。特にブラジルなんかはその2世3世が出稼ぎも兼ねて日本に戻ってきてるくらいだから、どれほど大変かってことだ。

 習慣も言葉も違う国。上手く行くと思う夢はすぐ覚める。そして現実の中で絶望する…。そこからどう立ち直っていくか、すべてはここ何だろう。

 北朝鮮に在日の方と結婚され花嫁として帰られた方はまたちょっと事情が違うだろう。行きたいというより嫁いだから着いていくしかない状況もあったろうから。


 甘くないわよね。


 私も苦しむだろうか?

 でもそれでもいいかなって気がする。

 この国でなあなあで甘えて生きて行くことより私は燃えたぎるほど「生き抜いてやる」と思いたい。



 燃え付きたりして…。


 ただ、志の高い人々に囲まれて、今は先のこと、少しずつ具体化するようにしてる。

 でも諸所の事情で年内は大きな動きは、ない、と思う。

 って、10月も半ばか。