「大阪水曜ほっと集談会」公式ブログ

1月15日(水)14時~・1月21日(火)20時~(ZOOM)にてリモート集談会&新年会を開催します

~秋桜に寄せて~ 河野基樹医師に捧ぐ

2022年10月08日 03時15分56秒 | コラム 


大阪水曜ほっと集談会一世です。

今年は、秋が短くいきなり冬の予感がしています。

秋桜がしだいに好きになる命 「河野基樹先生作」

毎年この時期になると秋桜と共に10代から20代にかけて森田療法について教えていただいた生活の発見会の元顧問で協力医であられた河野基樹先生のことを想い出します。

10月31日は河野基樹先生の命日です。

この日を私は秋桜忌として、いつまでも先生との想い出を語り続けたいと思います。

ご自身が若い頃から神経質症状に苦しまれた経験から58歳で逝去されるまで命を削って森田療法の普及並びに生活の発見会の発展に尽力されました。

先日ある集談会で河野基樹先生のことを自己紹介で話をされた方があった事を聞かせていただきとてもうれしかったです。

私もそうですが、古い会員の方の中には、河野先生から掛けられた慈しみに充ちた言葉をいつまでも大切にされている方がおられます。

先生と想い出は私にとっての宝物です。

毎年この時期になると先生と地元の劇団の公演を観たり、その後先生の行きつけの小料理屋さんでビールを飲みながら色々なことを聴かせていただきました。

集談会では、自己紹介は、最高の学びであると言われていた事を昨日のことのように想い出します。

先生とは親子ほどの年齢差に加え、当時地元の大きな病院の副院長という要職でした。

普通であれば二十歳の若造が対等にお話しできる方ではありませんが同じ神経質という見えない力がそこに働いていたとしか思えません。

今から思いますと何と贅沢な時間だったのかと、無知の哀しさに恥じ入るばかりです。

河野先生は晩年、このような句を残されています。

勝ち負けを競わなくてもいいゲーム

余命がわずかであることを意識された先生が本当の意味での森田の平等観を表現された句であると思います。

最後に先生の※「生きるとはどういうことか考えてみましょう」という講演集の結びの言葉を紹介させていただき、生前何もご恩返しの出来なかったバカ息子の感謝の気持ちとさせていただきます。

生ー生きるということ、老ー老いるということ、病ー病むということ、死ー死ぬということ。

生老病死という四つの苦、人間の力ではどうしても避けることのできない苦なのです。

努力して、意志の力で何とかできるのか?

それはそのまま受け入れるしかありません。

事実唯真です。

自然に服従しかありません。

けれどもわれわれが生きるのに苦しみ、老いることに苦しみ、病むことに苦しみ、死に悩んでも、自然は毎日まったく私に無関心に動いております。

陽は西に生老病死みな祈り 「河野基樹」



2022.10.8 一世

※1997年生活の発見会より当時の理事長大谷鈴代氏の編纂により号外として発行された。



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