
大阪水曜ほっと集談会一世です。
情けは人の為ならずということわざがあります。
一般的には人に情けを掛けていれば良いことが返ってくるという意味合いですが私は全く違うと思っています。
そこには自分がやっているという驕りが透けて見えるからです。
少なくとも私は人に何かをしようとするときに自己満足だと常に肝に銘じています。
私は発見会活動をボランティアとか人のためにやってきたという自覚は全くありません。
全ては自分の学びのために自己満足でやってきたと感じています。
しかしながら結果として森田を学びながら発見会活動をすることで大きなご褒美をいただいたような気がしています。
具体的には、最近幸福感を感じることが増えています。
感謝とか何々のおかげという言葉をよく使います。
現実的にお金が儲かったとか社会的な地位ができたとかそういうことは全くありませんが、私の中で小さなことに感謝する、それを発見するそのような能力が芽生えたような気がしています。
自分にとって都合のよい事実も不都合な事実もとりあえずそれを認めながら生きていく、そのような感情が生まれつつあります。
それはやはり森田の学びの継続の結果ではないかという風に感じています。
森田博士も水谷先生も現在の平均寿命で考えますと短命であったと思われますが、神経質について研究したい、神経質者を救いたいその一念の人生はとても満足された人生ではなかったかという風に思います。
最後に水谷啓二先生の「あるがままに生きる」からある言葉を紹介したいと思います。
※喜びも悲しみもただそのままに流転してゆくとき、とらわれないあるがままの生活が自然に体得されるのである。

2023.3.8 一世